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2010/04/11

単純化への欲望

 人は複雑でわかりにくいものを理解したいと望む。そして理解しやすくするために色々なものを、色々なやり方で単純化する。

 たとえば個々に個性と人格を持った人間でさえも、干支では60種類、西洋占星術では12種類、九星では9種類、血液型占いではたった4種類に分類してしまう。どの分類にも科学的な根拠はないのだが、それぞれの占いの体系の中ではそれなりに尤もらしい理屈がつけられ、それぞれの体系の信奉者はそれで満足している。

 しかし、深く考えるまでもなく血液型の4種類という要約はやり過ぎだろう。では、60種類なら良いのか?これだとほぼ11億人がそれぞれの干支に割り当てられるのだが、同じ性格、同じ運命の人々が地球上に11億人も居るという仮説はやはりいただけない。

 科学技術の分野でも、多くの変数を扱う多変量解析というデータのあつかい方がある。数十、数百項目ものデータを、ある法則性に従って数個の変数に重み付けして要約することもできる。例えば、自己組織化マップとか主成分分析という解析手法がそれで、多次元のデータを人が直感的に把握できる2-3次元にまで要約する。

 主成分分析では、もともとの多次元データを互いに相関の低い数個の因子に分割し直すのだが、結果の解釈においては、それぞれの因子でデータ全体の変動の何割を説明できるかが重視される。たとえば3つの主要な因子で全体のデータの変動の70%を説明できれば、その解析はまずまず上手くいったと言えるだろう。それでも、次元の縮減によって情報の3割を捨てていることになるのだが。

 一方、3つの主要な因子で全体のデータの変動の30%しか説明できない場合、その解析は失敗だったと言って良い。ある現象を説明するのに、収集したデータの30%だけで結論を導化ざるを得ないという場合は、作業仮説か、データの収集方法か、解析方法かのどこかに問題がある。

 科学的なデータの縮減も、その手法を適用する前提如何で上手くいくこともあれば失敗することもある。逆に言えば、作業仮説もデータの収集方法も妥当であれば、そうそう失敗するものではない。ただ、上手くいったとしても、”次元の縮減=分かり易くするための単純化”は、何割かの情報を捨てていることに違いはないのだ。つまり、単純化が無駄を生み出しているとも言えるのだ。

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 以上の議論を踏まえずに、本日のニュース。読売新聞より。

研究系の38法人を統合へ、政府が仕分け方針

 政府は10日、現在104ある独立行政法人のうち、研究開発などを行う38法人を統廃合した上で、「国立研究開発法人(仮称)」に移行させる方針を固めた。

 23~28日に独立行政法人を対象に「事業仕分け」第2弾を実施するが、国家戦略として研究開発を主導するには研究開 発関連の法人を一定程度、存続させる必要があると判断した。

 5月中旬にも決定する独立行政法人改革の基本方針にこうした方針を盛り込む。

 これに関連し、枝野行政刷新相は10日のさいたま市内での講演で、研究開発関連の38法人は「5から15くらいに整理できる」と述べた。

(2010年4月11日18時11分  読売新聞)
 独立行政法人都市再生機構も、独立行政法人理化学研究所も、同じ法的枠組みというのは無理があったのかもしれない。が、「5から15くらい」というのはずいぶん幅がある。数が減れば、それだけ分かり易くなるというものでもないのだが。

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