2014年を振り返って
えー、歳月人を待たずと申しまして、なんと、前回のエントリーを書いてから、はや一年が経とうとしております。今年も一年を振り返ってデータとして纏めてみます。
[仕事]
勤務日数: 228日 (昨年比-1日。実働日数。休暇簿とは異なる。海外出張中は休日も実働。)
出張: 20回、78日間(昨年比+13日)。このうち海外は、ミャンマー(1/30-2/12、11/6-26の2回、35日間)、韓国(2/23-3/1、10/11-19の2回、16日間)、イタリア(7/8-13、6日日間)の57日間。
会議: 21回(職場の内外両方。出張とも一部重複している。)
打合せ: 90回(昨年比+30回。職場内。主に、知見の提供と意見を述べる仕事。)
来客: 8回(メーカー、メディア、官庁)
プレゼン: 3回。全て条約関係。
[休暇]
年休: 15日(うち代休が2日。通院等)
夏期休暇: 3日
[プライベート]
一周忌: 1回(父)
旅行: 1回
通院: 8回(このうち経過観察6回。予防接種など2回)
スーツケースの更新: 1回(ミャンマーから戻ってきたら鍵が壊れて開かなくなってしまったのでやむなく破壊。)
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昨年も、「こうしてみると、出張の多い1年だった」と言っていたけれど今年はさらに13日も多く出張していた。勤務日数228日のうち78日は職場に居なかったことになる。なお、私の職場では海外出張中に国民の祝日があっても週末が移動日の場合も、代休措置はないので、計算上、勤務日数は+休暇の日数は通常の出勤日よりも多くなっている(はず)。
1-2月、ミャンマーのザガイン地方域、ナガ族自治区を訪問。正式な入域許可がでなかったので、本格的な遺伝資源の探索は行わず予備調査のみ。Homalin-Khamti区間の船旅は13時間程度の予定だったが、途中Khamtiにほど近い(通常の航行だとあと2時間くらい)ところで川船のエンジンが壊れて、川の上で一晩を開かす羽目になった。結局、修理はできず、別の船に乗り換えたのだけれど、目的地まで30時間も船に乗っていた(しかも、乗り換えた船の船賃もしっかり取られたorz)。
チンドウィン川で凍えながら見上げた降るような星空は今でも目に焼き付いている・・・とだけ言っておこう。
インド側のナガランドでは麺類は見かけなかったけれど、ミャンマー側ではカオソイが普通に食べられるし、その際に箸も使う。そのほかにも中国的な食文化の影響が色濃かった。
2-3月は、生物多様性条約ABS名古屋議定書の作業部会で韓国、ピョンチャンへ。会議場はスキーリゾートなんだけれど、会議場は会議場。無味乾燥です。2月末で既に雪は融けかけてくちゃぐちゃ。本当に冬季オリンピックができるのか、ちょっとね・・・という感じだった。なお、国際空港から会議場へのアクセスは高速バスで3.5時間。付いた頃にはすっかりくたびれていた。なんでソウルでやってくれないのかね(アフリカやヨーロッパからの参加者はもっと大変だったと思う)。
4月、前任の国際連携室長の定年に伴い、その後任になりました(でも補充はなし)。スタッフ全員が併任という何だかバーチャルな感じの組織はそのまま、仕事だけはそこそこある。今年から海外のジーンバンクとの連携強化にむけた新しいプロジェクト(PGRAsia)が始まったので、明らかに業務量は増えている(でも補充はなし)。
5-6月、ABS名古屋議定書の国内措置についての議論が少しずつ形になってきている・・・けれど遅いこと。
PGRAsiaプロジェクトのキックオフがこの時期。
7月、FAOの遺伝資源委員会の作業部会の支援のためローマへ。・・・考えてみると、ジーンバンクに来てからと言うもの先進国への出張は初めてだった。行ってみると、各国から人が集まる世界一の観光都市だけあって、ほぼ英語で用が足りるし、交通機関の行き先表示も必ずと言って良いくらい英語で書いてある。街中に物乞いはあまり居ないし、バスや地下鉄に乗るにも特に苦労はない。地下鉄はスリが多いと聞いていたたけれど、ニューデリーの駅前から見ればどうと言うことはない(悪いものを見過ぎてきたのかもしれないが)。帰国当日の朝、コロッセオとカラカラ大浴場、フォロロマーノだけは駆け足で見てきたけれど、会議のための出張なので致し方なし。
8-9月、父の一周忌。あれから一年かと思いつつも、あまりに忙しいので、もう何年も経ったかのようにさえ思えてしまう。その一方で、日頃離れて暮らしていた人は亡くなっても、ふとどこかで生きているような気がしてしまう。不思議なものだ。
PGRAsia プロジェクト出迎える研修生の招へい手続きがこの時期。書類仕事の多いこと。
10月、生物多様性条約COP-12で再び韓国、ピョンチャンへ。前回は会議場が小さいなあ、と思っていたら仮設テントでの会議になった。めちゃくちゃ寒かった。ノルウェー政府のスタッフが会議場でダウンウエアを着ていたくらい(!)。前半、風邪を引いて微熱があってちょっと辛かった。会期中に、ABS名古屋議定書が発効。最初の締約国会合が開かれ、今後の条約のロードマップの検討が始まった。
これで間違いなく、遺伝資源の国際的な交流はより一層、難しい時代を迎えることになる(条約の意図はそうではないんだけどね)。
11月、科研費による探索のため、再度ミャンマーのザガイン地方域、ナガ族自治区を訪問。今回は、共同研究の申し合わせが成立したので正式の入域許可が出た。探索についてはここであまりは触れないけれど、ナガ族の人々は標高1300-1500mくらいの急傾斜地で焼き畑による陸稲を中心とした農耕を行っていた。イネの品種は村ごとに4-5品種はあり、一箇所の畑に15-20種類の作物が同時に栽培されていた。生産性はあまり高くないが、そのかわりin putも極少ない持続的な営農スタイルであった。経済的に豊かになるのは難しいけれど、色々な食物を食べるには困らないだけの生産がある。傍目で見ている無責任な外国人としてはその農耕文化を長く継承して欲しいと願うが、彼らにも豊かになる権利はある。
12月、恒例のNIASオープン・カレッジの講義など。結構好評だったこの公開講座も、もう一年は続くと思うが、その先はわからない。今後、機構統合が予定されているので、その結果如何。
NBRPは来年度から運営組織が変わるとのこと。どうなっていくのか若干不安ではある。
皆様はどんな1年でしたか? では皆様、輝かしい2015年をお迎え下さい
※ 来年は、もう少し何か書けると良いなぁ・・・。
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