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2012年12月の記事

2012/12/31

行く年、来る年

さようなら2012年。

20111222_121817
(2011年末に行った沖縄で。今年の干支ですね。)

 今年は、ミャンマーへ行ったり、インドへ二度行ったり、ドタバタしながら過ぎていきました。振り返ると、1ヶ月以上海外に行っていて、ひょっとすると2ヶ月近く出張で移動していたのではないかと・・・。
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 3月末に訪れたミャンマーでは、ハイウェー沿いの広大な山林が焼き払われ、ゴムの植林が進められていました。農地の所有が認められていないミャンマーではプランテーション開発は今なお進行中で、決して過去の帝国主義の時代の物語ではありません。ただ、開発を行なっているのは西欧の先進国の資本ではなく中国海南島の会社らしい(伝聞)とか、昔とは違う部分もあるようですが、開発で小農が土地を追われて野生動植物が住処を失い急速に遺伝資源が消失しつつあるところは今も昔も同じ。

 7月、10月に訪れたインドでは、毎日会議場。週末はどうにか出歩けたものの・・・仕事なので、それは仕方が無いけれど。日中の気温は40度近い一方、ホテルや会議場は25度以下まで冷房を入れていて寒いくらい。外に出ると何だか温度差で、くらっと来るくらい。そして毎日恒例の数分の停電。地元の新聞記事には、もう1週間乾季が続くと水力発電所が止まって電力が足りなくなりそう、という記事がある一方で、南インドでは原子力発電所の建設反対運動が激化など・・・別の角度からみれば日本の電力事情の綱引きと似たような構図が恒常化していました。
 酷暑の中、冷房があれば路上で死なずに済む人が居る一方で、国際会議場では過剰な冷房。このアンバランスはどうにかならないのかと思うけれども、電力の配分の問題は直ちに富の配分の問題であることに思い至りました。日本でも、扇風機だけで暑さをしのごうとして年金暮らしのお年寄りが熱中症で亡くなっていたり。たしかに、インドと日本では程度の差はあるのだけれど、豊かなはずの日本がまだこの程度で済んでいるのは、少しばかり緯度が高いという幸運のおかげもあるのかもしれないなと思ったり。

 世間では政権交代もあったり、今年は動きの大きな年でしたが、私の2012年は日本ではあまり目にすることのない物事を見聞きした、ずいぶんとインパクトの大きな1年でした。

 改めて、さようなら2012年。そして、こんにちは2013年。

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