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2010年5月9日 - 2010年5月15日の記事

2010年5月13日 (木)

総務省が「生体電磁環境研究」の提案の公募

総務省のプレスリリースはこちら。
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/02kiban16_000029.html

 公募のタイトルは「生体電磁環境研究」ですが、個々の課題名をみると、ほとんどが電波系、一部磁場ですね。大変残念なことに、私共が長年研究対象としてきた、地球外から到来する電磁波をエネルギー源として活動する生物(*)に関する研究領域は設定されておりません。

-注釈-
* 「地球外から到来する電磁波をエネルギー源として活動する生物」: クジラや渡り鳥など一部の脊椎動物は地球の磁場を感知することができるといわれている。しかし、それらの高等動物は地磁気を感知することはできても、それによって活動のためのエネルギーを得ることはできない。
 一方、それらの高等動物とは分類群が大きく異なるある種の生物は、地球外から到来する電磁波のうち特定の帯域のものを受容することで、水を分解し化学エネルギーに転換して、これを利用して大気中から吸収した二酸化炭素中の炭素を還元して糖を生成する。この糖を呼吸基質とすることで、これらの生物は体外から電磁波以外のエネルギーを取り込むことなく生育・繁殖することができる。

 要するに、植物の行う光合成とはそういうものだ。ちなみにここで言う”地球外から到来する電磁波のうち特定の帯域のもの”とは、緑色植物の場合は、可視光のうち680-700 nmの帯域にあたる。

# 私は今ひとつ電波系マッドサイエンティストの素質に欠けるなぁ。

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2010年5月12日 (水)

「生物多様性損失」の新聞記事に思う。

 今年は生物多様性条約の第10回締約国会議(COP10)が名古屋で開かれることもあり、国際生物多様性年でもあり、新聞各紙で生物多様性がニュースになっている。読売新聞より。

生物の多様性損失は人類の危機…国連報告書

 【ナイロビ=安田幸一】10月に名古屋で開催される生物多様性条約締約国会議に向けた専門家会合が10日、ケニア・ナイロビの国連環境計画(UNEP)本部で開幕し、条約事務局は生物多様性の現状を評価した報告書「地球規模生物多様性概況第3版」を正式に発表した。

 多くの絶滅危惧(きぐ)種で絶滅のリスクがさらに増え、生物多様性の損失が続いていると指摘、「効果的な対策を打たなければ人類の未来は危うい」と警告している。

 報告書は生息地の破壊などで、地球上の両生類の3分の1、鳥類の7分の1が、絶滅または絶滅の危機にあると指摘、地球全体の絶滅危惧種の状況は悪化したと評価した。

 元々いなかった生物種が在来の生物を脅かす外来種の問題も深刻化し、大量生産に向いた特定種の普及で、家畜や農作物の遺伝的多様性も失われたとしている。

 保護地域の指定範囲や、生物多様性を守るための政府開発援助(ODA)などは好転したと評価したが、8年前に定められた「2010年までに生物多様性の損失速度を著しく減少させる」との世界目標は達成できなかったと判断した。

 報告書は国際的な合意に基づいて、重要な生態系や種を保護する明確な目標が必要と指摘。

 アフメッド・ジョグラフ条約事務局長は「目標が達成できなかったのは、各国政府が生物多様性を最優先課題と認識していなかったことが原因。名古屋会議では実効性のある新しい目標づくりが重要になる」と日本のリーダーシップに期待を表明した。

(2010年5月10日23時27分  読売新聞)

 折角なので国連生物多様性条約事務局のホームページと、話題の報告書(Global Biodiversity Outlook 3= GBO3)にもリンクを張っておきましょう。報告書とりまとめにあたって日本の資金援助があったことも述べられています。しかし、このGBO3のPDFファイル、たいへん美しい報告書に仕上がっているのですが、引用文献リストが付いていません。どうやって科学的な信頼性を担保するのか、IPCCの報告書のように出所の怪しい情報もあるのでは?・・・と一瞬思ったのですが、リファレンス付きのバージョン(MS-word形式)も用意されていました。玄人さんにはこちらをお勧めします。

 さて、新聞記事ではおもに地球上の”どこで”種の喪失が起きているのかという視点が無く、「大量生産に向いた特定種の普及で、家畜や農作物の遺伝的多様性も失われたとしている。」というところがずいぶん強調されているように思います。オリジナルの報告書ではさほど大きな扱いでは無いのですが。

 かつて育種を生業としてきた者から見ると、野生生物の種の多様性と作物の遺伝的多様性を同じ次元でで論じるのはかなり奇妙な議論に思えます。なぜなら、作物というものはそもそもが、10,000年以上の歳月をかけてヒトが手塩にかけて野生植物の遺伝的多様性を切り捨てながら自分たちに都合の良いように栽培環境に合わせた遺伝子のセットを作り上げてきた成果なので、これからも人為的な改良が続けられる限り、ある程度の遺伝的多様性の喪失は一種の宿命だと考えられるからです。それに対して、あるがままにあるのをよしとされる野生生物とは、歴史的にも経済的にもヒトとの関わり方が相当に違います。とはいえ、そのような混沌とした議論が今日のglobal standardなのでしょう。

 GBO3では、この作物の遺伝的多様性の喪失を次のように表現しています。

Crop and livestock genetic diversity continues to decline in agricultural systems.

 その根拠として、作物については根拠として引用している文献は次の通り。

Xu, H., Tang. X., Liu, J., Ding, H., Wu, J., Zhand, M. Yang, Q., Cai, L., Zhao, H., & Liu, Y. (2009). China’s Progress Toward the Significant Reduction of the Rate of Biodiversity Loss. Bioscience, 59(10), 843-852. http://www.bioone.org/doi/abs/10.1525/bio.2009.59.10.6?journalCode=bisi.

Secretariat of the Convention on Biological Diversity (2009) The Convention on Biological Diversity Plant Conservation Report: A Review of Progress in Implementing the Global Strategy of Plant Conservation (GSPC). http://www.cbd.int/doc/publications/plant-conservation-report-en.pdf

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  •  最初の方は中国の事例に関する報告で、後の方は生物多様性条約事務局とりまとめの報告書。この後者のとりまとめにあってはFAOは直接関与していない風だし、CGIARやそのセンターであるIPGRIは名前も出てこない、という様相を見ると、なんだかな・・・農業(開発) vs 環境(保全)という対立構造が国連内部にもあるのだろうか。

     色々批判もあろうけれども、私個人は多収品種の普及を”悪”と決めつける気にはどうしてもなれない。大抵の農民は少しでも多くの収入を得て自力で貧困から自由になりたいと考えているだろうから。だから、作物の原産地(や多様性センター)に近い地域の人々に対して、"人類が将来にわたって遺伝資源の持続的な利用を可能にするために、あなた方は多収品種を利用してはならない"と宣告することが作物の遺伝的多様性を確保するためにそれほど良いやり方だとは思えないのだ。作物の近縁野生種であれば、in situ conservation という方法もあろうけれど、地域の農村社会ぐるみの在来品種の保全には何か別の社会的モデルが必要になるだろう。たとえば、EU型デカップリングに近い一部所得保障する方法とか(それはそれで、もの凄い財政支出の上で新たなねたみの種を播くことになりかねないのだけれど)。

     開発と保全の両立に万能の処方箋はないものだな。

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    2010年5月11日 (火)

    自宅で楽しむサイエンス・カフェ

     筑波大のサイエンス・カフェのストリーミングをやってました。今日のお題は「系統樹曼荼羅(けいとうじゅまんだら)~自然観と思考法としての分類と系統」、講師はご存じ農環研の三中さん。

    第1部: 生物の「種」とは何か?未だとけない謎。「種」とは何かという問題は、形而上学の問題であって、生物学(というか自然科学)の問題ではない・・・という話。

    第2部: 「系統」とは何か?人はついつい分類してしまう生き物。分類は人の本能。これに対して系統はもっと体系的。系統樹は一種の言語。学習によって”読み書き”が身につく。リテラシーが身につく。

     ここで、私が晩飯で中断。

     遠くの会場の講演(そう遠くもないか)を自宅で視聴できるというのは便利ですね。・・・なんだか初めて電話を使った昔の人のごときコメントですな。

     私の思うところ、「種」と言う概念は社会構成主義的な構築に負うところが大きくて、概念によって無理矢理というか、暴力的に実在を切り取るためのツールではないかと思う。ま、生物学的な実在を言い出すこと自体、素朴な科学的実在論なのですがね。

     個々の個体のボトムアップで”生物種”を規定するか、歴史を貫く”生物全体”を規定してからトップダウンで”生物種”を規定するか、その切り取り方の違いが分類法の違い。あんまり突き詰めてゆくと、最近問題にされている生物多様性の喪失と言う議論の基礎をなす”種”と言う概念が揺らいでくるのでこのへんで止めておこう。

    # 環境科学方面では”種”の概念は固定的なもののようだし。聞くところによるとその方面では、表現型分散は遺伝子型による分散と環境の効果による分散の和であるという遺伝育種方面の常識も通用しないらしいし。

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    2010年5月10日 (月)

    twitterをなんで"つぶやき"っていうんだろう。

     最近、blogのアクセスログにtwitter経由で飛んでくる人が増えてきたので、私も連休中にTwitterなるものに手を出してみた(Jean_Domonと名乗ってます)。
     感想はと言うと、ほぼリアルタイムで140文字のショートメッセージを発信するところは、不特定多数向けのメールという感じ。メディアの性格から言えば、書き言葉と話し言葉の中間的な感じのものですね。
     しかし、”ほぼ”リアルタイムなので、チャットや電話ほど高速ではないし、140文字ではblogのように構造化できない。当然、あまり複雑な概念は伝えられない。そう言う意味では、小鳥のさえずり(tweet)に擬したtwitterというのは言い得て妙。re-tweetという機能は小鳥が仲間のさえずりをそっくり真似るところを想起させるし。そう言う意味では、「つぶやき」というなんだか暗いイメージの言葉はしっくりこない。
     当然、書き言葉の欠点からは逃れられる訳もなく、ことばのトーンが伝わらないので皮肉なのか本気なのかはわかりにくい。 
     まぁ、私の場合、職務専念義務があるから勤務時間中には使えないので、リアルタイム性は生かせないので仕事には使えないかな。そうなると、tweetするのは専ら夜・・・ナイチンゲールかフクロウか(私は風貌的には後者だったりするが)。
     使い始めて数時間で知人あるいはネット上の知人が幾人かユーザーにいたり、有名どころの雑誌がtweetしてたり、農環研や農林水産研究情報センターがtweetしてたりと、けっこう新鮮な発見があった。
     それと、bit.ly・・・なんて発音するんですかね?URL短縮は結構便利だと言うことを発見。
     まだ、タイムラインの機能とか、リストの使い方とか、作法というかtwitterなりの不文律も恐らくあるのだろうけれども、そう言ったローカル・ルールが分からないので使いこなすにはもうしばらく時間がかかりそうだ。

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    2010年5月 9日 (日)

    科学は知の異種格闘技か?

     物理学者ファイマン曰く

    「科学にとっての哲学は、鳥にとっての鳥類学者と同じだ」 (p. 220)

    高橋昌一郎著、講談社現代新書、知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性より孫引き。ある意味、科学者にとってのサイエンスコミュニケーターもまた、鳥にとっての鳥類学者と同じようなものかもしれないなぁ。

     また、この本では哲学者ファイヤアーベント(Paul Feyerabend)を紹介しています。私、不勉強にしてファイヤアーベントを知りませんでした。私は、ファイマンさんの位置づけではどちらかと言えば鳥類学者よりは鳥のほうなので、同時代の哲学者トーマス・クーンのパラダイムという用語や、通常科学への異常科学の挑戦という科学史観は知っていたけれど、「何でもあり」という立場は初めて知りました。

    「科学は本質的にアナーキスト的な行為だ」

     こんなにアナーキーなことを言う哲学者が居たとはショッキングです。言うなれば、科学とは正統対異端の二項対立ではなく、「何でもあり」の知の異種格闘義戦又はバトル・ロワイアル。正しいものが勝つのではなく、勝ったものが正しいのだ・・・違うか。

     もう一つファイヤアーベントの言葉を引用しておこう。

    「自分の話し方の基準にこだわって、その基準に合わないものは何でも拒否してしまう。いったん話題が馴染みのないものになり、自分の型にはまった判断からはみ出すとたちまち見慣れない服を着た主人に出会った犬みたいに、途方にくれてしまう。」

     ファイヤアーベントは、柔道着を着て居ないヤツとは試合ができないとか、土俵の上でなければ取り組みができないとは言わないのですね。「特権意識的失語症」の対極にある姿勢なのだろうか。なんだか親しみが持てます。今度、ファイヤアーベントの著書を読んでみよう。

     私の見るところ、この国の科学は今、伝統的なあり方を変えようとしている。明治以来、これまでは税を原資とする研究のステイクホルダーは、科学者とスポンサーの代理人たる官僚だけであったが、今後、科学者もこれまでよりもより一層、市民への説明責任を負わなくてはならなくなってきた。先般の事業仕分けも然り。今年の総合科学技術会議 基本政策専門調査会(第7回)の科学技術基本政策策定の基本方針(素案)(PDF)の”Ⅴ.これからの新たな政策の展開”にも次のようにある。

    3.科学・技術コミュニケーションの抜本的強化 ~国民とともに創り進める政策~
    (1)政策の企画立案・推進への国民参画の促進
    ○ 科学・技術・イノベーション政策で解決すべき課題や社会ニーズ、科学・技術の成果が社会に還元される際の課題等について、広く国民が参画して議論できる場の形成など新たな仕組みを整備する
    ○ 国民の政策への積極的参画を促す観点から、例えばNPO法人等による地域社会での科学・技術コミュニケーション活動や、社会的課題に関する調査・分析に係る取組を支援する。
    ○ 国民が自ら科学・技術の活用や要望について判断できるような情報提供やリテラシー向上の取組を行う

     このように、研究プロジェクトの企画立案段階から国民が参加するのであれば、当然、国民に対して科学者が説明や対話をする機会が増えていくだろう。もしそうなれば、もう”非科学者”である一般国民の使う用語や概念の正確性がどうのとは言っていられない状況での議論が、有無をいわさず広げられていくことになるだろう。

     普通に考えれば予算獲得に関わるそのような議論を、これまた一種”非専門家”であるサイエンスコミュニケーターだけが担うことはできないであろうから、ある程度のポジションにある科学者は否応なく、知の異種格闘義戦に引きずり込まれて行くことだろう。しかし、恐れることはない。もし、ファイヤアーベントの言うように

    「科学は本質的にアナーキスト的な行為だ」

    というのであれば、本領を遺憾なく発揮すればよいのだから。

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