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2010年5月 6日 (木)

一人の凡庸な科学者として私はそう思うのだ。

 小島寛之さんのblogより。

科学者とかそれっぽい立場を自称する人の多くは「説教」が大好きで、自分の専門をかさにきて、市民を叱りまくる。ちょっとした間違いや誤用でも容赦しない。でも、これは何か間違った「特権意識的失語症」であるように思えて仕方ない。ことばやものごとの理解は多様だし、いろんな段階がある。みんな科学に憧れを抱いているから、自分なりの理解を何か言ってみたい。それを細かいことで間違いを指摘され叱られ続けたら、そんな人の話に耳を傾けたくなくなるし、心の中ではそんな奴いなくなればいい、と思うだろうし、税金でそいつらを食わしていくことに腹がたってくるだろう。

 なるほど。「特権意識的失語症」というのが何を意味するのかは分からないけれども、多分、こと”科学”を語るにあたっては、寛容の精神が大切という主張なのだろうなぁ。でも、一人の凡庸な科学者として、私は科学者ではない市民が須く

それを細かいことで間違いを指摘され叱られ続けたら、そんな人の話に耳を傾けたくなくなるし、心の中ではそんな奴いなくなればいい、と思うだろうし、税金でそいつらを食わしていくことに腹がたってくるだろう。

と言う反応をするほどに狭量だとは思わない。誰でも間違いを指摘されればその分、前よりも少し賢くなれるだろう。たいていの人は、”話せば分かる”。ましてや、ある科学者が会話した普通の市民から「そんな奴いなくなればいい」とまで頻繁に思われるようでは、それはもう”凡庸な科学者”という水準ではなく、一種”非凡な科学者”ではないかと思う(できればそのように非凡な科学者ではありたくないものだ)。

 私は科学の用語やそれによって表される概念は正確であるに超したことはないと思う。一方で私はしばしば学術論文の中でさえ術語が多義的に使われるところに出くわすことがある。専門家の間では、そのような多義性さえもアウンの呼吸で乗り越えられるのだろうけれども、非専門家を相手にそれを要求するべきではないだろう。

 しかし、術語の多義性を放置したままで議論が進むと、結局のところ結論の一致を見たのか見なかったのか、話がだんだん曖昧になる。これは、科学に限ったことではない (例えば、”5月末 決着 定義”で検索すると明らかなように、”決着”と言う言葉で表される内容があらかじめ定義されていなかったために、形式論理的に結論を出せない議論になってしまっている実例もある)。だから、対話を進める上で差し支えのない範囲であれば、概念のずれやちょっとした勘違いまで、いちいち正す必要はないと思う。けれども、どうしても正確でなくてはいけない術語についてはきちんと定義しておかなくてはならないとも思う。

 ところで、小島先生の言うように、間違いや誤用の指摘=「説教」という図式が成り立つことがあるとすれば、その原因は科学者の語る話の内容ではなく、むしろ、その語法や文体(デリダの言うエクリチュ-ルとかでしょうかね)のあり方にある様に思う。「説教」もまた、対話に似たコミュニケーションの一つのありようではあるけれども、少なくとも対称な双方向のコミュニケーションではないし、ましてや対話ではない。

 おそらくこの先の主張は誰かが既に言ったことの同義反復になると思うのだけれども、私は、何かを理解すると言うことは、自分が見聞きしたことを自分なりの表現方法で再構成できるということだと考えている。だから、自分が語ったことが消化された上で対話する相手の口から再構築されて出てくるのを聞けば、自分の話が伝わったのだと楽しくなる。そのやりとりの結果ではなく、過程こそが大切なのだと思う。

 私は、相手の言ったことが少々学術的には不正確でもすぐに否定することはしないように心がけている。傾聴して一端受け止め、少し表現を変えつつ、そして少しでも正確になるように言い直す。それを何度も繰り返していると、同義反復からの若干のずれで何とか軌道修正できる・・・こともある。できるだけ辛抱強く、丁寧に。それが、一人の凡庸な科学者としての私にできるささやかな対話の有り様だと思うのだ。

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