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2009年3月8日 - 2009年3月14日の記事

2009年3月13日 (金)

WWWの誕生日

”五号館のつぶやき”さんにインスパイアされてこのエントリーを書いています。

World Wide Web・・・今や単にWebと呼ばれるこの技術が生まれたのが1989年3月13日でしたか。

[以下、40歳以下の人にはわかりにくいお話]

私が始めて使ったブラウザはNCSA MOSAICでした(1994年ごろ)。それも職場のEWS4800というNECのワークステーションで。当時まだarchieGopherも現役で、lynxのインターフェースを見ていると、Veronicaと似たようなもんだなぁと思ったものです。それがこんなに普及するとは・・・思えば遠くへ来たもんだ、と言う感じがします。

しばらくして、職場のシステム更新でワークステーションはHP9000にリプレースされ、文献検索に使っていたグリーンCRTのダム端末と大型レーザー・ラインプリンターが撤去された。当時は、BIOSISやAGRIS、CABといった文献データベースを調べるにも”大型コンピューター”のお世話になる時代だった。しかも、アブストラクトまで出力すると一件ずつ課金されるという鬼のようなシステム。現在のように、PubMedのような文献データベースが只で使えるとか、ジャーナルが無料で読めるなんて想像もできませんでした。

FTPで初めてDDBJのDNA配列データをダウンロードしたのもその頃でした。ワークステーションで720KB(2DD)の3.5インチのフロッピーに落としたDNA配列データを、DOS/Vマシンで1.44MBのPCフォーマットのディスクに移し換え、それをMAC Classic上のプライマー設計ソフトに読ませてPCR用のプライマーを設計するという、非生産的な作業をしたものです。程なく、職場の全居室に10base5のイエローケーブルが引き回され、Windows 3.1で使えるTCP/IPパッケージが市販されて、ようやく研究室からもインターネットが使えるようになった。当時のマシンはPentium 90搭載のGateway2000。NE2000準拠のISAカード(たしかRealtek製のチップの乗ったやつ)をさして使っていたっけ。

そうこうしているうちにOSはWindows95に更新、NICも3COMの3C905-combo (PCI)にかわり、ブラウザもNetscapeに。やがて、IE3.0に。

その頃、職場のホームページは私がHTMLをテキストエディターで書きつつ、時折、ブラウザで確認しながら作っていたものでした。それが95-6年ころ。WWWが御年6歳のみぎりからのおつきあいということになる。もう14年も経つのか。

今年、WWWは二十歳。もうすっかり、オトナですね。

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2009年3月12日 (木)

"半麦飯"を知っていますか

創られた伝統」という言葉があるが、お米のご飯が日本の伝統食であるという主張もまた、一種の創られた伝統であると考えた方がよいだろう。

日本の食生活全集」(農文協)というシリーズものの本がある。昭和初期までの日本各地の食物を各地で聞き取り調査してまとめた労作だ。故あって、中国(岡山広島)、四国(香川、愛媛、高知、徳島)の6冊を斜め読みしてみた。

昭和初期、西日本では麦飯を普通に食べていた。若干の天水田しか作れない島嶼部はもちろん、水田がある開けた平野でさえも、西日本の人々は麦飯を普通に食べていた。

しかし、驚くべきはその「麦飯」の内容である。現在食べられている「麦飯」はお米のごはんに裸麦を1-2割混ぜたものだ(刑務所の麦飯は、大麦が3割らしい)。ところが、昭和初期の中四国の農村では、「半麦飯が食べられるのを願いとする」という状況だったらしい。半麦飯とは、半分裸麦、半分お米のご飯を言う。

では、普通は何を食べていたのか?というと、現在とは違う「麦飯」だ。お米が1-3割、裸麦が9-7割。貧しい家では、裸麦100%をご飯のように炊いたものを指して「麦飯」と言っていたようだ。これは、ご飯というより”ご麦”と言うべきだろう。

少なくとも大正から昭和初期まで、農村に暮らす普通の人々は、ほとんど米のご飯を食べてはいない。

時代は下って、昭和25年12月7日、参議院予算委員会にて。

国務大臣(池田勇人君)  御承知の通りに戰争前は、米一〇〇に対しまして麦は六四%ぐらいの。パーセンテージであります。それが今は米一〇〇に対して小麦は九五、大麦は八五ということになつております。そうして日本の国民全体の、上から下と言つては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやつております。これは完全な統制であります。私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります。

これが新聞によって、”貧乏人は麦を食え”という有名かつ刺激的なフレーズにダイジェストされてしまった発言だ。米の統制価格は上げるが、麦は価格を据え置く、というのが発言の主旨だ。もともと価格統制の匙加減の話なのだが、それを「経済の原則に副つたほうへ持つて行きたい」というのは合理的なのか。今日的な視点で言えば、売る側の価格にタガをはめておきながら、買う側の自由だと言うのは筋が通らない。

それはさておき、この頃になると昭和初期とは違って、麦飯に占める大麦の比率はどう考えても50%以下になっている(戦前でも平均すると30%台が普通だったようだ)。

今や、小麦は知っているけれど大麦は見たことがないという人の方が多いかも知れない。大抵の日本人は日常的には大麦を食べていないのだから。

”食育”というキーワードの下、もっとお米を食べようという運動が行われている。それ自身の是非を問う気はないが、かつて日本人が何を食べてきたのかをに知らずに、「お米は日本の伝統食」というトンチンカンな誤解をはびこらせるのは良くない。「日本の食生活全集」を見れば分かるが、我々庶民は伝統的にはそれほどたいしたものは食べてこなかったのだ。

今日「伝統食」と言われている栄養バランスの良い、いわゆる「日本型」の食事は、実はデンプン、タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラルのバランスのとれた配分という科学的知識の裏付によるものであって、食品科学や栄養学の粋だ。それを関係者の地道な努力が世間に広めてきたことで達成し得た教育の成果なのだ。

”食育”の対極に、昔から食べてきたものを普通に食べればよいと言う主張もある。しか し、伝統や経験の裏付けだけが無条件に良いと考えてはいけない。日本人の平均寿命の伸びのある割合は食生活の”改善”によって達成されてきたと考えられるからだ。何かの習慣が、他のものよりも良いとすれば、”なぜ”それが良いのかという根拠を理解しなければ、教条主義に陥る。

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2009年3月10日 (火)

新産業創出

日本経済新聞より。

農業資源から新産業、農相が諮問会議で提案へ

 石破茂農相が10日の政府の経済財政諮問会議で提案する農業や農村の潜在力を使った成長戦略案が明らかになった。遺伝子組み換え技術をカイコに使ってつ くる人工血管や花粉症の影響を抑えるコメの開発といった「アグリ・ヘルス産業」の開拓を支援する。バイオ燃料の普及などとあわせて、農林水産業を基盤とし た6兆円規模の新産業の創出を目指す。

 アグリ・ヘルス産業はバイオ技術などを使って健康・医療分野に農林水産物を生かす考え方。(11:01)

記録はしておこう。もう一つ、朝日新聞から。

舛添氏、薬価など決める中医協の見直し示唆

2009年3月10日10時53分

 舛添厚生労働相は10日の閣議後会見で、診療報酬や薬価を決める中央社会保険医療協議会(中医協)について、「(国民から見て)すぐわからない、複雑な仕組みは見直した方がいい」と述べ、将来的な見直しを示唆した。

 舛添氏は「厚労省の役人のなかでも専門家以外わからない」と問題点を指摘。医療提供者、医療保険者、公益代表の20人を同省保険局が事実上統括している今の運営を、より国民が議論に参加しやすい形に改めるとともに、産業育成の視点も入れることが望ましいとの考えを示した。

 舛添氏は、製薬や医療機器など、同省の担当分野の産業育成に取り組む計画づくりを進め、3月中の取りまとめを目指している。政府の経済財政諮問会議でも、民間議員側から診療報酬体系の見直しを求める意見が出ており、舛添氏が打ち出す計画の中に同様の考えが盛り込まれる可能性がある。

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2009年3月 9日 (月)

本草綱目に見るオオムギの記述

国立国会図書館の所蔵する漢籍はオンラインで見られるものがある。そんなことができるようになるとは、ほんの10年前までは思いもよらなかった。

「本草綱目」は、16世紀末(明代)に中国で記された本草学の集大成的古典。日本では本草学=博物学という色彩が強いが、本草綱目で扱っている植物は薬草+作物である。このとりまとめ方には、医食同源という考え方が反映されているのかもしれない。

多くの漢籍同様、本草綱目にも色々なバージョンが残されている。たとえば、こちら(国立国会図書館)。

オオムギに関する記述は、総目次によれば、第17冊 第22巻にある(本文はここから)。本草綱目は、項目の立て方が【釈名】(題目の意義)、【集解】(解釈集)、【気味】(特性?)、【主治】(効能?)、【発明】(用法?)、【附方】(適用症例?)と整理されている。

このうち、集解の部分を二行ほど引用する(訳は適当だ)。

弘景曰、今裸麦、一名牟麦 以[禾廣]麦惟皮薄爾
(弘景曰く、今、裸麦と呼んでいるものは、一名、牟麦という。[禾廣]麦は以てただ皮が薄いのみだ。)

恭曰、大麦出関中即青裸麦、形似小麦而大皮厚故謂大麦、不似[禾廣]麦也
(恭曰く、関中より出でる大麦は即ち青裸麦、形は小麦に似るが、大きく皮が厚いので大麦という。[禾廣]麦には似ていない。)

・・・と原典を書き写していたら、「維基大典」という”中国古典Wikipedia”の大麦の項によく似た記述がある。
http://zh-classical.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BA%A5
これを見てよく似ている・・・。 そう思ったのだが、集解を最後まで見たら、本草綱目そのまんまだった。「維基大典」のオオムギの項は、出典が本草綱目のようだ。

この集解には興味深い記載がある。

郭義恭廣志》云:「大麥,有黑穬麥,有(禾宛)麥,出涼州,似大麥。有赤麥,赤色而肥,據此則穬麥是大麥中一種,皮厚而青色者也。大抵是一類異種。如粟粳之種近百總是一類。但方土有不同爾。故二麥主治不甚相遠。大麥亦有粘者,名糯麥。可以釀酒。

”大麦には、色の黒い穬麥がある。涼州の(禾宛)麦があるが、大麦に似ている。赤麦がある。色が赤くしかも肥えている。據此即ち穬麥は大麦の中の一種で、皮が厚くしかも青い色だ。粘りけのある大麦は、糯麦(モチムギ)という。これで酒をかもすことができる。

・・・いい加減な訳だが概ねこんな感じだ。確かに、400年前の書物にモチ性オオムギの記述が出ている。わざわざ”これで酒をかもすことができる。”と言っているところが興味深い。

この記述は、実は英国の研究者の論文にも載っていた。2002年の論文なので、時代は一気に400年ほど下る。

Nicola J. Patron et al., “The Altered Pattern of Amylose Accumulation in the Endosperm of Low-Amylose Barley Cultivars Is Attributable to a Single Mutant Allele of Granule-Bound Starch Synthase I with a Deletion in the 5'-Non-Coding Region,” Plant Physiol. 130, no. 1 (September 1, 2002): 190-198, doi:10.1104/pp.005454. 

こうある。

Although these cultivars are of diverse geographical origin, all carry this same deletion, suggesting that the low-amylose cultivars have a common waxy ancestor. Records suggest a probable source in China, first recorded in the 16th century.

時期的には「本草綱目」と合う。

上の”弘景”の言う”以[禾廣]麦惟皮薄爾”と併せて考えると、大麦は皮が薄く、それよりも皮の厚い[禾廣]麦=穬麥、というものがあるらしい。ちなみに、”穬麥”も本草綱目では大麦とは独立した見出しが付いており、釈名にはこうある。

時珍曰、穬麥之殻厚而粗礦也

”時珍によれば、穬麥の殻は厚くてしかもがさがさしている?(=粗礦)。”
字義から言えば、”穬=禾+廣”イネ科でしかも”廣”あるいは”礦”な性質の植物なのだろう。

ちなみにGoogle翻訳は役に立たなかった。”礦”を和訳させると”わたしのもの”と返ってきた。ん?”礦=鉱”=鉱山=mine=私のもの・・・orz・・・いや、こんなところで洒落なくて良いのに。

むしろ”礦”よりは”礪”(あらと)の方が意味が通じるのだが、音は違うのだろうな。

本草綱目もそうなのだが、中国の古典は、論文で言えばレビューに似ている。出典を明らかにしつつ、先人の著書を引用して束ねている所は一緒だ。丹念に出典を手繰っていくと意外な発見もある。

先ほど、西山武一、熊代幸雄訳の齋民要術(リンク先は中国科学院自然科学史研究所)という北魏の賈思[劦思] "Jia Si Xie"の編集による6世紀の農業書(本草綱目よりも1,000年も前の書物!)の大麦の項を見ていたら、引用文献が本草綱目によく似ていた。・・・というか、齋民要術が本草綱目の底本なのかもしれない。
そこには、こうある。

《 廣志 》 曰 : 「 虜水( 二 )麥, 其實大麥形, 有縫 。 ● ( 三 ) 麥 ,似大麥 , 出涼州 。 旋麥 【 一 】 , 三月種 , 八月熟 , 出西方 。 赤小麥 , 赤而肥 , 出鄭縣 【 二 】。 語曰 : 『 湖豬肉 , 鄭稀熟 。 』 山提 ( 四 ) 小麥 , 至黏弱 ; 以貢御 。 有半夏小麥, 有禿芒大麥 , 有黑穬麥 【 三】 。 」

ここでいう《 廣志 》は、本草綱目で言う《郭義恭廣志》のことだろう。齋民要術では、大麦と小麦を一つのセクションで扱っている。こちらでは”赤小麥 , 赤而肥”(赤小麦、赤くてしかも肥えている)と書かれているが、本草綱目では”有赤麥,赤色而肥”(赤麦がある。色が赤くしかも肥えている。)となっている。1000年の間に、肝心の”小麦”という情報がどこかへ行ってしまって、赤麦として大麦の一種にされてしまっている(それでも大した文化だと思う)。

本草綱目の記述を見て、紫色の穂の大麦かと思ったのだが、その1000年前には小麦の記載だったことがわかってちょっとがっかり。

また、齋民要術にも青裸麦の記述がある。

青稞麥 【二二】。 右(二三) 每十畝 , 用種八斗 。 與大麥同時熟 。 好收四十石; 石(二四) 八九斗麵。 堪作飯 ( 二五 ) 及餅飥 ( 二六) , 甚美 。 磨, 總盡 ( 二七 ) 無麩 。 鋤一遍佳, 不鋤亦得。

途中の記号がわかりにくいのだが、西山武一、熊代幸雄訳を参考にすると、こんな感じ。原典の註では燕麦ではないかと書かれている。 

青稞麥。 毎十畝に種子八斗を用いる。 オオムギと同時に登熟する。 豊作だと四十石の収穫があり,一石から八,九斗の麺が取れる。[麥少](むぎこがし)及び[食専]飩(うどん)を作るに適し甚だ美味である。磨にかけると,すっかり麺になりふすまが出ない。

しかし、時代から言って”うどん”はないだろう。”餅飥”はモチをイメージした方が良いのではないか?訳註では,これを「今の裸燕麦」としているが、チベットには青裸麦なるオオムギも現存しており、現地では”ツァンパ”(むぎこがし)として利用されているそうなので、無理に燕麦にこじつけなくても・・・と思う。第一、書かれている場所は大麦小麦のセクションだし。

もし、これがモチ性大麦であれば、文書に現れる時代は従来の説よりも1000年遡るのだが。

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