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2007年9月16日 - 2007年9月22日の記事

2007年9月21日 (金)

最近のアクセスログ

週末はblogを書かないことが多いので、このところのアクセスログのまとめ。

  1. おなじ職場からのアクセスが多い。中には朝夕見てる方がいらっしゃいますが、仕事中には更新してませんって。それから、 Googleで私の名前を検索するってのはどうなの?
  2. 果樹研にほぼ毎日のように見に来てる方がいらっしゃいます。S水さんじゃないよね。
  3. 九沖農研のMIPSのPCからアクセスしてる方がいらっしゃいます。別棟からかな?
  4. 第一三共製薬からアクセスしてる方がいらっしゃいますが、スギ花粉症緩和米関係の新しい情報は載せません。悪しからず。 プレスリリースをお待ちください。ブックマークに入れていただいてるのはありがたいのですが。
  5. 理系の大学・職場からのアクセスが多い。九大、北大、東大、東北大、新潟大、佐賀大、宇都宮大、農工大、金沢大、静岡大、 ユタ大、マサチューセッツ大。理研、JAXA、 製品評価技術基盤機構、国立病院機構、海洋研究開発機構。企業では、ソニー、東芝、 松下電器、日立バブコック、東洋合成、不二製油、タカラバイオ、熊本製粉、大鵬薬品、第一三共製薬。
  6. その他、NHK、日本テレビ放送網、朝日新聞、日本生活協同組合連合会。

キーワードが理系に偏ってるので、検索エンジンでこのblogを見つけるのも理系の人が多いのでしょう。

こういうアクセスログを見ていると、読者の客層がわかる。blogもマーケティングのツールとしては、なるほど有効かも知れない。読者に合った広告がその都度出せるならば。


今日は、組換え体関連の審査業務が6件。早いとこ業務引継ぎ資料を作って他のスタッフにも仕事を分散しないと実験の時間がなかなか取れない。来週はプロジェクト関係と通常業務関係の会議の出張が2日、コンサルタントとの面談が半日。この手の仕事は、今年度はそろそろ終わりかと思っていたのだが・・・なかなか。

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2007年9月20日 (木)

枯れっぷり

まずは先週9月13日のひまわり畑の写真から。

かれひまわり

見事に枯れ上がっている。科学では、”なぜ”という問いの立て方は意味が無いので、こう問いを立ててみよう。 「ひまわりはどうやって枯れるのか?」

下ばえの雑草は青々としている。また、隣の畑の遅まきのひまわりもまだ青々としている。つまり、単に寒いから枯れている訳ではない。 下の古い葉が枯れている個体でも、上の葉はまだ青い。ということは古い葉から枯れるらしい。

葉が枯れる、ということは、そこにある葉の細胞が死ぬということだ。では「どのようにして古い葉から枯れるのか」。 枯れるときには何が起こっているのか?

植物のライフサイクルが1年以内に完結するものを一年性植物、複数年にわたるものを多年性植物という。雨季、 乾季がはっきりしている気候帯で生存している植物は、何とかして暑く乾燥した乾季をしのがなくてはならない。また、 冬の寒さの厳しい地域で生存している植物は、光の少ない氷雪の季節を生き延びなくてはならない。

その時にとる生存戦略にも色々ある。多年性植物の場合は、乾季には葉を落として表面積を少なくして乾燥に耐えたり、 もっと乾燥した地域に適応した植物は、球体に近い形の肉厚の組織に水を溜め込み、針のような葉をまとうものもある。寒さに耐えるように、 冬には葉を落として凍結に耐えるもの、樹脂をたっぷり含んだ緑の葉を冬も蓄えて春先の日光を独り占めしてスタートダッシュをかけるもの。 あるいは、栄養繁殖して増やした球根で耐え忍ぶなど様々だ。

一年性植物の場合は、環境が厳しくなると個体は潔く死んでしまう。そのかわり、世代交代して厳しい環境に耐えられる種子の生産に、 植物体に蓄えた物質とエネルギーのすべてを注ぎ込む。種子を生産することは、新しい遺伝子型の組合せを作り出す一方で、 厳しい環境を耐え抜いて生命をつなぐパッケージを生産することでもある。

その際に、いかに短い時間で、効率よく植物体の持っている栄養分やエネルギーを種子に託すかが一年生植物の生存にとっては重要だ。 枯れてゆく植物体に無駄な養分を残さないこと。環境が悪化するよりも早く、安全なパッケージにエネルギーを充填しておくこと。 その効率とスピードが生存と繁栄の鍵を握る。

栽培イネでは、多年生の比較的強いジャポニカ型と、一年生の比較的強いインディカ型がある。またアフリカイネ(Oryza glaberrima)は一年生が極端に強い。一年生の性質が強いイネは、 古くなって光合成能力が落ちてきた葉の窒素分や炭水化物を輸送して、新しい葉の成長や種子の登熟にあてる。

ちなみに、コムギのNAC遺伝子は葉の老化と窒素分の転流、 種子貯蔵タンパク質、亜鉛、鉄の貯蔵にまで影響していることが知られている。またイネのNAC遺伝子はストレスで誘導がかかる。 まるで世代交代を促すように。

そして、ひまわりが枯れる際にも、植物体から窒素分と炭水化物を種子に送っている。・・・に違いない。生憎、 ひまわりでその種の仕事をした論文を読んだことが無いもので。その部分は推測でしかありません。スミマセン。

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2007年9月18日 (火)

生物と無生物のあいだ - 福岡 伸一 著 -

分子生物学者のエッセイである。  所々にちりばめられた専門的な生物学の知識をきらびやかな文体と巧みな比喩で専門家でない読者にもわかりやすく説いている。・・・ のだろう。私はほぼ専門家なので、非専門家の視点には立てない。だから、私は、 非専門家向けにこの本の書評をするには不向きな人物であることを自覚している。

私は分子生物学者ではないが、それにかなり近い研究者なので、生命が動的平衡状態にあることや、 生物が動的平衡状態にある物質の秩序の上に成り立っている「何者か」であることは知っている。この本の書評を書いている人の多くにとって、 生命が動的平衡状態であることが目から鱗の新鮮な知見であることの方が、私にとっては目から鱗である。

読者の中には「生物」と「生命」の違いがわかっていない方もいるようだ。 また、本書での生物に関する記述が、遺伝物質(遺伝子ではない)から、代謝、細胞、 個体という順に微視的視野から巨視的視野へと順次ズームアウトしていく構成になっていることさえ追えないでいる読者もいるようだ。

腰巻きに寸評している内田 樹先生によれば 「理系の人の文章はロジカルでクールで、そのせいで「論理のツイスト」がきれいに決まると、背筋がぞくっとする。」のだそうだ。この感覚は、 私にはわからない。なぜならば、ロジカルでクールな文章とは、「論理がツイストしない(ねじれない)」文章だからだ。そのかわり、 論文を読んでいると時折、ロジカルで淡々と事実を紡いでいて至極クールで、しかも論理がちっともツイストしていないで、 その分剛速球のようにズドンと決まるというものに出会う。そんな時にこそ、私は背筋がぞくっとする。

かつて、川喜多愛郎先生が「生物と無生物の間」 という本を著した。その本の主題は、ウイルスという自己複製する要素ではあるが自己複製能力を持たない物質であった。ウイルスは核酸を持ち、 それを遺伝子として機能させる複製装置も翻訳装置も持っていない。翻って、「生物と無生物のあいだ」でも、やはり生物のような「もの」 としてウイルスが記述されている。しかし、この本全体を通じて流れている主題としての「生物と無生物のあいだ」とは、 無生物であるDNAが転写され、翻訳され、機能タンパクが入れ替わり立ち替わりしながら代謝を続ける平衡状態・・・ すなわち物質から生命にいたるプロセス全体を指しているようにも読める。

福岡先生の「生物と無生物のあいだ」は、そのきらびやかな文体と巧みな比喩で今後も多くの読者を魅了するだろう。しかし、 残念ながら私には「響かなかった」。なぜか?この本に書いていることは面白く、ほぼ正確だ。世間に知られないポスドクの何たるかも、 一般向けの本で語ることに意義はある。しかし、 著書に書かれた福岡先生の研究者としての過去と現在のありようとの不連続性に私は痛みを感じる。福岡先生は言う。 アカデミズムのヒエラルキーは死んだ鳥を生むと。しかし、そのヒエラルキーを完全に否定しては、なかなか研究業績も出ないし、 卒業生は院生として研究室に居着かない。ファンドが取れなければポスドクも雇えない。また、事務系のスタッフも雇えなければ、 ラボのマネージメントも教授一人がしなくてはいけない。

 


 

生命は、非常に精密であると同時に、非常にアバウトにできている。細胞内の信号伝達は、 精妙なタンパク質のネットワークを通して行われている。福岡先生が言うように、ある遺伝子をノックアウトしても、 代替経路で信号が伝えられると、一見なにごとも起こらなかったように見える事もある。 よく似た遺伝子が破壊された遺伝子のバックアップにあたることもあれば、 酵素反応の果ての代謝産物ベースでなんとかつじつまを付けてしまうこともある。最初から遺伝子のスペアを複数用意している場合もあれば、 一つの遺伝子を様々な組織で使い回している場合もある。逆に、生物のライフサイクルの中で1,2回、 ここぞ、と言うタイミングでしか使われない遺伝子もある(私は勝手に 「冠婚葬祭用遺伝子」と呼んでいる)。

遺伝子組換え技術は、その動的平衡状態に対する挑戦である。・・・というと、神の摂理に挑んでいるかのごとく言う人もあろう。 私の言う挑戦とは、そんなことではない。エントロピーに逆らって「変わるまい」とするのが、生命の本質であるとするならば、 数個の遺伝子を操作して外から入れたくらいで、その生命という平衡状態を保っている生物を変えるのは、なかなか大変だということなのだ。

生物は時に不思議なことをする。短波長の光の届かない海中にいるクラゲがなぜか、 青色の光をあてると緑色の蛍光を発するタンパク質を作ったりする。ほとんど意味不明というか、生命現象であるので「合目的性」はない。

かと思うと、植物の貯蔵タンパク質には裸子植物から被子植物まで広く構造が保存されているものもある。11Sグロブリンがそうだ。 特に不都合が無い限り、パーツの使い回しをしているかの様に見える。まるで、新製品はとかく故障しがちという事を知っている様な保守性だ。

翻って、工業製品にもこのような保守性が見られる場合がある。例えば乾電池がそうだ。 単三という規格の乾電池しか受け付けない構造の機器が世の中にある限り、電池の中身が「マンガン乾電池」、「アルカリ乾電池」、 「水銀フリーアルカリ乾電池」、「ニッカド充電池」、「ニッケル水素充電池」、「リチウムイオン充電池」と変化していても、 外見はほとんど変わらない。

そう考えると、植物の11Sグロブリンも、個々のタンパク質分子の大きさと立体構造、三量体を形成する性質、酸性- 塩基性サブユニットに開裂する性質、特定の貯蔵液胞に蓄積する性質は保存されている。一方、アミノ酸の一次構造はあまり保存されていない。 こちらは、分子時計なりの進化速度で変わっているようだ。

では、「個々のタンパク質分子の大きさと立体構造、三量体を形成する性質、酸性-塩基性サブユニットに開裂する性質、 特定の貯蔵液胞に蓄積する性質」が保存されているのは何故か・・・これは、 その規格の電池しか受け付けない装置が細胞の中にある、ということでは無いだろうか? 一次構造からは推定し得ない保守性の謎を解く鍵はそんなところにあるのかもしれない。

 

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