2020年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のトラックバック

どこからきたの?

  • なかのひと

Google Analytics

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月の記事

2009年7月30日 (木)

あれ?こっちはGLPではないんだ

受託分析機関が行う農産物の残留農薬検査では、分析機関の行う分析の信頼性を農林水産省が保証する農薬GLPが制度化されている。

この他、化学物質や医薬品の製造販売承認申請のバックデータ、食品衛生検査など法による規制が関連する分析の分野では所管官庁によるGLPが実施されており、分析の精度を保証している。

しかし、健康診断の際や、病院から患者さんの検体を預かって様々な分析を行う臨床検査の分野には、GLPは存在しないようだ。規制法に関連しないのと、臨床検査は個々の病院でも行うのでGLPが設定されるとえらいことになるのかも知れないが、サンプルの抜き取り検査で行われる生鮮食料品の残留農薬検査がGLPで精度保証しているのに対して、こちらの方が我々の健康に直結していることを考えると、臨床検査の数値はデータの精度管理に関する公的機関の保証がないのはどこかアンバランスな気がする。

医薬品の開発においても、前臨床試験はGLPで行って精度管理されているが、治験(臨床試験)の際に患者さんや健常な人から得られる臨床データについては、GLPが適用されない。被験者の安全確保という点からGCPで規制しているのは当然のこととしても、動物実験にはGLPを要求しているのに、治験のデータの精度保証はGLPではなくて病院や臨床検査会社の自主基準で良いというのも何だか釈然としない。

分析データの精度次第で、我々の生活に直結したリスクに対して影響を与えるという意味では、犯罪捜査におけるDNA鑑定もそうだ。足利事件のように、分析の精度管理の如何で人の運命が左右されることもある。

犯罪捜査の場合は、警察で行われる証拠品の取得・押収、保管、分析、分析データの保管・解釈、取調べの際の被疑者や参考人の証言との照合、といった一連の作業のセットに対して業務方法書とSOPのセットを完備するとなると捜査員の機動性が殺がれてしまうのかも知れない。行政手続きなので製造業のISOのような標準化は無理だとしても、ある程度はヒューマン・エラーを防いで信頼性を確保するための工学的な工程管理の工夫が必要なのではないかと思う。

人気blogランキングへ←このへん、クリックしていただけますと、私も若干元気になるかもしれません。

2009年7月29日 (水)

ブルーマンは医と食の壁を乗り越えるか!?

食品添加物として使用されている色素、青色1号(ブリリアントブルーFCF)に神経の損傷からからの回復を早める効能が見つかった。論文はラットを使用した実験。

“Systemic administration of an antagonist of the ATP-sensitive receptor P2X7 improves recovery after spinal cord injury,” http://www.pnas.org/content/early/2009/07/24/0902531106.abstract.

こちらの記事では、ブリリアントブルーFCFを投与されたラットが青く染まっているところに注目しているようだ・・・まぁ、一種、チャーミングではある・・・が、私は別の意味で興味深い研究だと思う。

これまでも医薬品として使われる成分が、食品添加物に使われてきたケースはいくつかある。たとえば、甘草のグルチルリチンや、CoQ10など。しかし、逆のパターンで食品添加物から医薬品になったというケースは聞いたことがない。さて、どう展開されるのか。

食品添加物なので、経口投与の際の安全性は実験的に確認されている訳だが、投与経路が違えば毒性が現れないとも限らないので、もし、医薬品として使用するつもりであれば、動物実験の際には、青いラットの群れが見られるだろう。そして、治験の段階になると・・・ブルーマンショー?

ブリリアントブルーFCFそのものは特許で保護されないので製薬会社は開発のモチベーションを持たないだろうが、投与方法によってはこれからまだ特許がとれる可能性は残されている。今後に注目。

人気blogランキングへ←このへん、クリックしていただけますと、私も若干元気になるかもしれません。

2009年7月17日 (金)

トムラウシで遭難事件 -気象条件の判断がキーか-

私がトムラウシに登頂したのは、過去2回。もう20年ほど前になる。

トムラウシはアプローチが長い山だ。南からの沢登りであればトムラウシ温泉から2日だったか。こちらはそれほどでもない。北から白雲岳経由であれば、白雲小屋で一泊、ヒサゴ沼で一泊しても、1日の行動時間は6時間を越えるだろうか。天候がよければ何もいうことは無いほど快適な尾根上の縦走路だが、天候が悪いと待避所が全くと言っていいほど無い。

それだけに天候の予測が安全な山行の要だ。しかし、この季節に1日で10人遭難死(1名は美瑛岳)というのはかなり異常な事態だ。

大雪山系遭難、中高年ツアー客ら10人死亡

 北海道・大雪山系トムラウシ山(2141メートル)と美瑛(びえい)岳(2052メートル)で16日、悪天候のため登山客ら計2組24人が下山できなくなった遭難事故で、道警は17日未明から救助活動を開始した。

 トムラウシ山では18人のパーティーのうち8人が死亡したほか、1人で入山していた別の男性登山客が山頂付近で死亡しているのが、新たに見つかっ た。南西約15キロにある美瑛岳では、救助要請していた6人のパーティーのうち女性登山客が死亡。大雪山系での死者は10人となり、いずれも50~60歳代だった。

 トムラウシ山では、夜明け前の17日午前4時前から、道警山岳救助隊や消防隊員ら約40人や、道警と自衛隊のヘリコプター計4機が順次、捜索を開 始。山頂近くの北沼付近で男女計7人が見つかったが、4人は意識不明の状態だった。別の登山客は山の中腹の岩場などで動けなくなっているのが見つかり、それぞれヘリが登山口まで移送。救急車で病院に搬送された。

 また、美瑛岳で遭難した6人のパーティーのうち、死亡した兵庫県姫路市、尾上敦子さん(64)以外の5人は無事が確認された。

 16日は標高1500メートル付近で風雨が非常に強く、登頂を断念して引き返す登山客もいたという。帯広測候所の観測では、山系周辺は当時、推定風速20メートル以上の西風が吹いており、ふもと付近でも気温は10度前後まで冷え込んでいたため、道警は死因はいずれも低体温症とみられるとしている。

 トムラウシ山の18人のパーティーは、東京都内の旅行会社のツアー。愛知、広島、静岡、宮城などの50~60歳代の男女15人が参加、13~17日の日程で大雪山系を縦走する計画で、ガイド3人が同行。美瑛岳のツアーは茨城県つくば市の旅行会社が企画し、兵庫、埼玉の女性3人が参加。ガイド3人が同行していた。

(2009年7月17日15時10分  読売新聞)

1日のうちに複数のパーティーで散発的な事故が重なったのであれば、気象条件の急変が疑われるのだが、今回の件では一つのパーティーで8名亡くなったというのは何らかの判断ミスが疑われる。

朝日新聞の記事によると、

 ツアーを企画したアミューズトラベルの説明によると、まず女性1人が体温の低下で体調を崩し、ガイド1人とテントを張ってその場にとどまった。さらに4人が体調を崩し、テントで休むことにしたという。テントの外で男性1人が動けなくなっていた。

 残りの参加者9人は別のガイドとふもとを目指した。疲労から集団に追いつけない参加者もでて、集団はやがてばらばらになったという。このガイドは参加者2人を連れて下山し、その後、再び1人で山に入ったという。

とある。6人が動けなくなるまで行動したのは間違い。遠くからはるばるやってきて、日程にもあまり余裕が無かったので天候観測で1日待つということもできなかったのかもしれないが、ルートと参加者の特性をよく考えていなかったのだろうか。

人気blogランキングへ←このへん、クリックしていただけますと、私も若干元気になるかもしれません。

2009年7月14日 (火)

「自殺にはDNAが働いている」

人の一生のあらゆる場面で、DNAが働いているという意味合いにおいては、「自殺には何らかのDNAが働いていると考えられる」という言明もあながち間違いではない。

しかし、それはいかなる善行にも悪行にも、そして無意識の振る舞いにもDNAが働いているということであり、何も言っていないに等しい。

毎日新聞より。

鳩山邦夫前総務相:「自殺にはDNA働く」シンポで発言

 鳩山邦夫前総務相は12日、福岡県久留米市であった久留米大学主催のシンポジウムで「自殺には何らかのDNAが働いていると考えられる」と発言し た。自殺に関する研究を同大で進めてほしいとの趣旨の発言だが、自殺と遺伝を結びつけたとも受け取られかねず、論議を呼ぶ可能性もある。

 鳩山氏は、01年1月に自殺した中島洋次郎・元衆院議員について「家族にも自殺者がいた」と指摘。自殺を引き起こす要因などについて「久留米大で研究していただければありがたい」と述べた。【平野美紀】

自殺そのものには様々な動機が関与しており、遺伝で物事を言うのはあまりに単純化しすぎている。厚労省の自殺死亡統計に引用されている警察庁の「自殺の概容」よれば、遺書があったケースでは、自殺の原因トップ3は、健康問題、経済・生活問題、家庭問題であり、これらで約82%が占められている。もっとも遺書が無いケースが遺書のあったケースの二倍以上あるので、これらの原因にあまり重きを置かない方が良いのかもしれない。

一方、自殺とうつ病の関連は広く認められている。また、うつ病のリスクと遺伝の関係も研究が行なわれており、ヒトでも様々な環境要因の下で、うつ病になりやすい遺伝子型というものも存在すると考えられる。最近ではモデル動物も開発されていて、以前、理研ではうつ病のモデルマウスを開発していた

従って、”遺伝的要因 → うつ病 → 自殺” という緩やかな関係においては、遺伝子と自殺の間に一定の関連はあると考えてよいだろう。しかし、それでも環境要因による影響は非常に大きい。

例えば、厚生労働省の自殺死亡統計によれば、人口10万人あたりの自殺者の割合の年次推移を見れば、年々自殺者の割合が増えてきていることが分かる。
2b1

このような変動は、遺伝子で説明できるものではない。となると、社会的な要因で自殺に追い込まれている人々の割合が増えていると考えるべきであり、自殺の防止は国民の生命の安全を守る政府の責務でもある(だからこそ厚労省が統計を採って対策を練っているのだが)。

日本人の自殺による死亡者は年間3万人以上。これは交通事故死の約6倍、がんによる死亡の約1/10にあたる。

私は、マスコミが片言隻句を捉えて騒ぎ立てるのは好きではない。だからこの記事の尻馬に乗るのは本意ではない。しかし、著名な与党の政治家の認識として、自殺にはDNAが働いているので大学で研究して欲しいというレベルでは、政府が本腰を入れて自殺対策に乗り出す日はまだ遠いことのようでがっかりさせられる。

人気blogランキングへ←このへん、クリックしていただけますと、私も若干元気になるかもしれません。

2009年7月13日 (月)

デュアリスのリコール

以前乗っていたプリメーラは数回のサービスキャンペーンに該当したが、リコールは一度も無かった。

今回は、デュアリスの2箇所同時リコール+2箇所サービスキャンペーン。外側ドアハンドルが引いたまま戻らなくなる可能性、内側ドアハンドル部材の強度不足(あまり強く引くと取れちゃうらしい)、ワイパー駆動モーター防水シーリングの不良、リレー集中制御装置(一種の配電盤)のプログラム不良・・・いやはや。

土曜出勤の代休を利用してディーラーに修理に行って来た。結局、朝9:30に預けて、17時引き取りの1日仕事。返ってきた車は、洗車していただいたのでピカピカ。
# リコールは迷惑だが、自分で洗わずにすんだのは結構ありがたかったりする。

一台の自動車には2-3万点の部品が使われている。各部品の不良率が1ppm(=0.0001%)だとして、一箇所でも不良が合った場合リコールされると仮定すると(かなり厳しい条件だが)、リコール確率は、

p1 = 1 - (1 - 0.000001)^20000 から 1 - (1 - 0.000001)^30000
  = 0.0198 から 0.0296

概ね2-3%となる。これが4箇所同時におきる確率は

p2 = 0.0198^4 から 0.0296^4
   = 1.537 x 10^-7 から 7.629x 10^-7

0.1537ppmから0.7629ppm。一千万分の一のオーダー?この試算だと4箇所同時にリコールというのはあまりにレアな事象なので、自動車部品自体の不良率はもっと高いのかもしれない。

# 走る、止まる、曲がるに影響しない程度のリコールなら大目に見ますが。

人気blogランキングへ←このへん、クリックしていただけますと、私も若干元気になるかもしれません。

一つのダブルスタンダードが解消した

日本でも、”脳死は人の死である”・・・ということになった。

参議院で臓器移植法の改正案が成立した。参議院での議論の焦点や経緯については、議員の哲学を知る上で色々な見方ができそうだが、ともあれ衆議院の議決を受けてA案が採択された。

現行の臓器移植法は、臓器移植という一種の医療行為を行なう場合に限って、脳死を人の死としてきた。つまり、脳死状態のヒト(生物学的な意味での”人”)でもドナーとしての意思表示をしてこなかったヒトは、脳死状態でも”死んでいない”ことになり、臓器を提供しても良いという意思表示を行政的に認められる一定の方法で示したヒトのみが脳死状態になったときに、”死んだ”ことになっていた。

つまり、単純に

1.”亡くなった方の肉体 → では臓器移植の提供元になっていただきましょう”

ではなくて、

2.”脳が機能停止した方の肉体 → 臓器提供の意思がある場合のみ死亡と見做す → では臓器移植の提供元になっていただきましょう”

であったものが、単純に1.になった。

# 細かく見ていくと、脳死をヒトの死と見做す今回の改正では、年齢制限以外にも多くの制限要因が撤廃されたことになる。

今般の法改正では、医学的には同じ状態 -脳幹を含む全脳髄の不可逆的な機能喪失- であっても、肉体の状態を余所に、本人の意思を含めた周囲の社会的な環境によって生きていたり/死んでいたりという奇妙な状況は一応解消されるのだろう。

一方、これからの脳科学の発展如何では、脳死の定義がさらに変わってゆく可能性もある。脳の”不可逆的な”機能喪失とはどういうことか、脳死判定の対象部位は、「脳幹を含む全脳髄」か「脳幹」か、etc. そのあたりの議論は、今後の科学の発展を横目で見ながら深めていく必要があるだろう。

ともあれ、私の個人的な見通しでは、今後、再生医療が発展していけば、他人の臓器の提供を前提とした移植医療は再生臓器の移植と言う方向へ発展的に解消していくと考えている。そういう医療技術の発展の歴史的な流れを考えれば、この国が、そして日本国民が臓器提供という医療技術の一つの構成要素で、法律上の個人の死という重要な事柄を定義するという、奇妙で非常にad hocなものの見方から開放されたことは大変喜ばしい。

一方で、この法改正で”脳死判定”の持つ社会的な意義もまた大きく変わろうとしている。まだ心臓の動いている暖かな肉体が、法律上は既に死亡している遺体となった場合、その状態を維持する措置はもはや”医療”ではなくなる。これまでは延命措置として医療行為の一部と位置づけられていたものが、脳死判定をすることで病院の行なうべき業務の範囲から外れる可能性もある。退院した場合でも保険の適用対象から外れるのであれば家族の経済的な負担の問題もでてくるだろう。法律上の個人の死の定義は、行政的な影響範囲も大きいのだ。医師による「脳死判定の錯誤」に対する訴訟も起きては欲しくない。

# 議員は国民の代表なので、こういう影響の大きな決定を行なう場合でも、役所とは違って”パブリックコメント”は無いのだな。

人気blogランキングへ←このへん、クリックしていただけますと、私も若干元気になるかもしれません。

 

2009年7月10日 (金)

粗食で延命というニュースの一環

目指せ”仙人”ってことでしょうかね。

粗食は長寿、がん・心疾患・糖尿抑制…サルで実証

 カロリー摂取量を大幅に減らすと、がんや心疾患、糖尿病など加齢に伴う病気の発症を抑えられることが、アカゲザルを使った20年間の追跡調査で明らかになった。

 霊長類で、こうした効果が実証されたのは初めて。米ウィスコンシン大などのチームが、10日付の米科学誌サイエンスに発表した。

 チームは、7歳から14歳の大人のアカゲザル(飼育下の平均寿命27歳)を30匹使って、1989年に研究を開始。94年には46匹を追加した。 二つのグループに分け、片方のカロリー摂取量を30%減らし、血圧や心電図、ホルモン量などを測定。死んだ場合は、解剖で死因を詳しく調べた。

 カロリー制限しないグループでは、5匹が糖尿病を発症、11匹が予備軍と診断されたが、制限したグループでは兆候は見られなかった。がんと心疾患の発症も50%減少した。また、脳は加齢とともに、萎縮(いしゅく)することが知られているが、制限したグループでは、運動や記憶などをつかさどる部分の萎縮が少なかった。

 白沢卓二・順天堂大教授(加齢制御医学)の話「カロリー制限が、長寿や高齢者の認知機能維持にも役立つ可能性を示すもので、大変興味深い」

(2009年7月10日14時24分  読売新聞)

 酵母や線虫ではカロリー制限をすると死亡率が下がるという論文は以前あったが、霊長類でもそうだったというのはなかなか画期的。アカゲザルはカニクイザルより寿命が長い方なので、この種のモデル実験はちょっと大変だと思うのだが。

 後日、オリジナルを読むとして、群のサイズは結構大きいし、データの信頼性は高そう。論文を検討する上では評価項目をよく見ておくべきだろう。

 この種の長期試験はなかなか難しい。再現に20年もかかるとあれば追試は容易ではない。

 とりあえずマークしておこう。

人気blogランキングへ←このへん、クリックしていただけますと、私も若干元気になるかもしれません。

2009年7月 7日 (火)

日本学術会議会長と食品安全委員会委員長の談話

昨日のエントリーで読売新聞の記事を引用しながら何か変だな?と思ったのだが、日本学術会議会長の談話の要約がおかしな按配になっていた。

記事ではこう書かれていた。

「十分とは言えないデータで確率論的に結論を出さねばならないことがある。  データ不足を理由に結論を先送りするなら、科学の入らない主観的な判断になってしまう」と批判した。

何か変でしょ?で、談話のオリジナルを見てみた。
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-d4.pdf
これによると、

 今回の出来事に関する第1の問題は、リスク評価者である食品安全委員会が、データ不足のために科学的評価は困難であることを承知しつつも、食用牛肉のリスクを評価したとして非難された点です。一般に科学の結論を得るためには多くのデータが必要であり、データが多ければ多いほど不確実性は減ります。科学者は長い時間をかけてデータを集め、少しでも確実な結論を得る努力を続けます。
 一方、何らかの社会的な問題に対して緊急に対策を実施する場合には、その時点で得られるすべての、しかし十分とは言えないデータだけを基にして、いくつかの前提を置いて「確率論的」に早急に結論を出さなくてはならないことがあります。もちろん新たなデータが得られたときには評価結果を見直します。これは国際的にも広く認められたリスク評価の手法です。もしも「データ不足による科学的評価の困難さ」を理由にしてリスク評価の結論を先送りするならば、科学の判断が全く入らないリスク管理者の主観的な判断だけに基づく政策・措置を策定するという、好ましくない結果を生むことになります。

会長が懸念している部分は、

もしも「データ不足による科学的評価の困難さ」を理由にしてリスク評価の結論を先送りするならば、科学の判断が全く入らないリスク管理者の主観的な判断だけに基づく政策・措置を策定するという、好ましくない結果を生むことになります。

記事では「科学の入らない主観的な判断になってしまう」と要約、リスク評価に関する文脈で、主観的判断になることを懸念しているように要約している。一方、会長談話は「科学の判断が全く入らないリスク管理者の主観的な判断だけに基づく政策・措置を策定する」とリスク管理が非科学的で主観的なものになることを懸念している。

・・・結局のところ、科学技術会議会長が懸念している通り、読売新聞の記者もリスク評価とリスク管理の違いが分かっていないのではないだろうか、ということが懸念されてしまうのだ。リスク管理からのリスク評価の独立に対して市民の理解が得られるまでの道のりは斯くも遠いのだろうか。

食品安全委員会委員長も、この件について談話を発表している。
http://www.fsc.go.jp/sonota/iinchodanwa_210701.pdf
記事によれば、

「評価の独立性と中立性が守られなければならない」との談話を出した。

とのことだが、私はむしろこの委員長談話の主旨は、

広く国民の皆様に、「科学に基づく新しい食品安全を守るしくみ」についてご理解いただくことがどうしても必要です。国民の皆様のご理解とご支援を心からお願い申し上げます。

の方だと思う。この報道のされようを見ても・・・。

これらの談話については、特に国民の代表たる国会議員の皆様にこそ真摯に受け止めていただきたいものだ。

そうでなければ、今後、多忙な本職のほかに政府の委嘱でこの種の仕事を引き受ける専門家が居なくなってしまうだろう。

# 本職の方が多忙でないような”いわゆる専門家”には委嘱しない方が良いだろうし。

人気blogランキングへ←このへん、クリックしていただけますと、私も若干元気になるかもしれません。

2009年7月 6日 (月)

リスク評価が有効なのは合理的なコストでデータが入手できる場合に限られる

どんなコストを払ってでもデータを入手することに意味があるとは限らない。”時間”というリソースも含めて、合理的なコストで入手できないデータは、リスク評価には使えない。

食品安全委の人事案を野党否決、科学界が批判

 内閣府食品安全委員会の人事案を民主党など野党4党が参議院で否決したことに対し、科学界から批判が相次いでいる。

 委員の候補者が4年前、輸入牛肉の安全性を判断した科学的評価を、「評価の姿勢に問題がある」として否決の理由にしたためだ。近く政権を握るかもしれない党からの政治的圧力に、科学者側は「中立的な評価が損なわれる」と危機感を強めている。

 問題の人事案は、吉川泰弘・東京大教授を委員長含みで同委員に起用するもので、6月5日に否決された。吉川教授は2005年、同委員会のプリオン 専門調査会座長として、米国・カナダ産牛肉の輸入再開を条件付きで認める答申案をまとめた。民主党は、調査会が「データに不明点が多く、厳密に評価するの は困難」としながら答申案をまとめた点などを問題視した。

 しかし、食品安全委員会は、有害物質などがどのくらいの確率で悪影響を与えるかを科学的に評価する機関。日本学術会議の金沢一郎会長は先週、異例の談話を発表し、「十分とは言えないデータで確率論的に結論を出さねばならないことがある。

 データ不足を理由に結論を先送りするなら、科学の入らない主観的な判断になってしまう」と批判した。同委員会の小泉直子委員長(公衆衛生学)も1日、「評価の独立性と中立性が守られなければならない」との談話を出した。

 民主党の筒井信隆・ネクスト農相は「データが少ないなら集めるのが当然だ。学術会議の意見も一つの考えで、絶対ではない」と話している。

(2009年7月6日14時19分  読売新聞)

食品安全性に限らず、”リスク評価”はそれ自体、「科学的な評価手順に従って、合理的なコストの範囲で入手可能なデータから確率論的にリスクの大きさを計る」という性質がある。緊急時には少ない時間的リソースでの評価が問われ、結局は時間との戦いになる。

例えば、新型インフルエンザの発生時に、その対応を決めるためのリスク評価を延々とやっていたらどうなるだろうか?緊急性を勘案しないリスク評価は役に立たない可能性が高い。

食品安全委員会のリスク評価は、たしか標準処理期間が決まっていない。「データが少ないなら集めるのが当然だ。」と言っていられるかどうかは、現実に起こっている諸問題とどう折り合いを付けるか?という匙加減の問題でもある。いつまでも評価を長引かせると、実際の問題としては、リスク管理側の官庁の行政判断に影響を与えることになる。

例えば、仮に食品安全委員会が”十分なデータが収集されていないので、判断は保留する”として評価結果を公表しなかったらどうなるだろう?リスク管理側の官庁はどのように対応できるだろうか。BSE問題のケースで考えれば、それは農水省が”米国産牛肉の暫定的な輸入中止”をいつまで続け得ただろうか?ということでもある。

結局、評価結果待ちで無期限に輸入禁止を続ける訳にもいかず、評価結果を待たずに輸入するわけにもいかず・・・(評価に必要な情報の提供を米国政府に求めることはできたかもしれないが)。

いずれにしても、リスク管理を行なう官庁が対外的な説明責任を問われることになるだろう。”ネクスト農相”ならば、そうなった場合でも頑張れるのかもしれないが、リスク評価に必要なデータが入手できないという理由で評価結果の公表を無期限に延期するというカードを食品安全委員会に与えると、結局苦しむのはリスク管理を行なう官庁のトップだろう。

それはで結局、リスク評価をリスク管理から切り離せなくなってしまうのだが、その辺の理屈が分かっているのだろうか・・・。

人気blogランキングへ←このへん、クリックしていただけますと、私も若干元気になるかもしれません。

2009年7月 2日 (木)

リンクに応えてトラックバック

こちらのエントリーで、ゴールデン・ライスによる途上国へのビタミンA供給プログラムに反対している「ヴァンダナ・シヴァ」という人物の紹介にこちらのエントリーを引用したところ、Where Angels Fear To Send Trackbacks  (kasuga sho diary)からリンクを頂いた。

少々誤解されて居られる部分もあるのでTBすることにする。

# ちなみに、”ヴァンダナ・シヴァの主張について あるいは「合理的な反科学」はあるか、という問題”というエントリーの表題なのだが、どの部分が反科学に関する言及なのか残念ながら私には分からなかった。多分、もっと修行が必要なのだろう。

それはさておき、

 ブログのような主張はサイエンティストに一般的なもののように思われますが、背景には「我々は科学を知っている。一方で、彼らは非合理な野蛮人であり、行動や主張に合理性があるわけがない」という憶見があるように思われます。

個人のブログの意見を以て、”サイエンティストに一般的”とする推定はあまり妥当ではないように思う。また、私は”我々は科学を知っている。一方で、彼らは非合理な野蛮人であり、行動や主張に合理性があるわけがない”という推定をしたことはない。

むしろ、私の知る限り遺伝子組換え技術に携わる科学者は、今時このように欠落モデルにしがみついて自らの正当性に安住しようとするほどナイーブではない。どのような憶測も自由だが、私もまたこの種の憶測から自由である。

サイエンス・コミュニケーターは市民と科学(者)の双方と対話をしながら理解を進めるものだ。一つ助言をお許しいただけるならば、”サイエンス・コミュニケーターは科学者のこともよく知っておいた方がよい”と申し上げる。

コメントを頂いた私のエントリーを偏見なく読んでいただければ理解していただけるものと思うが、私はヴァンダナ・シヴァをプロフェッショナルの活動家であり、一種のサイエンティストだと見なしている。非合理な野蛮人だとは考えていない。それどころか、その振る舞いから見ても、遺伝子組換え作物を仮想敵とする活動によってどのように効率よくビジネスを展開するかという一点では、合理的な判断を下せる明晰な頭脳と行動力を備えたスペシャリストだとさえ考えている(非合理な野蛮人でさえNPOを立ち上げてメディアを上手く踊らせることができると言う推定には無理がある)。

次に、

そして、元々のトピックが、第三世界の貧困層にどのようにビタミンAを初めとした栄養素を安く供給するか、ということなわけですから、「品種そのものや育成技術」に力点を置くのは間違っているわけです。

全くそのとおりだと思う。ご指摘のように、「品種そのものや育成技術」に力点を置いて開発に異を唱えているのはヴァンダナ・シヴァ達だ。

現在、米でビタミンAを供給するという選択肢も手段の一つとして提供されつつあり、いずれそれを必要と思う人々が採用すればよい。”第三世界の貧困層”(※)とされる人々も営々と続けてきたそれぞれの農業のスタイルがあるのだから、”非合理な野蛮人であり、行動や主張に合理性があるわけがない”という救済の対象と見るべきではない。それなりの合理性を持ってやっていることを尊重するべきだろう。途上国へのビタミンA供給プログラムはあくまで支援事業であって、どのような選択をするのかは途上国の市民が決めることだ

一方で、ご指摘に様に”60種類ぐらいの品種を家にストックしておき、その年の気候や市場価格などの動向をにらみながら、十数種類を混作するのが一般的”という農業のあり方が、仮に将来にわたってそれなりの合理性があるのならば、ゴールデンライスが導入されれば須くモノカルチャーになる、という推定は妥当ではないだろう。新しく加わった1/60の選択肢と捉えることはできないだろうか?

そう言う意味では、

 つまり、すでに述べたような「60種類のストックから、十数種類の品種を」という農法に、現在の研究開発体制が即応するのは基本的に不可能なのです(昔 の水車小屋のように遺伝子改変ショップが村々にあり、農民が気軽に「今年はこれとこれにゴールデンライスの遺伝子入れてくれや」と言いに行ける、というのであれば問題はだいぶ解決されますが、その場合はみんなが勝手なことをし始めるという環境リスクが増大するでしょう)。
 したがって、農民は外来の品種を継続的に利用するしかなくなります。

というように、すべての品種を無理矢理ゴールデン・ライスのような遺伝子組換え品種に置き換える必然性がどこにあるのだろう。しかも、交配で済むものを無闇に遺伝子導入するべきではない。どのような仮定も論理的には可能だが、このような極端な前提に立った議論は現実と乖離せざるを得ない。仮にゴールデンライスに相応のメリットがない場合には、農民が在来品種を使い続けると考える方が妥当だろう。

また、この推論もいただけない。

ゴールデンライスそのものはパテント・フリーでも、おそらく適切にゴールデン・ライスを育てるためには、BTやラウンドアップ・レディといった他のGM技術を複合的に利用しなければならなくなる可能性が極めて高いわけです。

目標がビタミンAの供給である限り、この戦略はおそらく採られることはないだろう。現地の農業のあり方や、食生活を無視した技術の導入は長い目で見てあまりうまくいかない。現実的な選択としては、遺伝子組換え品種でビタミンAの一部を供給する底上げができれば良いし、もしそれで足りなければゴールデンライスを親にした交配育種で在来品種に遺伝子を導入していく(熱帯であれば、技術的には2-3年あれば良い)という選択もある。同時並行に交雑育種を進めることができるし、通常の育種と変わらないのであまり大きなコストをかけなくても良いだろう。まして、わざわざパテントのかかった遺伝子と組み合わせる必要性はない。

要するに、かすがさんもご承知のように、新しい技術を社会に持ち込む際には、その技術の有用性を遺憾なく発揮できるように上手くローカライズすることが重要だ。そのためには、地域社会の市民との対話が欠かせない。

私はヴァンダナ・シヴァが有機農法を勧めるのは一向に構わない。それに何等反対するつもりもない。しかし、彼らは発展途上国において具体的な公衆衛生上の危害となっているビタミンA不足に対して、どのような解決策を提示しているのか?

その点においては、ヴァンダナ・シヴァもまた、排他的論理である”有機 = non-GM”という言葉の呪縛に縛られることで、遺伝子組換えという有効な道具(あるいは将来は有効になるであろう道具)を生かす可能性の芽を自ら摘み取ってしまおうとしている様に思えるのだ。

本来、遺伝子組換え技術と持続的農業は二項対立ではない。長期的に農業生産を確保するためには遺伝子組換え技術をも取り込んだ持続的農業という方法論だってあり得るのだ。今後、乾燥ストレス耐性など農業環境のシビアな途上国向けの組換え作物も開発されていく。それをどのようにローカライズして、人々の生活を豊かにするのに役立てるのかが、技術を担う者にとっての宿題だ。

※ 私は、経済的に立場が弱いというだけの理由で、発展途上国の人々をこのように呼ぶ姿勢には共感できない

人気blogランキングへ←このへん、クリックしていただけますと、私も若干元気になるかもしれません。

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

twitter

  • Bernard_Domon

Ranking

  • にほんブログ村 科学ブログ 生物学・生物科学へ
    日本ブログ村
無料ブログはココログ