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文化・芸術

2009年1月17日 (土)

天ぷらにソースをかけますか?-ニッポン食文化の境界線

天ぷらにソースをかけますか?―ニッポン食文化の境界線 (新潮文庫)

 日本経済新聞社の野瀬泰申氏の著書を紹介しつつ。
 この本は、食べ物の嗜好についての地域差を方言と捕らえて、その地理的マッピングを行なっている。今風にWebでのアンケート調査と実地調査による裏づけを行なっており、データの信憑性は概ね高いと考えられる。

# ちなみに私も一寸だけ意見を寄せています。

 私は北海道出身だが、仕事の都合で香川県、熊本県、茨城県を渡り歩いてきた。この本で取り上げられたような「食の方言」を身をもって(舌を持って?)感じてきたので、頷ける部分が非常に多い。日本は、ちょっとした食習慣の違いを持つ文化圏のモザイクなのだと。

 香川に居たときは、うどん屋さんで冷めた天ぷらを熱々のうどんだしにトップリ漬けて食べていたし、熊本に居たときは、たしかにソースをかけるのが身の回りでは普通だった。北海道にいた頃は天つゆや醤油で食べるのが普通だったが、どれも実際にやってみると「これも、アリか」という感じだ。
 香川でも熊本でも、味噌といえば麦味噌が多く売られていた。私は、津軽三年味噌のような長期熟成型の塩分の多い米味噌で育ったのだが、食べてみると麦味噌も悪くはない。今は、茨城に住んでいるが大分の”フンドーキン”の麦味噌を愛用している。

 「天ぷらにソースをかけますか?」では、味噌汁の味噌に着目して地域差を考察しているのだが、味噌汁にはもう一つ重要な構成要素がある。”だし”だ。具のバリエーションは非常に多様なのでまとめようがないのだが、だしについては概ねイリコ(煮干)、ふし(カツオ、さば等)、昆布の三種類程度に限られている。この三種類のだしと味噌の種類(米、麦、豆)の組合せは、実はランダムではないように思う。たとえば、イリコだしは長崎から瀬戸内を通って四国の瀬戸内側、兵庫くらいまで分布している。うどんのだしも、香川ではイリコ+昆布がスタンダードだが、大阪から名古屋くらいまでは、ふし+昆布になっている。これはスーパーで売っているイリコの種類でも確認できる。岡山や香川では、イリコの大きさ別に大羽、中羽、小羽とサイズ別に分類されているのが普通だが、茨城ではそのような分類はない。単に「煮干」とかかれて一緒くたにされてしまっている。生活者のイリコに対する関心の程度が反映されているためだろう。

 このイリコに対する関心の高い地域は、概ね麦味噌地帯と概ねかさなる様に思う。だしの素材も味噌の原材料と同様、それぞれの地域で入手しやすいものがよく利用されている点では同じ原理が働いているようだ。瀬戸内や長崎ではイリコの原材料のカタクチイワシが良く取れる。昆布は昔から北前船の西回り航路で蝦夷地から大阪まで運ばれてきた。江戸時代からニンベンの鰹節というのが有名だが、江戸で鰹節を作っていたわけではない。鰹節は様々な流通をしているようだが焼津や枕崎で作られたものが全国に流れている。落語にもこんな小話がある。

「カツオってどんな字だっけ?」
「ニンベンだろ」

 脱線した。だしと味噌のコンビネーションに戻るが、 実際、食べてみても麦味噌の味噌汁にはカツオだしや昆布だしよりも、イリコだしの方がよく合うように感じる。味噌に含まれる遊離アミノ酸の種類が、米&麦(イネ科)、大豆(マメ科)で違っていて、だしの側の遊離アミノ酸の種類もイリコ、ふし、昆布で異なるため、旨みの相乗効果を発揮するコンビネーションが限られているのかもしれない。ヒトの舌が感じるアミノ酸によるウマミの相乗効果に関してこういう論文が出ていた。

Zhang, F. et al. Molecular mechanism for the umami taste synergism. Proc Natl Acad Sci U S A  (2008).doi:10.1073/pnas.0810174106

 昆布だしに含まれるうまみ成分のグルタミン酸とかつおだしに含まれるイノシン酸を合わせると、うまみが増す「相乗効果」が起きる。その仕組みに関するモデルを立てて、舌の表面にある「味覚受容体」と呼ばれるたんぱく質の一種「T1R1」分子に対するグルタミン酸とイノシン酸の結合の仕方をラットを使って実験的に確かめた研究。二枚貝の殻のようなT1R1分子の間にグルタミン酸が取り込まれた後で、イノシン酸が開閉部先端に結合すると、グルタミン酸が分子内に長く保持されるためにウマミのシグナルが長く続くらしい。

 味噌汁のだしと味噌のコンビネーションでもこの作用が・・・というのはいまのところ妄想。

 だが、だしに注目すると昆布はグルタミン酸、カツオはイノシン酸、イリコはグルタミン酸とイノシン酸の両方が含まれている。味噌の原材料の大豆と米(または裸麦)では貯蔵増たんぱく質のアミノ酸組成が異なることから、その分解産物のアミノ酸組成も異なる。おお、丁度良い論文があった。

植田 志摩子 “市販味噌のタンパク質・水分・食塩含量および遊離アミノ酸量について,” 帯広大谷短期大学紀要 35: 49-55. 

 これによると、

8.遊離アミノ酸量は1,036.5~3,416.lmg/100gであり、豆味噌>米味噌(西京白味噌除く)>加工味噌>麦味噌の順であった。
9.15種類の各アミノ酸において類似したのは、米味噌で淡色糸の純正米麹味噌と信州味噌が、そして、赤色糸の赤味噌と仙白味噌であった。
10.主な遊離アミノ酸量では、各味噌ともグルタミン酸が最も多く(106.6~746.1mg/100g、平均328.9mg/100g)であり、組成比で7.3~25.1%を占めていた。次いで、プロリン、アルギニン、ロイシンの順に多かった。

とある。

 つまり、味噌の遊離アミノ酸のうち最も多いものはウマミ成分でもあるグルタミン酸であり、麦味噌は各種の味噌の中でも遊離アミノ酸量がもっとも少ないことから(豆味噌の1/3しかない)、ウマミ成分も最も少ないと考えられる(豆味噌の1/7?)。また、麹と大豆の配合比率によって味噌に含まれるアミノ酸のバランスが変わることもわかった。

 このことから考えれば、単体でウマミ成分が少ない麦味噌に対しては、グルタミン酸とイノシン酸を同時に加えることができるイリコだしで味噌汁を作る方法は、あわせだしにしなくともウマミの相乗効果を単一のだしで引き出すことができる点で合理的な方法であると言えよう。

 そう考えると、津軽三年味噌(米味噌)+昆布だしという私の田舎の味噌汁の作法は、グルタミン酸(味噌)+グルタミン酸(昆布)なのでちょっと寂しい。まぁ、そのかわり具材に魚やカニが入って動物性のウマミ成分を補ってくれるのだけれど。

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2008年10月14日 (火)

愚問愚答

イチローは凄い。王貞治もすばらしかった。私は、北島康介にも感動したし、内柴正人もすばらしかった。特に、北島は200mを平泳ぎで早さを競ったのだ。 早ければよいのなら走ればもっと早いのに、わざわざ泳いでさえあんなに早かったのだ・・・と言ってしまうのは、個々の競技のルールに則って勝敗を競うス ポーツというものの本質を理解していない証拠になるだろう。

スポーツを極めると「何の役に」というのは、このように誰が考えても愚問であろう。芸術も然り。

実は、科学も本質的には「何の役に」と言うことを指向してはいない。自然哲学として始まった科学の成り立ちからして、何かの役に立とうとは考えてこなかった。基礎研究とは本来そうしたもので、言うなれば精神的な文化活動だ。

一 方、科学とは別に実用的な必然性から発達してきた技術(technique)は、生まれた時から「役に立つ」ことを目指して進化してきた。技術は進化の過 程で科学の果実を取り込んで工学(technology)へと変貌を遂げてきた。単なる経験の束ではなく、体系的な知へと変化してきた。技術や工学は、文 化ではなく物質文明に根ざした活動といえるかも知れない。しかし、日本ではScience & Technologyを一緒くたにして「科学技術」と呼ぶ。せめて「科学・技術」と区別してほしいものだが。

科学の発展が工学の発達を促す例はいくらもある(原子力発電も然り)。逆に技術の発展が科学の証明に役立つこともある(スーパーカミオカンデの光電子増倍管も然り)。しかし、一般的には科学は研究者以外の飯の種にはなり得ないものだ。

以下の論説は、一種の壮絶なギャグ、かもしれない。産経新聞より。
http://sankei.jp.msn.com/science/science/081013/scn0810130913002-n1.htm

【風を読む】論説委員長・皿木喜久 「何の役に」は愚問である

2008.10.13 09:12

 ハワイ島に設置されている大型望遠鏡「すばる」の開発にあたった天文学者、小平桂一さんは、予算措置を要望するため に会う政治家や官僚から、決まってと言っていいほど、同じ質問を受けた。「宇宙の果てを見たいのです」という小平さんに「それが何の役に立つのですか」 だった。

 著書『宇宙の果てまで』に書いている話である。何億もの税金をかける計画だから当然かもしれない。小平さんは科学の歴史をひもときながら答えたようだがはて、どこまで理解されたか。

 今年のノーベル物理学賞に決まった京大名誉教授、益川敏英さんたちも同じような質問を何回も受けたに違いない。こちらは「宇宙の果て」ならぬ「宇宙の成り立ち」をさぐる素粒子の研究だ。

 大型望遠鏡と違い、鉛筆と紙とがあればいい。膨大な予算など必要としない。それでも「何の役に…」と冷たい視線を向けられたこともあるだろう。

 だがこれは「愚問」と言える。「宇宙の生成」など人間の知的探求心が究極的に行き着く課題である。そんな探究心があって初めて技術開発も成り立つ。日本でも湯川秀樹、朝永振一郎氏らの世界的に優れた基礎研究があったから、技術立国も経済繁栄も可能になったのだ。

 だが今、大学でも企業の研究所でも商品開発などに「すぐに役立つ」研究が花盛りである。愚直でも知的好奇心を満足させる基礎研究はおろそかになっている気がしてならない。

 一度に3人のノーベル賞受賞で日本中が沸いた。果たしてこの熱気で伝統の基礎研究が見直されることになるのだろうか。なってもらわねば困るのだが。


日本でも湯川秀樹、朝永振一郎氏らの世界的に優れた基礎研究があったから、技術立国も経済繁栄も可能になったのだ。」という部分が本音であれば、筆者の理解では、結局のところ基礎研究の意義は”お金”ということになろう。

”「何の役に」は愚問である”・・・それは全くその通りだ。しかし、”世界的に優れた基礎研究があったから、技術立国も経済繁栄も可能になった”という答えもまた愚答である。

研究者に向かって、「何故研究するのか」とか、「何の役に立つのか」と尋ねるのは愚かしい。アスリートや芸術家に向かって「何故泳ぐのか」、「なぜ音楽を演奏するのか」と問うたり、「何の役に立つのか」と問うのと同じくらい無駄なことだ。

答えは「そうしなければ生きていけないから」、あるいは「そうしなければ生きている気がしないから」ということになるだろう。新聞等で今回のノーベル賞受賞者の下村博士の生活を垣間見るにつけそう思う。

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