抗がん剤の「副作用減に道」?
研究者や患者を馬鹿にした本日のダメ見出し。朝日新聞より。
抗がん剤原料の猛毒もつ植物、なぜ平気? 副作用減に道
2008年04月30日01時42分
大腸がんや肺がんなどに使われる抗がん剤イリノテカンの原料になる猛毒カンプトテシンをもつ植物が、 自らは中毒を起こさない仕組みを千葉大学の斉藤和季教授(植物細胞分子生物学)らが突き止めた。この仕組みを応用すれば、 薬を大量生産したり、副作用を抑えたりする方法が開発できる可能性がある。今週の米科学アカデミー紀要(電子版)に発表される。
イリノテカンは、中国原産の落葉樹である喜樹(きじゅ) や南西諸島のクサミズキの葉からカンプトテシンを抽出、精製して製造している。これらの植物は、 動物に食べられないためや近くにほかの植物が生えないようにするためにカンプトテシンをつくるよう進化したと考えられる。
薬の大量生産には酵母や大腸菌の遺伝子に原料の遺伝子を組み込んでつくらせる方法がある。しかし、 カンプトテシンができるとその毒で、酵母や大腸菌が死んでしまう。
斉藤教授らは、カンプトテシンをつくるチャボイナモリという植物では、酵素の遺伝子に、 特殊な変異があることを見つけた。喜樹の酵素にも同じ変異があった。同じ変異を酵母の酵素に人為的に起こすと、 カンプトテシンがあっても酵母は増え続けた。そこで、この方法を応用すれば、イリノテカンを短期間に大量生産できる可能性があるという。 (鍛治信太郎)
紙媒体の新聞の方でもこの見出しでした。 「副作用を抑えたりする方法が開発できる可能性がある」というのは、明らかに言い過ぎです。
論文はこちら。
Mutations in topoisomerase I as a self-resistance mechanism coevolved with the production of the anticancer alkaloid camptothecin in plants
PNAS published April 28, 2008, 10.1073/pnas.0801038105 (Plant Biology)[Abstract] [PDF] [Supporting Information]
論文のタイトルからも明らかなように、抗腫瘍アルカロイド、 カンプトテンシンを産生する植物のトポイソメラーゼIには変異があって、それとアルカロイド産生とは共進化を遂げてきたのだ、 というのが論文の眼目です。論文の扱っている範囲は、植物の(遺伝子の)進化に限られており、 医療における応用についてはほとんど何も言っていません(考察の最後で、 抗がん剤に対する腫瘍の側の耐性の克服に役立つかも知れないとされていますが)。
もし仮に、副作用の際のカンプトテンシンの作用サイトが、 腫瘍以外の組織のトポイソメラーゼIであるとするならば、 植物と同じ機構でアルカロイドに対する耐性を付けて副作用を減らすにはどうしたらよいでしょうか?
それには、全身のトポイソメラーゼI遺伝子を変異型に変えるか、 ウイルスベクターなど何らかの方法で変異型トポイソメラーゼIを全身で発現させるほかありません。そんなことができるくらいなら、 がんの遺伝子治療ができてしまいます。抗がん剤の副作用を抑える方法としてはとても正気の沙汰ではありません。
オリジナルの論文なんか誰も読まないと思っていい加減な記事を書いてはいけません。 自分が理解できていないことを人に説明しようとしてはいけません。そんなことはできないんですから。
私が論文を読んで理解できる分野で、こんな誤った情報の垂れ流しがあると、 恐らく、それ以外の研究分野でも似たり寄ったりの事実の歪曲や誇大な報道があるのだろうと思ってしまいます。 朝日新聞には記者の科学技術リテラシーをもっと研鑽していただかないといけません。「伝えるスキル」は確かに重要ですが、伝える前に、 伝えるべき事実を自分が正しく理解しておくことはもっと重要です。それができないのであれば、 どのような事実も正確に伝えることはできないのですから。
私が比較的正確な記事だな、と思ったのはこちら。読売新聞。
植物から抽出効率的な生産期待
千葉大薬学部(千葉市稲毛区)の斉藤和季教授を代表とする研究チームが、植物から抽出した抗がん物質「カンプトテシン」に関し、 その植物自体の細胞増殖には作用しないメカニズムを解明。併せて、 これらの植物では細胞増殖を促進する酵素のアミノ酸に変異部分があることを突き止めた。この研究論文は、 米科学アカデミー紀要の電子版に28日付(現地時間)で公開。より有効な抗がん剤の開発や、その効率的な生産が期待される。
がん治療のための抗がん物質は、アカネ科のチャボイナモリなどの植物から抽出されるカンプトテシンが広く使われている。 カンプトテシンは、細胞の増殖に深くかかわる酵素「DNAトポイソメラーゼ1」の働きを阻害することで、 がん細胞の増殖を抑える抗がん作用がある。
同チームは、カンプトテシンを含む植物が、酵素の働きを阻害するにもかかわらず、自らは細胞分裂して成長する点に着目。 カンプトテシンを含む植物と、含まない植物の酵素を比較した結果、「含む植物」にはアミノ酸の変異があることが分かった。 すでに抗がん剤が効きにくくなったがん細胞内の酵素のアミノ酸には変異があることが分かっているが、「含む植物」 ではこれとは異なる場所にも変異が見つかった。検証実験を行った結果、いずれの場所の変異もカンプトテシンの効果を無効化していた。
同チームの山崎真巳准教授は「将来的にがん細胞にさらなる耐性が備わった場合、酵素のアミノ酸には新たな変異ができるはず。 今回の研究により、その場所が推定できるようになった。また、 バイオテクノロジー技術を用いて成長の速い異種生物にカンプトテシンを作らせる場合、人工的に変異させることで、 効率的に生産することが可能になる」と話している。
(2008年4月29日 読売新聞)
第1パラグラフで、論文の公開がいつかもちゃんと分かる。 科学的な事実の要約も1パラ目でほぼわかる。
残念なのは、 抗腫瘍剤として使用されているのはカンプトテシンの誘導体である塩酸イリノテカンの方。 従って2パラ目でカンプトテシンが広く使われているというのは誤解。
3パラ目、「同チームは、カンプトテシンを含む植物が、 酵素の働きを阻害するにもかかわらず、自らは細胞分裂して成長する点に着目。」と言う文は意味不明です。 変異型のトポイソメラーゼIは、カンプトテシンで阻害されないので、正しくは”同チームは、 カンプトテシンは通常は酵素の働きを阻害するにもかかわらず、これを含む植物では酵素の働きが阻害されない点に着目。”です。
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コメント
はじめまして。
今は別のプロジェクトを担当しておりますが、カンプトテシン生合成の進化を知りたくて斉藤研で仕事をしていたものです。
新聞記事は、研究が実用面で有用であるという「雰囲気」を伝えたいだけのようですね。一次情報など誰も読まないだろう、記事は直ぐに忘れるだろうと思って書いているのでしょう。もちろん実利に結びつけば、それはそれで結構なのですが、真理を追究したいという人間の根本的な欲求を忘れて欲しくは無いと思います。
この研究テーマは、生存に必須で無いカンプトテシンのような二次代謝物質を、植物はどのようにして作っているのか、また作るようになったのかを知りたいというのが目的です。カンプトテシンは、代謝経路の遺伝子だけでなく、今回の自己防衛の遺伝子、さらに細胞間や組織間転流機構などが全部揃わないと作ることが出来ないのですが、これらの植物を材料に二次代謝の進化の一端が見えてくるのではないかと期待しています。新聞記者には、そのような研究の面白さを伝えて欲しいものだと思います。
投稿: conocono | 2008/05/08 16:42
いらっしゃいませ。
関係者からのコメントは大歓迎です。
植物の二次代謝は、それ自体が他の生物ではなかなか研究できない”植物ならでは”というテーマなのですが、その面白味を一般の方に伝えるのがまず至難です。
まあ、新聞は生物学に特段の愛着のない一般の読者を相手にしますので、日常生活との接点を求めた結果が”抗がん剤”と言う切り口だったのでしょう。仕方のない部分もあるとは思いますが、あまりに酷い扱いだったので大人げなくもblogに書いてしまったのです。
投稿: 土門英司 | 2008/05/08 20:08
植物と一般社会との接点と言えば、食生活や医療に役立つか、そうでなければ金儲け(効率的生産)のどちらかでしか語られていないように思います。研究費を稼ぐ口実としては便利なので有効利用したいところですが、あまり多用すると副作用が大きくなるようです。
面白味を伝えるのは至難ではありますが、少なくとも伝える側は必要なリテラシーを持っていてもらわないと・・・ですね。他の国でも似たような状況なのでしょうか??
チャボイナモリは形質転換が簡単等、実験植物として使いやすい性質を持っているので、今後も面白い結果が出て来るでしょう。作物に比べるとマイナーな分野ですがどうぞお楽しみに。
投稿: conocono | 2008/05/08 22:53