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2009年6月7日 - 2009年6月13日の記事

2009年6月13日 (土)

色素幹細胞の枯渇で白髪

原因はストレスねぇ。私は年の割に激しい白髪だが・・・。

白髪の原因はストレス…東京医科歯科大教授ら突き止める

 髪の毛が白くなるのは、黒髪のもとになる色素幹細胞がストレスで枯渇するのが原因であることを、東京医科歯科大の西村栄美教授らが突き止めた。

 色素幹細胞の働きを維持することで、白髪の予防も可能になると期待される。科学誌セルの最新号に発表された。

 色素幹細胞は毛根部にあり、自己複製を繰り返しながら色素になる細胞を供給している。西村教授らがマウスに放射線を当て、遺伝子を損傷するような ストレスを与えたところ、幹細胞は自己複製機能を失い、すべて色素の細胞に分化した。色素の細胞のもとになる幹細胞がなくなるため、白髪化が進むことが分かった。

 西村教授は「白髪の原因になるような幹細胞の分化は、他の老化現象でも起きている可能性がある。若さを保つ研究の手掛かりになる」と話している。

(2009年6月13日08時04分  読売新聞)
オリジナルの論文はこちら

Ken Inomata et al., “Genotoxic Stress Abrogates Renewal of Melanocyte Stem Cells by Triggering Their Differentiation,” Cell 137, no. 6 (June 2009): 1088-1099, doi:10.1016/j.cell.2009.03.037.   

そうかぁー白髪の原因はストレスだったのか。納得。・・・という話ではない。

記事を読めば、見出しがいかに不適切かが良くわかる。この論文で発見されたことは、次の通り。

"Surprisingly, the DNA-damage response triggers MSC differentiation into mature melanocytes in the niche, rather than inducing their apoptosis or senescence. The resulting MSC depletion leads to irreversible hair graying." 
(驚いたことに、DNAの損傷に関連した反応はその場所で色素幹細胞のアポトーシスや老化の誘導よりも、成熟した色素細胞への分化を引き起こした。その結果、色素幹細胞は枯渇して不可逆的に白髪になる)

つまり、”白髪の原因は色素幹細胞の分化促進による枯渇”である、とある。これまでも加齢によって色素幹細胞が枯渇して白髪になることはわかっていたし、何らかのストレスで白髪になることもわかっていた。

この研究で新たにわかったことは、「ストレスで白髪になる際の色素幹細胞の枯渇は、細胞死や老化ではなく、分裂能力のない色素細胞への分化の促進でおきる」という点だ。

新聞記事の本文でもそう読める。しかし、この見出しのセンスは一体・・・

「桶屋が儲かる原因は風」と言っている様なものだ。

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2009年6月 9日 (火)

「正論など無力なものだ」

まず、毎日新聞より。

食品安全委:クローンは安全、賛成わずか15%--国民意見を公開

 体細胞クローン技術で生まれた牛、豚などの食品利用について国の食品安全委員会は8日、国民からの意見募集結果を公表した。同委が3月に出した 「食品として安全」との評価書案に賛成との意見は約15%にとどまり、安全性を懸念する批判的な意見が大半を占めた。同委は「科学的に出した結論であり変更はない」として、早ければ6月中に厚生労働省に答申する方針。

 同委の新開発食品専門調査会で、国民から寄せられた336件の意見が公表された。「安全とのリスク評価に賛成」との内容は51件。多くは「長期間の生存率や出生率が低く、安全とする根拠が理解できない」など批判的な内容だった。【江口一】

この記事では、賛成ではない残りの85%の論旨が良くわからない。「安全性を懸念する批判的な意見」は科学的な見地から何を批判しているのかが重要だろう。

次、読売新聞より。

内閣府委「クローン家畜は安全」に一般市民の8割超が疑問

 クローン牛や豚の食品としての安全性をめぐり、内閣府食品安全委員会が「従来の家畜と差がない」とした評価について、一般から336件の意見が寄せられ、このうち8割以上が疑問や反対を訴えるものだったことがわかった。

 8日の同委員会調査会で報告された。

 疑問や反対を訴える意見のうち、評価自体に対する疑問や反対は16%。

 このほか、「表示を義務化すべきだ」などとする流通・表示に関する意見が13%、倫理的な問題を指摘する意見が10%、長期的な健康被害などを懸念する意見が8%あった。

(2009年6月8日22時23分  読売新聞)

「評価自体に対する疑問」とは、「評価のプロセス」に対する疑問なのか、「評価結果」に対する疑問なのかがわからない。それとも「評価してはいけない」のか?

次、中日新聞より。

クローン牛の評価案を審議 食品安全委、8割反対も「安全」

2009年6月9日 朝刊

 内閣府食品安全委員会の新開発食品専門調査会(座長・池上幸江大妻女子大教授)は8日、体細胞クローン牛や豚を「安全」とする評価案について、国 民から寄せられた意見を審議した。反対意見が8割超に上ったが「評価を大きく変える必要はない」(池上座長)と結論づけ、上部機関の同委員会に報告することを決めた。

 早ければ月内にも報告し、同委員会が厚生労働省に答申する評価案を決定する見通し。

 意見募集は、同委員会が評価案をまとめた3月から4月にかけて実施。寄せられた336件のうち、賛成意見は51件にとどまり、残りはほぼ反対意見だった。

 このうち半数程度は「気持ち悪い」という消費者の不安や、「生命の尊厳を汚す」といった倫理面の批判などで、調査会は「科学的視点で評価するわれわれがかかわる部分ではない」(同)として審議しなかった。

 ただ委員からは、消費者の不安などの意見が多いことを「厚労省や農林水産省にきちんと伝えるべきだ」として、食品安全委でその方法を検討するよう求める意見が出た。

中日新聞は「科学的評価は民主的に行われるべき」と考えているのだろうか?科学的な見地から行われた評価である以上、市民の99.99%が科学的な根拠に基づかない理由で反対を表明したところで評価結果は変わらない。評価を行った科学者が自らの職業倫理を全うしようとするならば、見解を変えることはできないのだ。もしそんなことを行えば、科学を歪めたことになってしまう。

科学は万能ではないし、もちろん完璧でもない。しかし、科学はその時々に利用できる情報を最大限に精査して結論を導く上で、素朴な直感や宗教的な教条や市民の感情に勝る最大の武器であることは間違いない。

科学は頼りないかもしれない。しかし我々が未来を見通すには、他に頼れるものがないのだ。

市民社会がどのような技術を受け入れるか、その選択の権利は市民にある。しかし、実際の選択のプロセスは時に民主的ではなく、民主的である場合には、残念なことに合理性を欠く場合もある。

政見放送を聞けば明らかなように、声の大きな人が常に正しい見解を述べているとは限らない。・・・というか、大声で正論を吐くのって恥ずかしくないか?

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2009年6月 8日 (月)

mct118型検査

このエントリーではmct118については書くが、裁判についてはあまり触れない。

mct118は足利事件のDNA鑑定に使用されたDNAマーカー。多型のタイプから言えばVNTRにあたる。論文として英文誌に発表されたのは次のものが一番古いようだ。

K Kasai, Y Nakamura, and R White, “Amplification of a variable number of tandem repeats (VNTR) locus (pMCT118) by the polymerase chain reaction (PCR) and its application to forensic science,” Journal of Forensic Sciences 35, no. 5 (September 1990): 1196-1200.  

雑誌に掲載されたのが1990年の9月。これがピア・レビューのある雑誌への初出であれば、同業の専門家の評価や批判にさらされたのはこれ以降ということになる。

足利事件の経緯をおさらいしてみると、こちらのサイトの情報によれば、科警研で被疑者と犯行遺留品のDNA鑑定を行ったのは、1991年11月とある。この当時の技術水準から言えば、電気泳動像はこんな感じ(日本ジーンのキットのホームページ)で、PCR断片が長くなると16 bp程度(1反復単位)の違いは非常に見分けにくかったと想像される。

最初の論文が出てわずか1年後には捜査に使われたことになる。ちなみにこの論文の研究が行われたところは、"University of Utah Health Sciences Center, Salt Lake City."。アメリカである。

ヒトのDNA多型は、民族や人種集団で多型の頻度や種類の構成が異なる。このmct118についても日本の警察で証拠固めに使えるようになるまでには、日本人の集団におけるバックグラウンドを固めておく必要があることから、相当数の試料分析しておく必要があったはずだ。・・・それをどのくらいの期間でやったのだろう。なんだか、きりきり舞いしている研究者の姿が瞼にちらつく。また、こういう場合、バリデーションは大丈夫だったのかと少々気になるところ。

現在のDNA鑑定のガイドラインでは、複数の研究室の間で分析結果の整合性が採れない方法は証拠としては採用されないはずだが、当時の技術水準から言えばそれは難しかったのだろう。

さて、上記の論文には続報がある。初期にはmct118型検査の際にD1S80遺伝子座からPCRで増幅されたDNA断片の塩基配列がまだ決まっていなかったことから、32個の対立遺伝子の塩基配列を網羅的に決めてしまおうという試みだ。

Koji Fujii et al., “A new sequenced allelic ladder marker for D1S80 typing,” J Hum Genet 49, no. 3 (February 26, 2004): 169-171. 

# なお、この論文のPDF版は無料で公開されており、ご家庭でも読めます・・・読まないか。

この論文によれば、このMCT118型のVNTRは完全な反復配列ではなく"RMRRA CCACH RGVAA G"という、あちこちに変異が入って13種類に分化した反復単位の繰り返しでできている。興味深いことに、Figure 2を見るとallele 39-44の6種類の対立遺伝子の間では、反復単位10型の部分で”伸び縮み”したような形跡がある。

非常に多型的な遺伝子座に見られる現象だが、こういう場合、確率は低いけれども、電気泳動像では同じように見えるため、同一であるとタイピングされてしまうが、塩基配列の上では別物と言うことも起こりうる。この論文の水準に達しても、まだ単一の遺伝子座でDNA鑑定を行うのは危なっかしい。

ちなみに、足柄事件の場合はその種のエラーではなく、もっと初歩的なヒューマンエラーの積み重ねがあったようだ(*)。

また、こちらで跡見学園女子大学専任講師 中島宏さんが書かれているが、初期の証拠では被疑者のDNAとして「平成三年六月二日に被告人が集積所に捨てたごみ袋の中から、精液の付着したティッシュペーパーを採集した。」とある。

しかし、被疑者が捨てたゴミに含まれていた精液が本人のものといえるかどうか?そこには推定が挟まっている。せめて、本人の毛髪や血液の提出を受けて、それと照合するべきだろう。再鑑定を拒否した裁判官は、その点を問題としていなかったようだ。

DNA鑑定そのものがいかに技術的に進歩して確実性を増しても、それ以前の証拠の取り扱いに瑕疵があっては証拠としての確実性は高まらないのだ。それは単純な「DNA鑑定の問題」ではないのだが。

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2009年6月 7日 (日)

半人工的な生態系の維持は生物多様性に貢献するか?

6月7日の読売新聞社説より。

” 日本でもかつて、国土の開発が急速に進み、自然破壊が顕在化したが、近年は自然保護に配慮した開発が一般化したといえよう。喫緊の課題は、里山の保全・再生ではないだろうか。

 樹木を伐採して炭にする。落ち葉を肥料に活用する。日本人は人里近くの野山に手を加え、生活に役立ててきた。里山は人間と自然の共生の象徴といえる。

 だが、近年、山間部の過疎化などで里山の手入れが行き届かなくなった。竹に侵食された里山も少なくない。里山は、日本固有の動植物の生息の場でもある。その荒廃は、生態系に大きな影響を及ぼしている。”

里山の”荒廃”が生態系に影響を及ぼすとして、それは”誰にとって望ましくない”ことなのだろうか?

たとえば、阿蘇の草千里は千年にわたる里人の野焼きで維持されているし、佐賀県の虹の松原も住民の芝刈りと松葉の除去で下生えを管理して維持してきた。各地の里山の維持もそれと同様なのだが、人手が入らなくなると荒れる

この荒れるという状態の推移は現在でも各地で見られるのだが、将来にわたって際限もなく変化が続くという意味ではない。Reinhold Tuexenらによれば、いずれはその地域の気候帯に見合った自然な均衡状態、つまり、潜在自然植生へと戻っていくと考えられる。

実は、耕作放棄地が山林や原野に戻っていく過程もこれと同じような現象だ。その回帰の過程では、水田という人為的な生態系を生活の舞台としていた小型の魚類や、それを餌にする鳥類は姿を消すだろう。コウノトリの里も、トキの里も、人為的な生態系であって人手の入らない自然環境とはほど遠い。そういう環境は縄文時代には普通ではなかったはずなのだ。その気候帯・風土の本来の生物多様性のベースラインは、原生林や原野であって人里ではない。私はそう思う。

人手の入っていない自然な状態への回帰の過程を、我々は自分達の都合で荒れると言っているに過ぎない。それが生物多様性の保全という観点からどのように望ましくないのか、私には良くわからない。それのどこが問題なのだろう?

私は原野だらけの北海道出身だから特にそう思うのかもしれない。関東に住んでいると手つかずの自然などまず目にしないし、このような社説を読むと、都会に生活基盤を置いている人達にとって、自然とは守ったり維持したりするものと考えている様に見受けられる。そうではなくて、放っておいてあるがままの状態に落ち着いたところが自然なのだ。

スーパーで売られている農産物や食料品に「自然の恵み」と書いてあるのを目にすると、「我々の食べ物で、真に”自然の恵み”といえるのは養殖でない海産物くらいだろ(鯨を含む)!」と突っ込みたくなる。自然はそんなに気前よく人類に恵みを分け与えたりはしないものなのだ。

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同じ社説からもう一点。

”日本は食料の多くを輸入に頼っている。食卓に上る魚介類や肉、穀物などは、世界各地の多様な生物の恵みそのものといえる。世界的な視点で生態系の維持を考える必要がある。”

あのぅ・・・。魚介類を生物多様性の文脈で語って頂くのは結構だが、肉や穀物はちょっと違う。野生動物の肉を輸入している訳ではないし、穀物は外国の農家が栽培したもので、手付かずの生態系から採取してきたものではない。

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