ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)
世情を鑑みず好き勝手を書くつもりが昨日は時事ネタを書いてしまった。いかんいかん。で、今日はまたマイペースに戻す。
ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)
経済学者、飯田泰之氏の著書。実りある議論をするために、まず論理的でない議論を篩い落とすための機械的分析の方法論を提案する本。
機械的方法論とは、以下の5点から、議論の主張・内容ではなく、まず”議論の様式”を検討する方法のこと。
- 単純なデータ観察で否定されないか
- 定義の誤解・失敗はないか
- 無内容または反証不可能な言説
- 比喩と例話に支えられた主張
- 難解な理論の不安定な結論
全体としては、ちょっと冗長に感じる部分(第5章)もあるが、全体としては良い本です。
# ちなみに、この本によればここで言った「良い本」をきちんと定義しておかないと、それは「ダメな議論」ということになる。 ここでは、”「良い本」の客観的な基準はないが、前書きを見て納得して買うなら、買って損はしない本”と言っておこう。
職場のU君が貸してくれた本なので、折角だからと読んでみたのだが、 少なくとも私はこの本の著者が想定する読者層には入っていないように思う。自然科学分野の研究を商売にしている人々は、 通常の科学論文を読む際には上記の1.-5.よりももっと厳しい基準を立てて論文を読むので、何を今さら・・・という感があるのだ。
しかし、論理的に議論を構築するトレーニングを積んでいない人々にとっては、この本でも「ダメな議論」 を見抜くには十分役に立つのではないかと思うので、「良い本」だと言っておく。
科学者でも、日常の議論ではもっと甘い基準で暮らしているが(そうでないと日常会話が成立しない)、 真面目に議論をする場合は1.-5.以上に厳しくい基準で検討しながら考えている(少なくとも私はそうです)。
例えば、
- 「単純なデータ観察」と言う前に、そのデータ(あるいは観察)は
-
- どのような目的で採られたデータ(あるいは行われた観察)か?
- 目的に照らして、データの取り方(あるいは観察の仕方)は妥当か?
- データを取った際(あるいは観察を行った際)の前提条件が示されているか?
を検討する。最初からバイアスのかかった測定データ、偏った観察結果かもしれないし、 今議論している際の前提条件とは噛み合わない前提条件で採られたデータの場合は、無条件で議論の素材にはできないと考えた方がよい。
定義については、自然科学でも人文系の科学でも何時、誰が行った定義かが示される場合が多い。 曲解している場合にはすぐに分かる様になっている。従って、きちんと定義されていなと多くの場合議論が成立しないと見て良い。
「無内容または反証不可能な言説」については、 科学論文では滅多にお目にかからないがたまにはある。多くの場合、他の研究者から反論されるか、 無視されるので有害な言説になることは少ない(これは例外) 。
「比喩と例話に支えられた主張」は、相手にされない。というか議論にならないので、 こういう基準は無い。
「難解な理論の不安定な結論」については、理論がきちんと理解できていない場合、 そもそも話題にしてはいけない。その場合、いかなる結論も保留するしかない。それでも議論しなければならない場合は、いかに難解な理論でも、 まず理解する所から始めなければならない。その上で結論が不安定な場合は、前提条件の確実性を疑うか、結論を導き出すプロセスを疑うか、 それらを検証して問題がない場合には、理論そのものを疑わなければならない。
この他、「その議論の前提となる事実はこれまで言われてきた事実とどう違うのか?」とか、 「その議論の結論はこれまで行われてきた議論の結論とどう違うのか?」(つまり、新規性はあるのか) とか・・・要するに、科学者ってのはお笑いでいうツッコミのスタンスを徹頭徹尾、堅持する商売なのだ。
ちなみにこのblogは、私にとっては茶飲み話のような位置づけなので、上記の議論の前提はあてはめていません。そう、相当緩い定義、 そして、いい加減な議論を宗として書いてます。検証作業というのは相当に神経をすり減らすので、 そうでもなきゃ毎日のようには書いてられません。
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