のようなもの、とは何か
昨年末、コシヒカリのようなものというエントリーを書いてからふと思った。
”○○のようなもの”と言うときの、”のようなもの”の指し示す内容には、少なくとも二つの意味合いがある。
その1。
清水義範や、立川志の輔の言う”バールのようなもの”のように使われる”のようなもの”は、 指し示す対象がはっきりとはわからないが、バールであることも排除しない、と言う場合に使われる。
例:凶器は包丁のようなものだな。
その2。
たとえば、疑似科学を指して、”科学のようなもの”と言う場合の”のようなもの”は、指し示す対象が”科学ではない” と言うことを言外に伝えたい、と言う場合に使われる。
例:結婚は鳥かごのようなものだ。外にいる鳥たちは中に入ろうとし、中の鳥たちは出ようともがく。(モンテーニュ)
つまり、”のようなもの”と言う言葉はきわめて文脈依存的で、書き手と読み手の間に、前提となる了解事項が共有されていないと、 表現する内容が伝わらないやっかいな言葉だ。
”コシヒカリのようなもの”は、生産資材としてはあきらかにコシヒカリではないが、 商品としてはコシヒカリであることも排除しないのだな。
私?まぁ、研究者のようなものです(爆)
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