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遺伝資源

2013年3月13日 (水)

知ってか知らずかSMTA

 食料・農業植物遺伝資源条約(ITPGR)という国際条約があります。これは条約事務局がFAOの中に置かれている国際条約で、農作物の遺伝資源の国際取引に関する事実上の国際標準ルールを定めていて、遺伝資源が世界中で広く使われることを目的としています。
 この条約のルールに従って植物遺伝資源を取引する際には「標準材料移転契約書」(Standard Material Transfer Agreement)、略して"SMTA"という契約書が使われています。この契約書の第6条には遺伝資源の受領者の義務の一つとして、次の規程があります。

6.7 In the case that the Recipient commercializes a Product that is a Plant Genetic Resources for Food and Agriculture and that incorporates Material as referred to in Article 3 of this Agreement, and where such Product is not available without restriction to others for further research and breeding, the Recipient shall pay a fixed percentage of the Sales of the commercialized Product into the mechanism established by the Governing Body for this purpose, in accordance with Appendix 2 to this Agreement.

6.7 受領者が、食料農業植物遺伝資源であり本契約の第3条に規定されている契約材料を組み込んだ成果物を商業化する場合で、かつ、その成果物が更なる研究と育種のために他者が制限なく利用できない場合には、受領者は、本契約の付属書2に従って、商業化した成果物の売上高の一定割合を、締約国理事会がこの目的のために設立した機構へ支払わねばならない。

 要するに、受領した遺伝資源を使って商業品種を育成した場合でも、その品種をさらに育種に使っても良い場合には、金銭的な利益配分を免除されると言うルールです。

 話は変わって、Monsato社が遺伝子組換え作物の種子の購入者と交わす契約書について。この契約書は”Monsanto Technology Stewardship Agreement”と呼ばれています。略して"MTSA"・・・何かに似てますね?この契約書の目的は、Monsantoの特許技術の囲い込みです。
 このMTSAには、種子の購入者の義務として次の一文が書かれています。

Grower may not plant and my not transfer to others for planting any Seed that Grower has produced containing patented Monsanto Tehnologies for crop breeding, research, or generation of herbicide registration data.  

つまり、育種、研究、除草剤登録のためのデータをとる目的でのMonsantoの特許技術を含む種子の栽培や譲渡を禁止する条文です。
 "SMTA"と"MTSA"字面は似ていても、求めるものは正反対。さて、ITPGRの事務局の人達はMTSAのことを知った上で、条約の契約書をSMTAと名付けたんでしょうかね・・・だとしたら結構な皮肉屋ですが。

2012年8月23日 (木)

玄米のサイズの簡単な測り方

 いつものように、まず忙しい人のためのサマリー。

今回は忙しい人に有益な情報はありません。忙しい人は帰った帰った。

 では、夏休みの自由研究っぽいネタを一つ。
 お米、玄米の大きさは品種ごとに違っています。遺伝資源としての特性を調べる場合も、米粒の長さと幅を調べて記録しています。玄米にも様々な形があって、たとえば、黒くて長いこんなの(アクセション番号、JP 84584)や、

Image1
良く見慣れた感じのこんなの(JP 9587)、
Image2
農業生物資源研究所のジーンバンクで公開されているデータによると、玄米の大きさの全体的な分布は、長さ(単位はmm)、
Len
幅は、
Width
こんな感じです。データとしては、長さは最小値: 2 / 最大値: 15.3 / 平均値: 5.54 / 中間値: 5.4、幅は最小値: 1.3 / 最大値: 8 / 平均値: 2.83 / 中間値: 2.9(単位はmm)。(XYプロットの方が見やすいけど、面倒なのでご免なさい。)

  これらのデータの測定の方法は、農業生物資源研究所のジーンバンクで公開されているマニュアルの測定方法によると「投影機又はダイアルゲージ等により測定した玄米の長さ」とあります。まあ、どちらの方法も結構マニアックな特殊な装置でもって一粒ずつ測る訳です。でも、これってめんどくさくないですか?正直に言うと私はめんどくさいです。できれば、もっと楽をしたいのが人情というものです。そこで、もう一度マニュアルの測定方法を見ると「投影機又はダイアルゲージにより」とあるんですね。””、というのが素晴らしい。他の方法でも良い訳です。 

 そこで、「画像解析ソフトウエア」の力を借りることにしました。「画像解析ソフトウエア」といっても、別に高価なものではありません。元々はアメリカのNIHで開発され公開された画像解析用のフリーウエアに"NIH Image"というのがあります。最近は、Javaで動かせる"Image J"というバージョンが公開されているので、それを使うことにしましょう(インストールの仕方はググってね)。

 ためしに測定してみるのに、既に撮影済みの玄米の写真を使わせて頂くとしましょう。またまた、農業生物資源研究所のジーンバンクのデータベースのご厄介になります。こちらでスケール(物差し)と一緒に撮影した米や籾の画像が公開されています。これをダウンロードしてきて、次のような手順で玄米の大きさを測ります(正確に言うと、これは”測定”というよりは”推定”なんですけどね)。
---
Image Jの"Analyze Particles"機能を利用して玄米のシルエットを楕円に近似して長径、短径を測定する。
1.ダウンロードした、JP 8987、カマリワセの画像をImage Jで開く。
1st_image
※ 今時の家庭用のデジカメでも、二万円以下の製品でこのくらいの倍率の画像は苦もなく撮れてしまいます。凄い時代になったものです。
2.[モノクロ化]Imageメニューを開き、Image type を8-bitに変換。こんな感じ。
2md_image
3.[反転]Editメニューでinvertして画像を反転する。
3rd_image
4.[二値化] ProcessメニューでBinary→Make Binary(他の方法もあるけれどMacroに入れるにはこれが良いかも)。
4th_image
5.[穴埋め]ProcessメニューでBinary→Fill Holes(計測時に穴埋めするので無くても良いかも)。
5th_image
6.[輪郭抽出]ProcessメニューでBinary→Outline。
※ ここまではマニュアルで操作する部分はほとんどないので、大量処理の際にはMacroに組んでしまうと良いでしょう。
6th_image
7.[スケール取得]直線スケールアイコンで物差しを20または30 mm分選択。AnalyzeメニューでSet Scale。1ピクセルあたりのmmを指定する。
8.Analyzeメニュー→Set Measurementsで、Fit ellipseにチェック(楕円のパラメータを取得する)
9.Analyzeメニュー→Analyze Particles。 (include holesにチェック、Sizeの範囲は、100-Infinityとして、ゴミを除外。)
7th_image
10.楕円に近似した推定結果は次の通り。単位はmm。(Majr=長軸、Minor=短軸、Angle=楕円の傾き)

No.  Major      Minor     Angle
1     5.110     2.948     110.295
2     5.149     2.887     63.639
3     5.478     2.987     21.950
4     5.417     3.181     0.711
5     5.671     3.241     104.457
6     5.249     3.065     120.643
7     5.301     3.019     36.187
8     5.204     3.056     99.484
9     4.755     2.869     56.361
10     5.382     3.042     177.739
11     5.176     2.909     104.931
12     5.364     3.235     128.090
13     5.361     2.964     45.436
14     5.567     2.865     22.693
15     4.872     3.059     51.738

 平均値をとると、楕円の長径(玄米の長さ) x 楕円の短径(玄米の幅) = 5.27 x 3.02 mm

11.もとの画像とのずれを確認 (別の方法で測定済みのサンプルで校正できると言うことはないのだけれど、おためしなのでこのくらいでご勘弁。まあまあ大体のところは合っているかな~という感じ)。
8th_image
 もともとの測定法では、調査粒数が5粒なので、適当な数のサンプルを一気に測定するこちらの方法の方が真の値に近いかもしれません。従来の方法で測定した玄米の大きさのデータは、農業生物資源研究所のジーンバンクで公開されている「植物遺伝資源の検索(特性)」データベースで見ることができます。たとえば、例に挙げたJP 8987、カマリワセであれば”JP番号”の窓に8987と入力すると特性データが出てきます。この系統の玄米の大きさは、長さx幅=5.7 x 3.1 mm(2009年、茨城)、3.8 x 2.2 mm(1998年、茨城)とありますので、この方法で測定した値、長さx幅=5.3 x 3.0 mmは従来の測定値の範囲に収まっています。一長一短はありますが、画像データを取りながら手軽に測定できる割に、そこそこの値が出るのならまずまずの方法ではないでしょうか。
 なお、この測定方法は玄米の大きさの数値化の前に、画像化のプロセスが入っているのでどうしても撮影レンズによる画像のわずかなゆがみや、照明むらや米粒によってできる影の影響を受けます。もし、より測定精度を高めたいのであれば、撮影にあたってリングライトで光をあてる、玄米を無反射ガラス板や低反射アクリル板に載せて背景に玄米の影がおちないように工夫する、画像のゆがみの少ないマクロレンズである程度被写体から距離を取って形のゆがみが出にくくするなど、画像解析の入り口で、測定の目的にあわせた撮影方法を工夫する必要があります。

 さて、以上がご家庭でもできる手軽な玄米の大きさの測定法講座でした。

 ちなみに、この方法は断面の形状が楕円に近い種子であれば、大抵のものに使えます。ただし、アズキやササゲは、輪郭が四角すぎてどうもうまくいませんでした。

2012年7月30日 (月)

「生物資源」だったり「遺伝資源」だったり

8月5日まで、生物多様性国家戦略の改定(案)についての意見募集が行われているので、関連して考えていたことのメモ。忙しい人のためのサマリーはこちら。

  • 「遺伝資源」は「生物資源」の中でも、「価値」を有し、「遺伝の機能的な単位」を有するものを言う。
  • 「価値」や「機能的な単位」は、人類の都合や、それぞれの時代の技術水準によって変わる。
  •  実験植物としてのシロイヌナズナの成立過程や、動物の体細胞クローン技術の変遷を通じて、「遺伝資源」というものの輪郭の曖昧さを概観する。
  • 今後、名古屋議定書の批准と発効に向けて「生物資源」については、入手ルート、入手時期、入手の目的など記録の保管が一層重要になるだろう。

 日本の国内法である生物多様性基本法も、生物多様性条約(Convention on Biological Diversity)(CBD)の担保法であることから、まずCBDにおける「遺伝資源」というものの考え方について整理しておきます。
 生物多様性に関わる枠組み条約としてはCBDが1993年から発効しており、日本もこれに加盟しています。CBDは、「生物の多様性の保全、その構成要素の持続可能な利用及び遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分をこの条約の関係規定に従って実現することを目的」としており、「その構成要素」の一つに、「生物資源」があります。

 ここで、「生物資源」と「遺伝資源」という二つの用語が登場します。CBDでは第二条で、それぞれ次のように用語の使い方が示されています(註:「定義」では無く、「用語の使い方」。つまり、文脈に依存せず何時如何なる場合でも適用できるのが「定義」、「この文書での言葉の使い方」を示すのが「用語の使い方」。国際条約では往々にしてあることらしいのですが、定義しようとするとその時点で話し合いが紛糾するようなセンシティヴな問題について合意を取り付けたい場合には「定義」はしないよう。)。

  • 生物資源」には、現に利用され若しくは将来利用されることがある又は人類にとって現実の若しくは潜在的な価値を有する遺伝資源、生物又はその部分、個体群その他生態系の生物的な構成要素を含む。("Biological resources" includes genetic resources, organisms or parts thereof, populations, or any other biotic component of ecosystems with actual or potential use or value for humanity.)
  • 遺伝素材」とは、遺伝の機能的な単位を有する植物、動物、微生物その他に由来する素材をいう。("Genetic material" means any material of plant, animal, microbial or other origin containing functional units of heredity.)
  • 遺伝資源」とは、現実の又は潜在的な価値を有する遺伝素材をいう。("Genetic resources" means genetic material of actual or potential value.)

 「遺伝資源」を言い表すために、「遺伝素材」という新しい用語が登場しました。単純化のために「遺伝素材」という言葉を使わずに「遺伝資源」を言い表すと次のようになります。

  • 遺伝資源」とは、現実の又は潜在的な価値を有する、遺伝の機能的な単位を有する植物、動物、微生物その他に由来する素材をいう。

 コンパクトにまとめると、「遺伝資源とは、(現実・潜在的に)価値のある生物由来の素材をいう」。ここで、「価値のある」(of actual or potential value )という微妙な言い回しが使われていますが、それは人類が遺伝素材(Genetic material)を何らかの形で利用したか、利用する意図を持った場合に、初めて遺伝素材が遺伝資源に変わることを意味すると考えられるためです。言い換えると、だいたい「生物資源」=「(まだ)価値のない遺伝素材」+「遺伝資源」となります。

 「価値」によって「遺伝資源」になったものの例として、植物科学分野で実験植物としてよく使われているシロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)を例示します。シロイヌナズナは1577年にドイツの山地で発見が報告されてから、ながらく人類に利用されることはありませんでした。遺伝学用の実験植物として利用され始めたのは1943年頃(F. Laibach first summarized the potential of Arabidopsis thaliana as a model organism for genetics in 1943 - he did some work on it much earlier though, publishing its correct chromosome number in 1907.)。つまり、CBDの考え方に沿ってシロイヌナズナのあり方の歴史的な展開を眺めるならば、シロイヌナズナは発見されてからの四百数十年間は生物資源ではあったけれども、人類に利用価値が認められていない間は、単なる生物資源だったか遺伝素材ではあるが遺伝資源ではなかったことになります

 資源(Resources)と並んで遺伝資源と言う言葉を成り立たせているもう一つの要素である遺伝(genetic, heredity)についても言及しておきます。遺伝に関わる表現は、CBDではgeneticと、heredityの二つ(よく使われる遺伝を意味する英単語にはこのほかにinheritanceもあります)。CBDでは日本語の「遺伝」と言う名詞には"heredity"という名詞が充てられています。「遺伝素材」という用語の使い方としては、「遺伝の機能的な単位を有する植物、動物、微生物その他に由来する素材をいう。」とあり、またしても「遺伝の機能的な単位」という、微妙な言い回しが使われています。

 「遺伝素材」とは何でしょうか?ある素材が「遺伝の機能的な単位」を含んでいると言えるかどうかは、DNAという物質を含んでいるかどうか(ウイルスの場合はRNAもある)という物理化学的な性質のみで決まるものではなく、「機能する」単位を含んでいるかどうかで考えることを意味するでしょう(この点について「遺伝素材は事実的存在」であるとする立場もあることは承知しています。しかし、機能単位は構造単位ほどに物理化学的に明確な実体では無いことを強調しておきます)。ただ、ここで言う「単位」の最小のものが遺伝子(概ね機能単位であって、必ずしも構造単位ではありません)なのか、ゲノムなのか、配偶子なのか、細胞なのか、胚なのか、個体なのかは、国際的にも統一見解は無いところです(法律家は科学的な実体にまで踏み込まないので)。途上国側は「加工品であれ、(極端な場合は)データとしての遺伝情報であれ、遺伝子に由来するものは全部」というスタンスで、この議論はことあるごとに色々なところで20年もの間(CBDの策定時期から言えばそれ以上の期間)繰り返されています。

 途上国側の何でもかんでも「遺伝資源」という主張は、CBDの中で階層的に規定された「生物資源」等の用語を空文化するもので、条約の趣旨に合致しないのだけれど、「分裂しかしない細菌の遺伝をどう考えるのだ」とか「栄養繁殖しか確認されていない高等生物やウイルスでは、遺伝するとかしないとかの機能単位でものを考えるの?」と、まさに生物の多様性故に言葉にうまくおさまりきらない問題を内包しています。
 
  私は、これまで遺伝子組換え技術の研究分野から、動物の体細胞クローン技術を見てきました。この技術は、遺伝子組換え技術とは直接の関係は無いけれども、体細胞クローン家畜の食品安全性評価に関わる行政分野は、遺伝子組換え食品についての食品安全性評価とよく似た原則に則って行われていることから、遺伝子組換え植物やカルタヘナ法、食品衛生法と関わる研究分野における関心の対象となっています。いま、私は農業生物資源における生物多様性に関わる研究分野の視点から、動物の体細胞クローン技術を改めて見ています。
 
 この15年ほどの動物の体細胞クローン技術をつまみ食いしてみると色々なことが判ります。

 世界初の体細胞クローン動物、羊のドリー (5 July 1996 – 14 February 2003)の出現は、1993のCBDの発効後です。ドリーの胚は、卵子を提供した羊と、体細胞の核を提供した羊との二頭の羊の遺伝資源に由来します。「卵子と精子を提供した二頭の羊」の両方が遺伝資源である点について論争の余地はなかったように思われますが、体細胞の提供親(親?)とドリーの関係は世代交代を経ないクローン増殖(栄養繁殖)なので、生物学的にはあきらかに”遺伝”ではありません。この状況をCBDの視点から遺伝と言えるかどうか、若干微妙な位置にいるといえます。

 もっと微妙なケースを見てみましょう。

 2008年の理化学研究所の発表。16年間凍結保存していたマウスの死体から取り出した体細胞の核を移植してクローンマウスの作成に成功した事例があります。つまり、冷凍されていたマウスの死体は個体再生する手段が世の中に無い間は、体細胞クローン技術を応用する素材ではありませんでした。しかし、16年目にして技術革新によって「遺伝資源」になった、ということです(論文はこちら)。

 なお、同様のケースは和牛でも行われています(保存条件は-80度で10年間とのこと)。
Hoshino, Y. et al. Resurrection of a Bull by Cloning from Organs Frozen without Cryoprotectant in a −80°C Freezer for a Decade. PLoS ONE 4, e4142 (2009). <http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19129919>

 つまり、これは和牛の冷凍精液や凍結受精卵だけでなく、既に生物では無い冷凍肉でさえも体細胞クローン技術の応用で遺伝資源として利用可能な時代になってきたのだ、ということを意味しています。技術の進歩が素材の利用価値を高め、資源にすることがあるという例です。

 日本はCBDの第10回締約国会合で議長国としてABS名古屋議定書をとりまとめ、署名しました。これは、批准する意志があるという国際的な意思表示ですから、いずれはそれに対応した国内措置も採られるようになるでしょう。その場合、遺伝資源だけで無く生物資源の入手ルートや、入手時期、入手目的についても記録して長期保管することが必要になると考えられます。ABS名古屋議定書第10条の決着如何では、今後実施される国内措置によって、研究者が生物資源だと思っていた実験材料が、いつの間にか遺伝資源として扱われるようになり、さらに利益配分の対象になる可能性も決して小さくはありません。

 なお、今回の生物多様性国家戦略の改定(案)でも「生物資源」や「遺伝資源」といった意味内容が高度に専門的な用語が使われていますが、(案)では用語解説は特に用意されていません。パブコメで意見を寄せる場合には、これらの用語の使われ方に対する理解が必要なので、それなりの勉強はしておかなければならないのが結構大変です。

2012年6月11日 (月)

今日は文科省の「カルタヘナ法とABS名古屋議定書説明会」に参加した。

 まだ発効していない議定書の説明会を何故するのか? しかもカルタヘナ法との組合せで? という、もやもやした疑問については、6/8(金)の文科省と神戸大学のプレスリリースで氷解した。

概要

1.    平成24年4月26日、国立大学法人神戸大学から、平成21年に「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」(平成15年法律第97号)に基づく手続きを執らずに、遺伝子組換え実験が行われていた疑いがあるとの連絡を受け、同27日に同大学に対し現地調査を 実施し、さらに、5月23日、同法第30条に基づき事実関係等の報告を求めたところ、6月6日、同大学より報告がありました。

同大学からの報告の概要は以下のとおりです(詳細別添)。
  1)平成21年4月から8月にかけて、同法に基づき、予め文部科学大臣に拡散防止措置の確認を受けなければならない遺伝子組換え実験について、この確認を受けずに実施していた。
  2)原因は、大学における実験管理が不十分であったこと、及び、実験従事者に対する同法等に関する教育研修が不十分であったことによるもの。
  3)なお、当該実験については必要な拡散防止措置が執られており、生物多様性への影響等はなかった。
  4)今後、同大学において、実験関係者への再教育、実験室ごとの管理体制の見直し、定期的な実験内容の実地調査等の再発防止策を実施する。

2.    同大学からの報告を受け、本日、文部科学省は、同大学に対して、再発防止のための措置を徹底するよう厳重注意を行うとともに、今後の同大学における再発防止策の実施状況について報告を求めました。

3.    文部科学省としては、このような事態の発生防止のために、引き続き、法令の理解及び遵守について周知徹底を図っていきます。

(カルタヘナ法違反については特に争点になりそうなところは見られないので、以下ではCBD関連にトピックを限定します)

 神戸大学の発表によると、2008年にインドネシアの国内規制に反して、H5N1インフルエンザウイルスの遺伝子及び感染疑いのある動物の鼻腔拭い液等(「等」にはH5N1インフルエンザウイルスの遺伝子も含まれる)の持ち出しも行われたとされている。ABS名古屋議定書はまだ発効していないが、生物多様性条約(CBD)は1993年から発効しており、我が国(1993年批准)もインドネシア(1994年批准)も締約国である。従って、条約を守る義務を負っている。

 CBDでは遺伝資源提供国の中央政府、地方政府等国内法で定める遺伝資源の権利者からPrior Informed Consent (PIC、事前の情報に基づく同意)を得た上で、Mutually Agreed Terms (MAT、相互に合意する条件) に従って遺伝資源にアクセスし、その利用から生じる利益を配分することになっている。資源提供国の国内法に規定が無い場合は、何を以てPIC、MATであると言えるのか難しい部分はある。インドネシアの場合も国内法や規則で遺伝資源にアクセスするための手続きが明示的に決められていない(JBAの情報による)。
 従って、神戸大学の一件は、

  • CBDのレベルでは、遺伝資源提供国政府等の同意のない状態で遺伝素材(遺伝資源とまで言えるかどうかは微妙)の国外への持ち出しが行われたことから、条約に違反している疑いは否定できない。
  • インドネシアのCDB関連国内法との関係で言えば、PIC-MATに関わる実際の手続きを決めた法律がないので、遺伝素材の持ち出しに限って言えば、明らかに違法とまでは言えない。
  • ただし、遺伝資源へのアクセスに関する明示的な規制が無い場合は遺伝資源提供国の研究者との共同研究を通じて遺伝資源を利用させて頂くケースが多いのだ が、インドネシアでは1993年大統領令第100号で外国の提携相手との共同研究を規制している。この点について、インドネシアの国内規則に違反している 可能性が高い。

と考えられる。結局、曖昧な点が非常に多いまま。

 ところで、説明会ではABS名古屋議定書を批准した5カ国(Gabon、Jordan、Mexico、Rwanda、Seychelles)について渡辺生命倫理・安全対策室安全対策官から紹介があった。「おそらく、ABS国内法も整備されているでしょう」と。

 条約の批准あるいは受諾という手続きは、日本では国内法の整備が必要な場合には国会決議が必要で、今のような混沌とした国会情勢ではなかなか批准できない。一方、国によっては行政府と議会の長を兼ねる大統領が大統領令を一発出すだけで批准できる国もある。ただし、大統領令には細かな行政手続きに関する規定がない場合が少なくないので、批准はしてもABS国内法や関連する手続きは未整備と言うケースもある。日本の行政官の感覚では、法的拘束力のある条約に加盟したのに国内制度が未整備というのは信じられないかもしれないけれども、海外の色々な事例を見ると法律はあるけれど具体を決めた省令がないケースや、省令だけあって法律がないケースも少なくない模様。

 さて、実体は如何?国内法を調べるのは結構大変なので、具体的に遺伝資源を貰いたい場合まで保留することにします。(Mexicoは関係してきそうだけれど、あと4カ国はまず関係ないかな)

2011年7月12日 (火)

種苗法か特許法かそれが問題だ –育成者権をどう確保するか-

忙しい方のためのサマリー

  1. 合衆国と日本ではWTOのルールに従い、特許法と種苗法の両方で植物の品種の保護が可能。
  2. 特許法による保護の対象は品種そのものに限らず、遺伝子+導入技術+表現型+製造物の利用方法の組合せ。
  3. 農民の特権は特許権に対抗できない。特許権の設定された種子の自家増殖には権利者の許諾が必要。
  4. 特許協力条約(PCT)の方が、UPOV条約よりも国際出願に向いているので、特許の方が便利。

 これまで述べてきたような多収品種の育成、言い方を変えれば新品種という高性能の生産資材を作り上げる事業(育種事業)は、規模と労力の点からも個人経営の農家の手に負えるものではなくなっている。その役割は、かつては公的機関が担ってきたし、今日では民間で様々な農作物の品種育成が行われている。植物育種の対象は主要農作物だけでなく、大抵の野菜、花、イグサ、サトウキビ、牧草、ゴマ、ヤーコンなどほとんどあらゆる農作物に及んでいる。公的機関の行う育種事業には税金が社会資本として投入されるのだが、民間の育種事業にも時間と労力を投資して働く人がいる以上、報酬は必要であり事業を再生産し企業として成長するために収益を上げなくてはならない。そのため、品種の開発者に独占的な使用権を占有させる仕組みとして、これまで述べてきたような法的な枠組みが設けられている。日本では種苗法等、合衆国ではPVPA等がそれに当たる(等の話は後で)。もっとも、法的枠組みがなくても、適正な価格で開発者が利益を上げられれば実施権の占有は必要ないのだけれど。

  こうした制度で保護される植物の「品種」とは、ある特性を具えた増殖可能な植物の集合体であって、実は固定的な“物“としての実体ではない。もちろん、タネや苗木という”物”は実体としてあるのだけれども、「品種」はその(遺伝的な)特徴あるいは属性で規定される集合体である(大雑把に言えば、タネと品種の特性の関係はDVDという“物”と、そこに記録されている音楽や映像、プログラムなどのソフトウエアとの関係に似ているかも知れない)。そのため、新しい「品種」に対して設定される育成者の権利(育成者権)は、特許権や著作権のような知的財産権の一つとして国際的にも認められている。

 一方、WTOのルールの下で知的財産権に関する国際的取り決めであるTRIPS協定では育成者権の保護のため各国が執るべき法的な措置について次のように定めている。

第5節 特許

第27条 特許の対象
(3) 加盟国は,また,次のものを特許の対象から除外することができる。
(b) 微生物以外の動植物並びに非生物学的方法及び微生物学的方法以外の動植物の生産のための本質的に生物学的な方法。ただし,加盟国は,特許若しくは効果的な特別の制度又はこれらの組合せによって植物の品種の保護を定める。この(b)の規定は,世界貿易機関協定の効力発生の日から4年後に検討されるものとする。

※ 特許の除外対象から、ただし書きで保護を求めている。

 つまり、WTOのルールの下では品種の保護の方法は1. 特許、2. 効果的な特別の制度、3. これらの組合せの三つのオプションがあり、そのどれを採るかは各国の裁量の範囲である。これが上で述べた「種苗法等、合衆国ではPVPA等」の”等”にあたる。こうした日本、アメリカ、欧州での品種保護の制度の運用については、一般財団法人 知的財産研究所の特許庁委託産業財産権研究推進事業報告書、ムリエル・ライトブルーンによる”日米欧における植物保護と知的財産権”(2004)(PDF)に包括的に解説されているので、詳しくはそちらを参考にしていただきたい。

 この報告書によれば、合衆国の特許法による植物品種の保護は1. 植物発明法に基づく植物特許による輸入・販売の規制。保護期間は20年間(栄養繁殖作物限定?で利用例は少ないようだ)。 2. 特許法に基づく通常特許。2001年に最高裁判決があり、植物という生物に関係する発明に対しても「重要なのは、生物と無生物の区別ではなく、自然の産物とそれが生命を有しているかどうかにかかわらず人の手によりなされた発明の間の区別である」として、特許法による保護が可能であることが確認されている。

 日本でも、特許法による植物品種の保護は限定的に可能である。ただし、通常の交配で得られた品種については「進歩性」を欠くとして特許は認められない。また、植物品種の保護が認められた最高裁での判例も1例のみであり、特許法で可能な保護の範囲については、実績を重ねなければ確定できない部分が出てくる状況である。 合衆国、日本とも、特許法による権利の保護の期間は出願から20年間(種苗法は品種登録の日から25年。特許法と違って出願ではなく登録の日)。遺伝子組換え技術で育成された品種の保護の範囲については、「品種」を対象にしたものではなく、特許の請求項にある作成方法や導入した核酸、親系統の遺伝子型、表現型、利用方法との組合せなど、出願者の側で保護の対象範囲を請求できる(それが実際に認められるかどうかは、ケースバイケース)。従って、特定の導入遺伝子についての特許が成立すれば、それを利用する全ての品種が、自動的に保護の対象になる。

 次に、種苗会社にとって特許法による権利確保は、種苗法やPVPAには見られない大きな利点がある。PVPAについて既に述べたように、育成者権に対抗する権利として” Farmer’s previlage”(農民の特権)が認められている。

PVPAでは育成者権を持つ者から合法的に買った種子の保存とは種用の増殖は、育成者権の侵害に当たらないと明言している(この適用除外はおそらく日本の種苗法の農家の自家採取の特例よりも強力である)。種苗会社が農家に売り渡す種子の価格が安ければ、農家はわざわざ自家採取しないだろうけれど、この条文は制度上、種苗会社は最初に農家に種子を売り渡したとき以外は収益を上げられない仕組みだということを示している。

 しかし、特許権に対しては権利者に対抗できる農民の特権は認められていない。従って、特許権の設定された種子は自殖性作物のものであっても、種苗会社にとってはF1品種と同様に毎年農家に売ることができる商材であり、特許権が設定された種子について農家が自家増殖を合法的に行うためには、権利者との間で特別の取り決めを交わす必要がある。

 特許法による権利確保は種苗法と比較すると権利の保護期間は短いけれども、一度出願した特許が成立すれば、導入遺伝子を共有する遺伝子組換え品種は数百品種でも数千品種でも、一件の特許で保護できる。出願審査請求と20年間の特許の維持費用は次の通り。

特許庁以外が国際調査報告を作成した国際特許出願: 151,700円+請求項数×3,600円
第4年目から6年目まで毎年 : 7,100円+請求項数×500円
第7年目から9年目まで毎年 : 21,400円+請求項数×1,700円
第10年目から20年目まで毎年: 61,600円+請求項数×4,800円

 請求項が多い程、審査費用も維持費用は多くなる。例えば、特表2008-545413(モンサント社の新型除草剤耐性ダイズRoundup Ready 2 Yield)では、請求項が25あるので、上記の計算に従えば20年間に支払う金額は、506,800円。

 一方、種苗法では品種ごとに出願(出願料47,200円/品種)し、登録し、維持のために年金(年間登録料36,000円/年(25年の場合))を払わなければならない。こちらは、25年間で137,200円。 大企業にとっては、むしろ申請業務に係わる人件費の方が大きな金額になるのだが、制度上支払わなくてはならない金額も、種苗法では1品種ごとに支払う必要があるため、4品種以上なら特許の方がお得だ。合衆国では手数料等は日本と事情が異なるものの、南北に広大な緯度帯にほぼ同時期に数百以上の品種を展開する企業にとっては、申請業務の手間は少ない方がよいだろう。また特許法による保護期間は短いけれども、よほど優秀な品種か果樹でもない限り、一つの品種を使い続ける期間は概ね10年位だろうから、種苗法による保護期間の長さはあまりアドバンテージにはなっていないかも知れない。

 特許法による権利確保のメリットは他にもある。種苗法やPVPAと同等の権利を加盟国で保証しているUPOV条約は、加盟国が69ヶ国であり、加盟国において育成者権の保護をしたい場合、それぞれの国の当局に対して申請手続きをとる必要がある。特許制度に関する国際条約である特許協力条約(PCT)の加盟国は144ヶ国(2011.6.23)とUPOV条約の2倍以上あり、しかも、「PCT加盟国である自国の特許庁に対して特許庁が定めた言語(日本国特許庁の場合は日本語若しくは英語)で作成し、1通だけ提出すれば、その時点で有効なすべてのPCT加盟国に対して「国内出願」を出願することと同じ扱いを得ることができ」るという、非常に便利なシステムが構築されている。この点で、UPOVでは、外国の出願者がそれぞれの加盟国の当局に対して、国民と同様に出願する権利は与えられるものの、PCTのように国内で出願すれば自動的に他国でも出願したと見なされる統一的な国際出願システムにはなっていない。ちなみに、合衆国はPCTにもUPOVに加盟しているので、合衆国モンサント社は日本法人を通さなくても種苗法に基づく品種登録をすることは制度上可能である。しかし、実際には特許法に基づく権利確保は申請しているものの、たとえばダイズでは種苗法に基づく申請は行っていない(http://www.hinsyu.maff.go.jp/ のデータベースで確認できるが、DuPontも同様に申請していない)。

 これは、海外展開をビジネスの基本とする多国籍企業は、UPOVの様に個々の国で申請業務が発生する仕組みよりも、PCTのように国際的なOne stop serviceの方が好まれると言うことを意味しているのかもしれない。

 以上見てきたように、特許権による権利確保は、通常の交雑育種で育成した品種には適用できず、種苗法よりも保護期間は短いものの、1. 特に自殖性作物においては農民の権利に対抗できること、2. 多数の品種を同時期に展開する種苗会社にとっては権利確保の手数料が安く手続きが簡便なこと、3. UPOV条約よりも国際対応が進んでおり手続きが簡略化されていること、といった利点を持っている。

 こうした制度を利用して、モンサント社が取得してきたRoundup Readyに関する特許の事例を次回以降で見ていきたい。

(この項、次回へ続く)

なお、余談であるが、かつて問題視されていた“サブマリン特許“については、公開出願制度が導入されて以来、基本的には発生しないようになっている*

2011年7月 7日 (木)

育成者の権利は保護されるべきか? -大学では教えてくれない育種学-

忙しい方のためのサマリー

  1. 新品種できるまでに1/1,000,000の選抜強度は当たり前。
  2. 近代的な育種によってトウモロコシの収量は1920年代の200 kg/10aから1.2 t/10aへと6倍になった。ダイズやイネでも20世紀後半の育種で大幅な収量増が可能になった。

近代育種の目指すところ

 農業生産資材としての種苗が在来品種だった時代には、現在の先進国においても「種子は農民の物」という主張も妥当だったし、参加型育種(PPB)が行われている途上国においても在来品種やPPBによる品種は農民のものという主張は恐らく妥当だろう。しかし、既に述べたとおり、近代の植物の育種は、農民ではなく公的機関や民間の事業者によって専業的に事業として行われてきた。こうなると、種子というものは買い取った農民のものであるけれど、生産性にかかわる「品種」としての特性は育種事業者の知的財産であるという二重性があらわれてくる。

 植物の「品種」としての特性は、作物ごとに要求される様々な性質によって決まってくる。それは収量であり、生育の早さであり、収穫物の品質(食味、果実の大きさと均一性、酸度、糖度、日持ち性、歯ごたえ、皮の剥きやすさ)であり、様々な耐病虫性であり、・・・とにかく生産者にとってメリットのある性質と、マーケットから要求される特性のうち、農家での栽培管理や加工による工夫では改善しがたいあらゆる性質の改善が育種に求められる(なかには、「とにかく儲かる品種」という横暴な要求まである)。育成品種を採点する育種家の目線で言えば、10^6位の選抜強度は当たり前、途中で重要な形質について馬脚を現した系統は欠点を隠して顧客に届けるわけにはいかないので開発の中止は当たり前、ということになる。

 新品種の開発には、時間と手間がかかっている。言い換えれば、投資しなければ高性能の品種は作れない。公的な機関の育種に関わる投資は税で支えられているが、民間の育種事業は種子の売り上げから研究開発にかった投資を回収し、次の研究開発に投資しなければ企業は存続できない。そのための最善の方法は「良い製品」を市場に投入し続けることだ(誰にとって良い製品?と言う議論はあるけれど)。

近代育種は何を達成してきたか

 最近ではF1品種や遺伝子組換え技術やに絡められて様々な批判をされている近代的育種だが、それはこれまでに何を達成してきただろうか?もっともわかりやすい指標は収量だろう。たとえば、トウモロコシ。イリノイ大学のDr. Brian Diersホームページには、以下のように1924-2008年の合衆国のダイズとトウモロコシの収量のグラフが示されている。

 単位がBushels/acreで日本人には馴染みのない単位なのだが、1Bushel(ブッシェル)は容積なので作物種によって異なるけれど、重量換算すると、トウモロコシ1ブッシェル=25.4 kg、ダイズ1ブッシェルは27.2 kgに相当する。1acre(エーカー)は、4046.85642 m2 = 約40aなので、1 bushel/acre = 6.3 kg/10aとなる。そうすると1924年には約230 kg/10aだったトウモロコシの収量は2008年には約1,300 kg/10a、ダイズは100 kg/10aそこそこから約240 kg/10aになっていったことがわかる。それぞれ、収量が6倍、2.4倍に増大している。

 日本のイネでも、農林水産省の作物統計によれば1960年の387 kg/10aから543 kg/10aに増大している。

Rice_2

 北海道のイネの生産性についてはもっと古いデータもある。これによれば、北海道のイネの生産性は90年間で約2.5倍になっている(冷害でない年について)。

高橋萬右衛門 (1979)北海道稲作の成立過程と将来の展望(北海道開発と技術移転)より

 国・地域レベルの生産統計に見られるこうした収量の向上は、化学肥料や殺虫剤、除草剤の普及の効果、栽培管理技術の支え、農業者の能力の向上もあって初めて達成できたものである。それ故に、肥料や農薬の多投が環境破壊を引き起こしているという批判もあることは承知している。それでも、もし初期の改良品種の生産水準が在来品種と同程度であったとすると、近代的な育種による農家の増収分は、20世紀後半の生産技術の変化に対応した品種を作り出すことによって可能になってきたことは間違いない。今日の世界の人口のある部分は、この近代的な品種の高い生産性によって現実に支えられていることも忘れてはならない。

 それでも、先進国において種子は農民のものと言う主張は100%妥当だろうか?私は、育成者の努力に報いる仕組みは必要だと思う。

(この項、次回へ続く)

2011年7月 6日 (水)

誰が作物の品種を作ってきたか? -育成者権との関係-

忙しい方のためのサマリー

  1. 約1万年の農耕の歴史の中で在来品種を作ってきたのは農民である。
  2. 近代の主要農作物の品種の育成は、アメリカや日本では公的な部門が担ってきたが、この30年程の間に民間部門の役割が大きくなってきた。

 「え、ムギにも品種があるんですか!」・・・オオムギの育種をしていた頃、そういわれて凹んだことがある。たしかに、品種名を前面に出さないで流通している農作物は沢山ある。オオムギ、コムギ、トマト以外の野菜の多く、豆。そういったものにも大抵は「品種」があって、それを作り上げてきた育成者が居る。
  (そういえば、サカタのタネで育成されたキュウリの品種に“さつきみどり”というものがある。育成者が五月みどりさんのファンなのかどうかは定かでない。)

  品種改良(育種)の歴史全般を語り出すと収拾が付かなくなるので、興味のある方には「品種改良の世界史・作物編」(悠書館、2010/12/16、ISBN-13: 978-4903487410)をお勧めする(\4,725とちょっと高いけれど、良質な情報は只では手に入らない)。在来品種の成立や、近代史の中で様々な作物が地球上の様々な場所で地道に改良されてきた歴史が語られており、一読していただければ今日の食料生産はそうした地道な作物の遺伝的改良の積み重ねの上に成り立っていることがわかることだろう。

 多くの作物には、在来品種あるいは在来種と呼ばれる多くの品種がある(在来種と言う用語は、生物多様性についての文脈において、品種ではなく、外来種と対で使われる生物種を指すことが多いのでここでは“在来品種“と呼ぶことにする)。在来品種は英語では”Indigenous variety”あるいは”Native variety”等と表現される。いずれも、”原産の品種”あるいは”土着の品種”という意味である。約1万年の農耕の歴史の中で作物の育種が意識的・積極的に進められてきたのは、この200年程のことなので、それまでの約1万年の農耕は・・・ほとんど全部ですね・・・それぞれの土地柄や人々による利用法に合った在来品種によって支えられてきたことになる。それを育て上げてきた人々が農民であると言う点は、遺伝学に基礎を置く今日の近代的な育種が専業とする人々に担われているのとは様子が異なる。

 途上国においては、今もこうした在来品種が利用されているが、そうした在来品種も20世紀中頃から各国政府やFAO傘下の国際機関が進める育種事業の成果である近代的な多収品種に徐々に置き換わってきている。それは単に政府の主導する政策だからではなく、生産性の高い品種を導入して農民が経済的に豊になれる数少ない機会であるためだろう。
 こうした状況は、食糧需給の量的な改善や途上国の農民の所得の向上という点で望ましいことではあるが、一方では農家において耕作を通じて維持されてきた在来品種の急速な消失にもつながってきた。そこで、1993年の生物多様性条約(CBD)の発効以来、FAOや各国が協力して各種作物のin situ conservation(生息域内保全)が盛んに行われるようになってきた。2010年にまとめられた植物遺伝資源に関するFAOの報告書”FAO the second report on the world Plant Genetic Resources”(PDF)においては、ここ10年間のこうした取り組みが一章を割いて報告されている。この報告書によれば、技術を持った人的資源の不足、資金の不足、各国の適切な政策の不在、農村コミュニティーの弱体化、外来種の侵入、気象変動等によって、生息域内保全が必ずしも上手くいっていないことが覗われる。要するに、生産性の低い在来品種については、これまでのような農民だけに依存した保全活動は既に世界各地で限界に達しており、政策的・資金的な支援も十分に行われているとは言い難い状況にある。

 一方、近代的な育種について言えば、20世紀に入ってからは、国や民間企業による主要作物の組織的な育種が盛んに行われる様になった。イネ、コムギといった主要穀類を例に取れば、日本では古く(1930年代)は磯永吉氏らによる蓬莱米育成のサクセス・ストーリーが有名であるし、国際的には、CYMMITのDr. Norman E. Borlaugらによるコムギの「緑の革命」、IRRIのチームによる多収イネ品種IR-8等の育成(こちらはBreederがDr. Jennings, Dr. Beachel, Dr. De Dattaなど)など、多くの事例に事欠かない 。ちなみに、IR-8のリリースは1960年代後半(少なくとも1966以降)で、それが徐々に広まるまでの間、バングラディシュ、インドなどを中心にMahsuriと呼ばれるインディカ稲(正確には日印交雑に由来する雑種)の品種が非常に広く普及していた。MahsuriはIR-8等の短稈品種の栽培に向かない地域では1980年代まで利用されていた(現在でも一部で利用されている)。こちらはあまり語られることはないのだが、1958年(昭和33年)から途上国の支援計画であるコロンボ・プランの一貫として日本の水稲育種の専門家4名(Y. Yamakawa, K.
Fujii, J. Kawakami, and S. Samoto.
)がイギリス植民地から独立して間もないマレーシアに派遣され、その育成にあたっていた(分子生物学に支えられた農業生物資源の利用と将来、2011、p. 35)。今と違ってODAの資金協力ができなかった時代のことである。

 イネやコムギのような自殖性作物では組織的育種の担い手が主に公的機関であるのに対して、合衆国のトウモロコシ育種では事情が異なっている 。トウモロコシは、雄花と雌花が別々のタイミングで咲くこともあり、代表的な多殖性植物(通常は自家受粉せずに他の花からもらった花粉で受精する植物)である。合衆国でも、自殖系統同士の交配による雑種強勢の研究自体は、公的研究グループによって1930年代前半から進められて来たが、一旦、雑種強勢育種法の理論ができあがってしまうと、1930年代中頃から事業ベースの育種はPioneer Hi-Bred社など民間で行われるようになってきた。近年、F1品種については農家が自家採取できないとか、民間企業が種子を独占する等様々な風説があるが、ことトウモロコシのF1品種の利用に付いて言えば既に70年以上の歴史があり、F1品種に固有の営農上の問題は知られていない。

 なお、合衆国の主要農作物育種について言えば、トウモロコシは前述の通り民間を中心に行われてきたが、コムギについては大学やUSDAなど公的機関を中心に進められている。USDAから2001年にPaul W. Heisey, Chittur S. Srinivasan, Colin G. Thirtleによる” Public sector plant breeding in a privatizing world”(民営化する世界における公共部門の植物育種)という報告書が公表されており、欧州や北米のトウモロコシ育種、コムギ育種等における公共部門の社会的な役割の重要性が強調されている。中でも、Table 5にはトウモロコシ、コムギ、ダイズ、ワタ、ナタネにおける民間育種の作付け割合の推定値が示されているが、これは非常に興味深い。例えば、合衆国のトウモロコシの民間育種の割合は1980年には既に100%で、1997年にも100%のまま。これが、コムギの場合になると1980年には民間の比率がわずか5%だったのが、1990年代後半には24%、同様にダイズでは1980→1997は8%→70-90%となっている。トウモロコシで飽和したシードビジネスがダイズやコムギにも拡大してきている様子が描き出されていようにも見える。このような報告が出された背景には、報告書の表題から伺えるようにUSDAの公的育種の役割の縮小に対する危機感があるのかもしれない。

 興味深いことに、ほぼ同時期2000年には英国の独立系シンクタンク(ODI)からRobert TrippとDerek Byerleeによる”Public plant breeding in an era of privatisation”という民営化の行政圧力下における農業研究のあり方を問う報告書が纏められている。こちらの論調はUSDAのそれと違っていて、民間育種の推進を公的研究機関がどう担い、補完するべきかという視点である。この違いは、両国の民間育種の活力の違いを反映しているのかもしれない。

 これらの国々では「作物育種」の担い手を取り巻く世界的状況は20世紀末から急速に民営化へと向かっていることを示している。それは丁度、日本において、農林水産省の試験研究機関が独立行政法人化した時期(2001年)が、奇しくもこれらの動きと一致している。

 私は個人的には、合衆国のトウモロコシで民間育種が拡大してきた背景には制度的な理由があると考えている。合衆国の種苗法PVPAでは、育成者権に対して権利が及ばない幾つかの例外を設けている。その一つは育成者権(Breeder’s rights)に対抗する農民の特権(Farmer’s privilege)である。

PVPA TITLE 7 > CHAPTER 57 > SUBCHAPTER III > Part K > § 2543 § 2543.
Right to save seed; crop exemption Except to the extent that such action may constitute an infringement under subsections (3) and (4) of section 2541 [1] of this title, it shall not infringe any right hereunder for a person to save seed produced by the person from seed obtained, or descended from seed obtained, by authority of the owner of the variety for seeding purposes and use such saved seed in the production of a crop for use on the farm of the person, or for sale as provided in this section. A bona fide sale for other than reproductive purposes, made in channels usual for such other purposes, of seed produced on a farm either from seed obtained by authority of the owner for seeding purposes or from seed produced by descent on such farm from seed obtained by authority of the owner for seeding purposes shall not constitute an infringement. A purchaser who diverts seed from such channels to seeding purposes shall be deemed to have notice under section 2567 of this title that the actions of the purchaser constitute an infringement.

 要するに、PVPAでは育成者権を持つ者から合法的に買った種子の保存とは種用の増殖は、育成者権の侵害に当たらないと明言している(この適用除外はおそらく日本の種苗法の農家の自家採取の特例よりも強力である)。種苗会社が農家に売り渡す種子の価格が安ければ、農家はわざわざ自家採取しないだろうけれど、この条文は制度上、種苗会社は最初に農家に種子を売り渡したとき以外は収益を上げられない仕組みだということを示している。

 種苗会社が研究開発のための資金を回収できる機会は、基本的に種子の販売以外にはない。この制度の下では、安定した能力の種苗を得るために毎年種子を買わなければならないF1品種では、種苗会社に経済的な動機が働くが、コムギのような自殖性の作物ではそれほど強力ではなかったと言うことを示しているのではないだろうか※※(同じ自殖性作物でもダイズはそうなっていない。これについては、また別の項であつかう)。

 ちなみに、一般財団法人 知的財産研究所の特許庁委託産業財産権研究推進事業報告書、ムリエル・ライトブルーン氏による”日米欧における植物保護と知的財産権”(2004)(PDF)によれば、「米国においては1924年まで政府による農業者への種子の配給が行われていた」とある。国土の広い合衆国のことであるから、政府による種子の生産がよほど大規模でなければ、それだけで農家の生産用種子への需要を満たすことができるとは考えにくい。もしかするとFarmer’s privilegeを広く認めることで、農家同士の種子の融通を積極的に行わせ、政府の負担を軽減させる狙いがあったのかもしれない。

Participatory Plant Breeding  (PPB)

 近代的な多収品種は在来品種とは生育特性が異なるため、水利や施肥の条件を整備できない農民にとっては、その潜在能力を十分発揮できないリスクがある。また、政府や国際機関による近代的育種は農民やNPOから見て実際の現場から乖離した「押しつけ」と見られる風潮がある。そこで、「緑の革命」への反省から1980年代から農民参加型の育種(Participatory Plant Breeding, PPB)というあり方が模索されている。これまた、本が1冊できあがるほどのテーマなので、軽く流す。詳しく知りたい方向けに、FAOの書籍(PDF)を紹介しておく。S. Ceccarelli, E.P. Guimarães and E. Weltzien (Eds.) (2009) Plant breeding and farmer participation (ISBN 978-92-5-106382-8).

 大雑把に言えば、試験場ではなく現地で、育種家だけでなく農民、育種家、遺伝資源研究者、社会科学者が、“socially correct”な育種を目指す取り組みである。それは、多収品種にあわせた営農方法を農家に求めるのではなく、農家と市場のあり方にあわせた品種を現地で開発するという視点の転換である。

 在来品種では達成できなかった多収性を持ちながら、伝統的な営農スタイルに寄り添い、緑の革命に代表される大きなinputを要求する品種ではなく、持続性の高い品種、理想は高いが現地密着型であるが故にその成果は地域を越えて広がる性質の物ではないため見えにくい物になりがちである。現在FAOを中心に途上国で複数のプログラムが進捗中であり、その成果が広く認知されるようになるまでにはまだ時間がかかるだろう。

 なお、このスタイルの育種では、在来種の選抜では育成者権は設定できないし、新品種を育成した場合でも、おそらくは育成者権が設定されることはないと考えられる (ただし、CGIARセンターの関与するプロジェクトの場合は育成者権を設定するかもしれない。金主によりけり)。

こんな具合に、今日もどこかの誰かが植物の品種を育成している。

(この項、次回へ続く)

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 佐本四郎先生の報告書:DC-7, Mahsuriの名はまだ付いていない? http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/54960/1/KJ00000132555.pdf

※※ 1970年に成立したPVPAがその後のコムギ育種のR&Dを進めた可能性についての計量経済学の論文がまとめられている。民間育種の割合が1970年の3%から1990年代の30%に増大した経緯を分析しているが、私の理解を超えているので紹介だけ。(素人なりには、仮説の検証に失敗しているようにしか見えない) Alston, JM. and Venner, RJ. (2000) The effects of the US. plant variety protection act on wheat genetic improvement

2011年7月 5日 (火)

植物の「品種」という状態

忙しい方のためサマリー。

農作物の「品種」とは、遺伝学・分類学的な線引きが出来るものではなく、大雑把に言えば外見上の特徴で他のものと区別できる植物の集団を言う。

 農作物の「品種」とは何だろうか?「品種」と言う言葉で括られる”もの”には実は科学的な実体は無い。より正確に言えば、遺伝学的には次のような様々な状態を一括りにしている。 -一つの品種がクローンである場合(果樹、イチゴ)、純系である場合(大抵のイネ、ムギ)、準同質遺伝子系統のセットである場合(コシヒカリBL)、自家不和合性のソバのように稔性に関する遺伝子以外がほぼ均一な場合、雑種第一代(F1、トウモロコシや多くの野菜)、遺伝的に必ずしも固定していない集団(多くの作物の在来品種)-
 従って、品種とはどのようなものか科学的に輪郭線が引けない以上、法的に(無理矢理)輪郭線を描き出して他のものと区別することになる。日本の種苗法、アメリカのPlant Variety Protection Act(PVPA)、植物の新品種の保護に関する国際条約(UPOV)では、それぞれどのように定義されているか見てみよう。

1.種苗法 (平成十年五月二十九日法律第八十三号)
(定義等) 第二条 
2  この法律において「品種」とは、重要な形質に係る特性(以下単に「特性」という。)の全部又は一部によって他の植物体の集合と区別することができ、かつ、その特性の全部を保持しつつ繁殖させることができる一の植物体の集合をいう。

2.Plant Variety Protection Act(PVPA) 
TITLE 7 > CHAPTER 57 > SUBCHAPTER II > Part D > § 2401 (a) Definitions 
(9) Variety The term “variety” means a plant grouping within a single botanical taxon of the lowest known rank, that, without regard to whether the conditions for plant variety protection are fully met, can be defined by the expression of the characteristics resulting from a given genotype or combination of genotypes, distinguished from any other plant grouping by the expression of at least one characteristic and considered as a unit with regard to the suitability of the plant grouping for being propagated unchanged. A variety may be represented by seed, transplants, plants, tubers, tissue culture plantlets, and other matter.

3.The International Union for the Protection of New Varieties of Plants (UPOV) 
(vi)  "variety" means a plant grouping within a single botanical taxon of the lowest known rank, which grouping, irrespective of whether the conditions for the grant of a breeder's right are fully met, can be
- defined by the expression of the characteristics resulting from a given genotype or combination of genotypes,
- distinguished from any other plant grouping by the expression of at least one of the said characteristics and
- considered as a unit with regard to its suitability for being propagated unchanged;

  共通点を抽出すると、植物の品種とは、植物の集合体であり

  1. 表現型によって特徴を定義できる
  2. 他の植物の集合体と、その表現型の特徴によって区別できる
  3. 形質を保持させたまま安定に繁殖させることができる

という特性を備えたもの、あるいは状態であると言うことが出来るだろう。

 こうして比較してみると、PVPAとUPOVの表現はほぼ一緒(1994年合衆国がUPOVに加盟する際にPVPAは改正されているので統一したのかもしれない)。種苗法では、表現型の基礎となる遺伝子型については特に言及していないが、PVPAとUPOVでは表現型の由来する” a given genotype or combination of genotypes”(あるの遺伝子型、あるいは遺伝子型の組合せ)として、種苗法よりも踏み込んだ表現になっている。つまり、これらの法的な枠組みにおいて、品種とは“他の植物集団と(遺伝子型に由来する)安定な表現型で区別できる植物集団”と言えるだろう※ 。
 このように、表現型で定義される品種ではあるけれども、増殖を繰り返しても世代によらず表現型が安定的に再現される背景には特定の遺伝子型があることは近代の遺伝学の教えるところである(F1の場合の安定性は、特定の両親の交配で生産される雑種の表現型の再現性、均一性を言う)。だからこそ、一部の品種ではDNAフィーンガー・プリンティングによる品種保護が可能になっている。
 農家が生産物として販売する農産物の品質を決定する要因として、作物の品種は非常に重要である。それは、特定の品種名(ブランド)の種苗は、種苗の育成者が生産者に対して特定の品種の性能を保証することで支えられている。そのため、日本では農家における生産資材としての品種の名称が、そのまま流通過程における農産物のブランド(銘柄)になっていることもめずらしくない。個々の農産物の品質は生産者の管理技術や、産地や生産年の気象条件、流通中の鮮度保持によっても左右される。管理技術や生産環境が優れていれば、品種の持っている潜在的な能力を最大限に引き出すことができるだろう。しかし、それによって遺伝的に規定されている能力の上限を超えることが出来るわけではないし、栽培技術によって品種の遺伝的な組成が改良されるわけでもない。

(この項、次回へ続く)

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※ ちなみに、UPOVの定義には更に特徴的な表現があって、(既知の植物分類の最小単位内の植物集団であって)という表現があり、単一の植物種、という若干自然科学寄りの表現が見られるが、これはこれで栽培イチゴやコーヒーのアラビカ種のように全体が種間雑種集団であるものや、ユリのHybridのような場合は捕捉しきれていない。実際は実情に即して大雑把に運用しているので困ることはないのだけれど。

2011年6月 3日 (金)

ソルガム遺伝資源の利益配分を巡る懸念

忙しい方のためのサマリー

 ノルウェーのNGOから次のような報告書が発表されている。「ソルガム遺伝資源からの利益配分では、多国間システム(MLS)は上手く機能しないだろう。
 ICRISAT(FAO傘下の半乾燥帯農業についての国際研究機関)のコレクションよりも、それと重複するUSDAのコレクションの方がよく利用されていて、しかもsMTAの制限が付いていないからだ。この状況は合衆国がITPGRを批准しても変わらないだろう。」
 USDAのソルガム遺伝資源の配布のあり方を例にITPGRの運用改善を求める論調。ICRISATのソルガムのコレクションがもともとロックフェラー財団と、USDAによって維持・管理されてきたものが1974年に寄贈され、以来ICRISATのコレクションの中心になっている。FAOが品種保存に動き出すよりも前からロックフェラー財団の地道な農業支援が続けられてきた結果なのだから、現状でも重複があるのもむしろ当然のこと。
 だが、その重複はMLSに資金を還元する可能性を一定程度引き下げるものかも知れないが、努力と資金次第ではICRISAT独自のコレクションの価値を高めることもできるだろう。

※ 略語の説明は以下で。

 ソルガムという作物がある。ご存じの方は以下を読む必要はないけれど、馴染みのない方のために手短に説明すると、

 学名Sorghum bicolor イネ科の作物で熱帯アフリカ原産。別名をモロコシあるいはコウリャン(高粱)ともいう。草丈は1.5-3 mまで生長し、強健で乾燥や塩害などの環境ストレスに強く、トウモロコシが栽培できないような環境でも栽培される。世界での収穫面積ベースではコムギ、トウモロコシ、イネ、オオムギに次ぐ第5位(FAO STAT 2009)。用途は、子実を食用、飼料用、加工用(酒)に利用する。また、青刈りして家畜飼料(サイレージ)にする。近年はバイオマス作物としても注目されている。

というもの。写真はこんな感じ

 ノルウエーのNGO、the Development Fundが2011年3月7日に次のような報告書を公表し、ソルガム遺伝資源についてICRISATが標準材料移転契約書(sMTA)の条件の下で配布している遺伝資源と、USDAの無償で配布しているソルガム遺伝資源を比較して、ソルガムにおける多国間システム(MLS)の有効性と今後の見通しについて議論している。

How US sorghum seed distributions undermine the FAO Plant Treaty’s Multilateral System. (2011) Edward Hammond

http://www.u-fondet.no/English/Publications/Reports%3A+Access+and+Benefit+Sharing.b7C_wBjS1S.ips

主な論点は次の通り。

1.    USDAが配布条件無し、無償で配布しているソルガム遺伝資源とICRISATがsMTAで配布しているソルガム遺伝資源との重複は、保守的に見積もって半分程度あると推定される。(全数の7.2%の標本調査)
2.    近年はUSDAからの配布が伸びているのに対してICRISATからの配布は伸び悩んでいる。
3.    配布を受けている商業ベースの育成者はUSDAのソルガム遺伝資源をより好む。
4.    このことから、ソルガムについてはMLSによる利益配分はうまく機能していない。
5.    テキサスM&A大学のように、既にUSDAからの無償配布で大きな利益を組織があり、今後もそのままであるならば、仮に合衆国がITPGRを批准しても、ソルガム遺伝資源についてはMLSは機能しないだろう。

 ICRISATのホームページにもあるように、同研究機関のソルガム遺伝資源のコレクションは草創期においてロックフェラー財団の支援やUSDA、プエルトリコからの材料の寄贈を受けている。(*)

 一方、ITPGR(国連食糧農業植物遺伝資源条約)が国連で採択されたのは、2001年11月。ITPGRはCBD(生物多様性条約)と調和を保ちつつ、共通の国際ルールの下で食糧農業遺伝資源の持続的な利用(保全とアクセスとの両方)を円滑に進める為の条約。多国間システム(MLS)を構築し、食糧農業遺伝資源から得られた利益を「公正かつ衡平に配分」することで、食糧農業遺伝資源の持続的な利用を目指している。
※ 未だかつて実現されたことがない無い長期に亘る利益配分の仕組みであることから、これは一種の大規模な社会実験でもある。

 時系列で言えば、ロックフェラー財団の支援によるICRISATのコレクションの成立が先で、ITPGRの発効はその24年後である。多くの国際条約や法律がそうであるように、ITPGRもまた、過去に遡ってルールを適用する「遡及適用」は出来ないことになっている。また、合衆国はITPGRを批准していない(2011年6月現在)。従って、USDAに保存されているソルガム遺伝資源は、現時点でMLSに供託されていないし、それをMLSの管理下に置かなければならないというルールも存在しないため、USDAのコレクションの配布の際の条件は合衆国の独自のルールに委ねられている。即ち、利益の見返りを求めず、第三者への譲渡についても制限はない。

 見返りを求めずに無条件で遺伝資源を配布する。実に気前の良い話だ。遺伝資源の原産国がそれを行うのであれば美談で済むのだが、アメリカ合衆国(USDA)がアフリカ等他の地域原産のソルガムの遺伝資源を無償・無条件で配布していると事情は変わってくる。食糧農業遺伝資源から得られた遺伝資源を公正かつ衡平に配分して分かち合う---そして、得られた利益で遺伝資源の保全を行う---ためのシステムを維持するためには資金が必要だ。ICRISAT等の国際機関や、ITPGRの締約国では知的財産権の設定されていない食糧農業遺伝資源(のある部分)を、MLSに供託しており、ITPGRでは、食糧農業遺伝資源から得られた利益の一部をMLSに還元する仕組みになっている。従って、MLSによって運用されている---つまり、利益の一部を国際社会に還元する義務を負う---食糧農業遺伝資源と全く同じものが、見返りを求めずに無条件で配布されている状況はMLSにとっては手強い商売敵がいるのと似たような状況だ。そして、近年ではUSDAからのソルガム遺伝資源の配布点数がICRISATからの配布を凌駕している。

 それでも、合衆国がITPGRに加盟してさえくれれば、以降のUSDAからのソルガム遺伝資源の配布はsMTAに従って行われ、MLSに利益が還元されることが期待されるのであまり問題はないように思われる。しかし、上記のNGOの報告書では、ここでさらなる問題点を指摘している。それは、1960年代(もう50年近くも前だが)にロックフェラー財団の支援でテキサスM&A大学においてソルガムの育種プログラムが始められ、今日も継続していることと関係している。テキサスM&A大学は2005-2010年に、USDAから既に1万8千系統以上のソルガムを導入している。この系統数はUSDAのソルガム遺伝資源の約半数にあたる。そして、テキサスM&A大学は合衆国がITPGRに加盟した後でも、これらの遺伝資源をsMTAに縛られずに、無制限に---民間企業にも—配布することができる。また、合衆国内のバイオ燃料企業もすでにUSDAから数千系統のソルガム遺伝資源の分譲を受けており、彼らも、同様にMLSに利益を還元する義務を負わない。

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 要するに、USDAのコレクションと重複したICRISATのソルガム遺伝資源は、利益が得られた場合はMLSに利益配分することを求められるので、経済的な動機から見ればUSDAのコレクションよりも魅力的ではない、という指摘だ。

 それは、そうかも知れないし、あるいはそうではないかも知れない。数がなければお話にならないが、数だけあれば何とかなるものでもないのが遺伝資源である。特定の目的に有用な遺伝子は、遺伝資源の集団内にごくまれにしか見られない。どれだけ数があっても、そのほとんどは特定の育種目的には叶わない。特性を評価し、コレクションを整理し、意味のある形質を選び取る人手が加わって初めて遺伝資源は価値を発揮する。そういう意味では、USDAのコレクションと重複しているICRISATの系統についてはMLSには利益が還元されないかもしれない、という主張もまた「見込み」にすぎない。もともとMLSへの利益の還元は、ITPGRより先に運用されていたUPOV条約(育成者権保護のための国際条約)に優先することが出来ないため、種苗から得られた利益のMLSへの還元は義務ではなく、奨励されているだけなので確実性に乏しいメカニズムなのだから。

 有用な遺伝子が、たまたま重複した系統に含まれているかもしれないという「捕らぬ狸の皮算用」でもって悔しがっていても仕方ないではないか。独自のコレクションの評価をして優れた形質を発見して付加価値を高める方がずっと建設的だ。ソルガムではないが、ICRISAT同様、CGIARのセンターであるCIMMYTはケニアやエチオピアのコムギの遺伝資源を利用して、大抵の抵抗性品種に被害を与える新型黒さび病菌Ug99に対して、抵抗性を持つ新しい品種の開発に成功したという例もある(*)。もっとも、これも英国、合衆国政府やビルゲイツ財団の資金面での支援があって初めて達成できた成果なので(*)、遺伝資源のスクリーニングや品種開発には長期に亘る継続的な投資が必要なことは間違いない。

 なんだかこのNGOの報告書、合衆国がITPGRに加盟した際に何らかの理由を付けて拠出金を出させたいというITPGR事務局側の意図が見え隠れしているように感じるのは、私の思い過ごしだろうか。

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