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2007年12月の記事

2007年12月31日 (月)

コシヒカリのようなもの

今年最後のエントリーは、自分のフィールドに回帰して締めくくることにする。

近年の日本のイネ育種では、”ほとんどコシヒカリ”なイネを育成することが一つのトレンドになっている。たとえば、ミルキークイーンコシヒカリBLコシヒカリつくばSD1号ヒカリ新世紀コシヒカリ関東HD1号、 コシヒカリ関東HD2号など、コシヒカリの突然変異体や準同質遺伝子系統(NIL)がそれだ。

コシヒカリがコメ市場においては良食味の最高峰であり、 なおかつ育成場所においては良食味イネ品種のスタンダードになっていることを考えると、食味についてはもはやいじる必要はなく、 育種目標が耐病性や耐倒伏性など栽培特性を改良することに向かうのは自然な流れでもある。

となると、次は、これらの遺伝子のコンビネーションで、いもち病抵抗性で半矮性のコシヒカリBLSD1シリーズや、 さらに出穂期のバリエーションを持ったコシヒカリBLSD1HDシリーズ、そこに極低アミロースのwx-mqを加えた、 コシヒカリBLSD1HDシリーズwx-mqあるいはミルキーBLSD1HDシリーズなどが開発されるのだろうか。

なんだかイネの品種名だか家電製品の型番だかよくわからない名前になっていくような・・・。いっそ”コムギのさぬきの夢2000” のように、イヤーモデルにしてはどうかと思う。

12/26のFood Scienceに松永和紀さんが”「ヒカリ新世紀」に見る育種の未来”という”イネ育種”を題材にした記事を書いている (リンク先は有料です)。

育種家の苦労を思いやる記事で、一般の方の理解促進につながればありがたい限りだ。ただ、若干誤解があるかもしれないので、 メモしておく。

コシヒカリBLからヒカリ新世紀を連想して、 「交配により新しい遺伝子が導入されているが、そのほかの塩基配列はコシヒカリとあまり変わらない」と、 どちらもコシヒカリのNILと一括りにしている。育成方法と、どちらの品種もほぼコシヒカリという点でも確かに似ているが、 半矮性遺伝子を導入した場合と病害抵抗性遺伝子を導入した場合では、元品種からの性能の変化は全然違う。

導入した遺伝子が病害抵抗性遺伝子の場合は、病原体の感染が起こらない環境下での表現型は、元品種とほぼ変わらない。 病害が発生しない場合は、収量も、いくらがんばっても元品種を超えることはない。しかし、半矮性遺伝子を導入した場合は常時、草型が変わり、 その結果受光能力も変わる。また倒伏もしにくいので収量は増える。つまり、病害抵抗性遺伝子のNIL場合は、 病害が発生しやすい環境条件でも平常時の「元品種より悪くならない」ことを目標としているのに対し、半矮性遺伝子のNILの場合は、 平常時でも「元の品種よりも沢山とれる」ことを目標としている。

つまり、育種戦略の「積極性」が全然違うのだ。例えば、 アグレッシブに得点をねらう品種であるヒカリ新世紀やコシヒカリつくばSD1号に対して、コシヒカリBLは「鉄壁の守り」 で失点を許さないディフェンシブな品種といったところだろうか。だからこそ、 コシヒカリBLは製品として流通する際にもコシヒカリを名乗っているのかもしれない。

また、

「唯一はっきりしていることは、「ヒカリ新世紀」と命名するような明るさと希望が、品種改良という地味で困難な仕事には必要、 という思いだ。いや、品種改良ではなく育種と呼ぼう。日本では、育種という言葉があまり認知されていない。それほど、 新しい品種をさまざまな手法で作り上げる育種の仕事が、社会において軽んじられているのが実態だ。」

育種には明るさと希望が必要・・・私も一頃オオムギの育成に携わった身としては、その点は全くその通りだと思う。 育種は農業の生産基盤を支える技術として、社会的にもっと認知されて良い。

しかし、品種名を付ける時、育成者が何を思っているか、松永さんはご存じないのかもしれない。 私や一緒に仕事をしてきた先輩育種家(ブリーダー)達にとって、命名された品種名は、実は大して意味を持たないように思う。私たちにとって、 育成系統が品種になるということは、仕事の終わりを意味する。

作物によって違いはあるが、オオムギの育種に限って言えば、実際の品種育成のプロセスにおいて、 育成系統が生産力検定試験で期待された目標通りの収量を上げることが明らかになり、 品質や耐病性等でも欠点がないことが明らかになった時点で、育成系統は完成する。ブリーダーにとっての育成の仕事はある意味、地方番号(国、 独法の育種では、品種候補になった時点で”地方番号”という番号を付ける)を付けた時点で終わる。そこから先は、数年間にわたって、 都道府県に新系統を配布して品種としての採用を考えていただくための”営業”になる。そして、育成系統が最終的に”品種”になるかどうかは、 生産現場が新品種を欲しがっている(ニーズ)という”時の運”にかかっている。

めでたく品種に採用されることが決まった時は、”公募”で名前が付くのを待ち、 品種の普及を願って関係者でささやかなお祝いをすることもある。だが、公募で付けられた品種の名前自体には、育成者は大した思い入れはない。 ”ふーん、そんな名前になったのー”という感想を持つくらいだ。ややもすると、ある育成系統が品種になることが決まった時には、 地方番号の付いた系統はブリーダーにとっては既に”過去のもの”になっており、頭の中は次の品種のことを考えている。例えば、こんなふうに。

”3年前に出した品種はたしか「超良食味」で出したんだっけ。じゃ、次は「超超良食味」か「極良食味」 で行こうか”

前の品種が優秀であるほどに超えなくてはいけない品種の水準は年々着実に上がっていき、 新品種が超えるべきハードルはだんだん高くなっている。

そして、自分で育成した前の品種の些細な欠点を取り上げては、次の系統ではそこの所が改善されています、 と言って新しい系統を売り込む。丁度、パソコンのソフトの新バージョンを売り込むのと似ている。残念なことに、組織で行う育種には、 子供の名前を考える時のような、豊かな感情の入り込む余地はあまりない。

ブリーダーは”品種”とは”生産資材”だと考えている。だからこそ、品種名に無頓着なのかもしれない。

しかし、実態として、品種の命名が市場で取引される製品のネーミングに関わる問題だとすると、 もっと真剣に取り組むべきなのかもしれないが、ネーミングする側の意識は、そう簡単にそれについていかないだろう。

# だからこそ、私は品種名をブランドにすることに反対しているのだが。

 

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2007年12月30日 (日)

C型肝炎の患者は推定100-300万人居る

厚労省の事務次官ともあろう方が何という発言を・・・    

 

薬害肝炎「発生責任」、厚労次官が否定的見解 (読売新聞)

     
   

 薬害C型肝炎訴訟で、議員立法による全員一律救済法案に盛り込むよう原告側が求めている国の「発生責任」について、     厚生労働省の江利川毅・事務次官は27日、定例の記者会見で「医薬品はそもそも効果と副作用を併せ持つものだが、『発生責任』     を認めれば、副作用のある薬は承認できなくなる。実態をふまえた責任論が展開されることを期待する」と述べ、否定的な見解を示した。    

   

 薬害肝炎に関する「国の責任」の表現を巡っては、政府・与党内で、「解決を遅らせた責任」といった「結果責任」     のみ認める案が当初、浮上していた。これに対し、原告側が「薬害を発生させた責任」を認めることを求めている。

 
 
    [ 2007年12月27日21時11分 ]  
  医薬品の「副作用」(adverse reaction)というのは、   WHOの定義によれば「医薬品の有害作用とは医薬品が通常の治療や予防に用いられる用量で引き起こす、有害で、望まれない反応」、   独立行政法人医薬品医療機器総合機構法第四条第六項では、    “「医薬品の副作用」とは、   許可医薬品が適正な使用目的に従い適正に使用された場合においてもその許可医薬品により人に発現する有害な反応をいう”と定義している。  
 
  だが、生物製剤による感染症は”副作用”なのか?それは、違うんじゃないの?というのが   「事務次官ともあろう方が何という発言を・・・」の、意味するところです。医薬品の成分本質の多面的作用である”副作用”と、   製造工程で管理しきれなかった感染性微生物等による感染では、未然防止の可能性がそもそも全然違います。  
 
  さて、”発生責任”とは”薬害の発生を未然に防止する責任”と解釈すると、   次官発言も理解できる。治験や市販化後の追跡調査の範囲で予測できない被害については、科学的な予測が成り立たないためだ。しかし、   そのための補償制度は既にあるので、次官発言はこの文脈ではないだろう。
  一方、”結果として発生したことに対する責任”   についての発言と解釈すると、国は薬害に対する結果責任は今後とも負わないと言っているに等しい。これは、おかしい。  
  科学は万能ではない。   医薬品の製造販売許可はその時々の科学的な水準に照らして最良の知見を持って、リスク・ベネフィットを比較して、   その医薬品の効果が副作用を上回るようであれば合理的な根拠に従って許可してきたし、今後もそうあるべきだ。  
  しかし、ある医薬品に対して国の製造販売許可が降りた後で、   予測に反してあらたに有害事象(副作用・感染症)が発生した場合は、行政上の過失がないにもかかわらず、”薬害”が発生することになる。    治験に参加する被験者は数年間で数千人程度。一方、市販化後の医薬品は10年以上(場合によっては数十年)、数万人に対して、   様々な状況下で処方されることになる。有害事象の発生するケース(統計学で言う期待値)は市販化後の方が遙かに高くなる。  
  この場合、手続きに瑕疵がないのであれば、許可を出した国には未然防止する”発生責任”   は無いが、薬害という結果に対して、何ら過失のない被害者を”救済”(補償ではない)するべきだろう。
 
  そのためには、
     
  •    
          「副作用・感染症報告」制度の見直し:現行制度は2003年以降、       医療機関から厚労省に直接報告する事を義務づけているが、きちんと機能しているか?    
     
  •  
  •    
          無過失の薬害に対する救済制度:医薬品医療機器総合機構で医薬品副作用被害救済業務       (生物由来製品感染等被害救済制度など)として実施しているが、今回のC型肝炎が対象にならなかった(?)       ので訴訟に発展したのはなぜ?    
     
  •  
  •    
          投薬・治療履歴の長期保存、共有化:制度上、証拠を保全するべき。       電子カルテ化は進んでいるが、病院間で共有できる所までは来ていない。    
     

など、見直すべき点が多いように思う。

さて、上で引用した医薬品副作用被害救済業務のページでは、 医薬品副作用被害救済制度とは別に生物由来製品感染等被害救済制度(上で述べた、補償制度) の救済給付の対象にならないケースが示されている。

     
  1. 法定予防接種を受けたことによるものである場合(別の公的救済制度があります)。    任意に予防接種を受けた場合は対象となります。
  2.  
  3. 医薬品・生物由来製品の製造販売業者などの損害賠償責任が明らかな場合。
  4.  
  5. 救命のためにやむを得ず通常の使用量を超えて医薬品を使用し、健康被害の発生があらかじめ認識されていたなどの場合。  
  6.  
  7. 医薬品の副作用、生物由来製品を介する感染などにおいて、その健康被害が軽度な場合や請求期限が経過した場合。
  8.  
  9. 医薬品・生物由来製品を適正に使用していなかった場合。
  10.  
  11. 対象除外医薬品による健康被害の場合(医薬品副作用被害救済制度のみ)。

・・・ 生物由来製品感染等被害救済制度と、医薬品副作用被害救済制度が別になってるということは、制度設計を行った厚生労働省としても、 生物製剤による感染症は医薬品の副作用とは考えていないのでは?となると、事務次官発言は視点がずれている。

今回の薬害C型肝炎訴訟の場合は、上記のどれかに該当しているのだろうか?その点も報道を見てもわからない。しかし、 フィブリノゲンが適応症例(低フィブリノゲン血症)以外でも止血剤として広く使われてきた事を考えると、上記の5.に該当する可能性がある。 ・・・であるとすると今回訴訟になっている薬害を起こした結果責任は病院にもあるのではないか? 一方で止血剤を投与しなければ、その時点で患者は死んでいたかもしれないという事実はあるにせよ。

ところで、朝日新聞に投与履歴が証明できない50代の匿名のC型肝炎被害者の次のようなインタビューが載っていた。

 

「投与が証明できなければ救われないなんて悔しい。ただ死を待つしかないんでしょうか」

この患者さんは肝硬変まで進行しているとのこと。あまり報道されていないが、 ウイルス性肝炎のインターフェロン治療に対する治療費の一部助成は、来年度からスタートすることが既に決まっている。 これは対象は薬害の被害者に限定されていない。しかし、肝硬変の場合はインターフェロン治療の効果はあまり期待できない。

失礼を承知で書かせていただくと、投与が証明されたとしても状況は何も変わらない。代償期であればまだしも、 非代償期の肝硬変は今の医療では治せない。投与証明の有無で違うのは、金銭的な補償があるかないかであって、救われるか否かではない。 肝硬変の患者が救われるためには、培養自己肝細胞移植ができるようになる等、治療技術の革新が必要だ。 既に肝硬変になってしまった患者さんが待つものは、死ではなく、新しい治療法の開発だ。

薬害C型肝炎の患者は1万人以上と言われているが、C型肝炎の患者は100-300万人居ると言われている。 目先の政府の責任追及にコストを掛けるべきか、肝炎の段階で一刻も早くインターフェロン治療を受けられるようコストを掛けるべきか、 あるいは肝硬変・肝癌の治療法開発にコストを掛けるべきか。どれを優先するかは行政だけでなく、政治家も、 訴訟を継続してきた患者団体自身も考えなくてはならない。

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2007年12月28日 (金)

農業経営者と「工場ワーカー」は違うだろっ!

新潟県知事の暴走発言が止まらない。

12/26の新潟県知事公式ホームページの知事の発言を読んでいただきたい。

Q 
 指導的立場にある方との共通認識というのは重要だと思うんですが、 ただ一方で一定に生産されている方というのは直接自分たちの収入に関わることなので、その人たちの声を聞くのも重要だと思うのですが。

A 知 事
 全く同感です。順番にやっていきたいと思っています。

Q 
 時期的というのは、いつ頃までに聞き取りを終えたいとか意見の共通認識を持ちたいというのはあるのですか。

A 知 事
 期限を切るというのは結論ありきということです。そうではなくて、 やはり共通理解が得られるように努力してみるということではないでしょうか。いろんな思いがあって、 今の表記の仕方が採用されているわけですが、結果として「新潟米の価格は」と言うと、今年は大幅下落がありました。 その後若干揺らぎはありますが、値段が高騰するというようなこともあったわけです。やはり数量と価格、 このバランスをどう取っていくのかというところを決めていかないといけないと思います。
 例えば工場でテレビを作りますという時に、現場の人が売ってくるんだからと言って、 工場ワーカーと話をしても販売戦略は決まらないですよね。 経営企画とか新潟米に対する消費者の信頼をどういう形で確保していくのかという基本戦略をまず共通認識化していく必要があるのかなと思っています。

Q 
 指導的な立場の方というのは、どのような方を想定しているのでしょうか。

A 知 事
 関係者が多いので、順番にやっていきます。

農業経営者は経営者であって、雇われて生産活動に従事する工場労働者とは違う。どちらが優れていてどちらかが劣るという問題ではないが、経営者は自分で生産した製品に自分でブランドを付けることもできる(現状でそうしているかどうかは別として)。その点で労働を切り売りする労働者とは異質である。だから知事の発言は例えとしても、非常に不適切である。

新潟県の農家の皆様、新潟県知事は皆さんを米の生産のための労働を切り売りする労働者だと認識しています。経営者だとは見做していないのです。だから、製品の値付けに関わるブランドの表示の問題を議論するのに、皆さんを後回しにすると、そう言っていっています。

米の生産・販売において”指導的な立場の方”とは誰を指すと知事が考えているのか、とくと拝見させていただきましょう。

また、「いろんな思いがあって、今の表記の仕方が採用されているわけですが、結果として「新潟米の価格は」と言うと、今年は大幅下落がありました。」という発言を見ると、”今の標記の仕方のせいで、結果として新潟県産米の価格が下がった” といっているわけだが、本当にそうなのだろうか?

現状の米の流通を握っている側から見てもそうなのか、あるいは農水省からの市場への米の放出のタイミングの問題もあるのか、実態を良く調べた上でそう言っているのだろうか?消費者として米の価格決定に大きな影響力を持つ外食産業から見た新潟県産米の姿を関係者に聞いてみるといいだろう。

新潟県産のコシヒカリは美味い。しかし、たしかに美味いのかもしれないが、例えば北海道産米とのコストパフォーマンスにおいても競合できるほど飛びぬけて美味いわけではない。飛び切り美味い米も、そこそこ美味い米も、一定のレベルをクリアしてさえ居れば、後は安い米のほうが食材としては優れているだろう。

表示をいじったくらいでどうなるというものではない。ましてや、コシヒカリBLは「食味においてはコシヒカリと同一」であることを開発目標にして作られている。いまさらブランドをコシヒカリBLだとか、 KOSHIHIKARI2.0にしたところで、これまで新潟県自身が積極的にアピールしてきたとおり、製品の品質はこれまでのコシヒカリと全く変わらないことは、市場の担い手は既に百も承知だ。日本産米市場の40%相当の大量に流通しているコシヒカリを今更あえて高値で買う必要は無いのだ。

差別化を図りたいのであれば、コシヒカリとは別の、「コシヒカリを超えた品質の米」か「コシヒカリ並においしいがより安価な米」しかない。しかし、いずれにしても高い米は市場が望まないし、安い米は生産者が望まない。消費者に付けをまわさずに、新潟の米が生き残っていくためには、せめて北海道並に生産効率を上げて国内で売るか、より高く買ってくれる顧客を世界市場に見つけるほか無いのだろう。

そんな訳で、私は新潟県知事主導の新潟コシヒカリのブランド差別化戦略は失敗すると考えている。

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2007年12月27日 (木)

”さぬき紅”

    Photo001 お歳暮用に調達した小原紅早生という香川県オリジナル品種のミカン。一箱は自宅用にキープ! 宮川早生の枝変わり品種で皮の色が非常に濃いのが特徴(中身は普通)。まだあまり普及していないので、すぐに売り切れてしまう。

だいたい、香川県産のミカンは茨城県下ではほとんどお目にかからない。特につくばでは、全く見かけない。大抵、熊本県金峰山産か、 愛媛県西宇和産だ。というか、香川県のミカンは、ほとんど香川県下で消費されているのではなかろうか。 四国には愛媛県という一大産地があるし、関西方面には和歌山県もある。静岡県の三ヶ日ミカンも食べたことがあるが、あれも美味かった。 だから、関東までなかなか来ないのだろう。

私は、熊本県金峰山、愛媛県西宇和、香川県坂出、広島県生口島などのミカン山を訪れたことがある。仕事とは関係なく、 お歳暮の買い付けやら、たまたま通りすがっただけだったが、どこも海に向かってひらけた、 日当たりが良く水はけの良さそうな山の西側斜面だった。和歌山県や静岡県の産地には行ったことがないが、 おそらく美味いミカンのとれるミカン山の立地条件としては同じようなものだろう。

今年の夏場は晴天続きで雨が少なかったせいかミカンが滅法美味い。

 

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2007年12月26日 (水)

Food Science ”コシヒカリBLは、情報隠しではない(2)”に思う

松永和紀さんがFood Science "コシヒカリBLは、情報隠しではない(1)"で、 「そもそもコシヒカリとコシヒカリBLの何が違うのか、科学的に考えてみたい。」と書いていたので、 どういう落としどころになるかとちょっとハラハラしながら見ていたのですが、続編の(2)では、 a.マルチライン品種についての技術的な説明があり、b.「産地品種銘柄」との関係について制度上も異常なことはしておらず特に問題はない、 と纏めていた。無難なところでしょう。

一方で、泉田知事は「BLは新潟でしか作っていないから、偽物なら分かる。消費者の信頼を勝ち得ていくために、 胸を張ってBLを推進していく環境を作っていくことが重要だ」と述べているとか。

本当は、コシヒカリBLを推進したいのか、したくないのか。どっちだ?

これは、知事のスタンスの問題なのか、報道のバイアスの問題なのかよく分からなくなってきましたが、「胸を張ってBLを推進していく」 のであれば、私はこれ以上何も言うことはありません。

ただ、コシヒカリBLの育成のために15年という歳月をかけて働いてきた技術者の苦労には報いてあげて頂きたい、と切に願う。

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2007年12月23日 (日)

薬害C型肝炎訴訟救済へ立法措置

現行法の枠組みから外れることのできない司法にも、行政にもできないことが、国会にはできます。 日本経済新聞によれば、自民党総裁が薬害C型肝炎訴訟被害者救済に向けて議員立法を呼びかけたとのこと。

数日早ければもっと良かったのですが、これはすばらしいニュースです。

薬害肝炎訴訟、首相が一律救済表明・原告団「大きな一歩」

 福田康夫首相は23日、薬害C型肝炎訴訟に関し、被害者全員を一律救済する方針を表明した。自民、 公明両党が今国会に議員立法で救済法案を提出、野党にも協力を呼びかけて早期成立を目指す。原告・弁護団は同日、 「大きな一歩であると評価し、解決につながることを期待する」との声明を発表した。

 政府はこれまで原告側が求める一律救済に消極的だったが、原告側との和解協議の事実上の決裂を受け、 政治決断で早期収拾を図ることにした。

 首相は首相官邸で記者団に「私は自民党総裁として、薬害患者の方々を全員一律救済するための議員立法を党との相談の結果、 決めた」と明言。そのうえで「一刻も早く立法作業を進め、野党の協力も得なければいけない。可及的速やかにこの法案を通してほしい。 1日も早く皆さんに安心してほしいと思う」と強調した。 (20:56)

大阪高裁の和解勧告案において政治家に投げかけられた「所見」を受けての対応とお見受けします。 民主党の皆さんも、このような案件を政争の具にすることだけは避けていただきたいものです。・・・というか、 人の不幸を利用する様ではありますが、与党に先駆けて、 自民党に対していち早く議員立法を呼びかけていれば国民に大きくアピールできたのにね。

しかし、日本経済新聞の見出しは何なんでしょうか。福田さんが「私は自民党総裁として、」と言ってるのに「首相」 という肩書きを書くのはどういうことなんでしょうか。

事の経緯は、行政府の長である福田総理大臣は、 和解勧告案から大きく踏み出して現行法を超えた対応はできないので、大阪高裁の和解案の骨子に沿って救済策を打ち出したが、 原告側はそれで納得しなかった。そこで、司法の場でも解決できず、行政府も十分な手当ができない状況になったので、 立法府の出番ということで、与党の代表である総裁が議員立法を呼びかけたという構図なのですが。なので、同一人物ではありますが「与党総裁」 の立場で議員立法を呼びかけている以上は、見出しも「福田自民党総裁」と書くべきでしょう。

 


 

さて、法律は実行部隊である官庁を動かせなければ、絵に描いた餅も同然。薬害救済であれば、 厚労省本体か独立行政法人 医薬品医療機器総合機構が実行部隊になるのだろうか。

救済の対象は、これまでの薬害肝炎に関わる裁判において、国の過失の認められなかった「薬害による」 C型肝炎患者になるだろうか。例えば、C型肝炎の感染の時期を特定し、その期間に問題となっている血液製剤が投与された (あるいは投与が合理的に推定される)患者全体を”特定C型肝炎患者”とでも定義するのだろうか。そうしないと、 血液製剤とは関係のなさそうなC型肝炎の患者が救済の対象に含まれる事になるし。

救済の方法はどうするのだろうか。原告の皆さんは一律救済と言っていますが、金銭面での一律な支給は不合理です。 なぜならば、感染時期もまちまちですから、これまで治療にかかった費用の弁済も人によって異なるはずです。また、 必要な医療費や通院の経費は人によって違います。インターフェロンが効く方もいれば、ウイルスの型によっては効かない方もいるでしょう。 副作用の方が重篤でインターフェロンの投与に耐えられない方もいるでしょう。ですから、支給される金額については、 これまでの費用を弁済するための感染時期に応じた一時金と、これから実際に治療に要する費用負担(完治するまで、 あるいは完治しないで生存している間。)という、二本立てになるのではないでしょうか。

それでも、原告団の皆さんは”命の重さに区別はない”という理由で、一律の条件(金額) の救済を求めるかもそれません。でも、本当にそれでよいのでしょうか?今後、貨幣価値は変動するかもしれませんし、 治療法だってインターフェロンよりももっと高額だけれども、もっと効果が高いものが出てくるかもしれません。今の様な要求を続けても、 国から救済のための一時金を一括で引き出せるかもしれませんが、それで終止符を打たれるてしまえば、 将来補償を受ける権利を放棄することになるかもしれません。あまり、”一律”にこだわると、 かえって補償を値切る口実を与えてしまう恐れもありますので要注意です。

 

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2007年12月16日 (日)

C型肝炎訴訟の大阪高裁和解案の論点&原告団の主張は的を射ているか?

大阪高裁の和解案自体は非公開なので、朝日新聞の報道からポイントを拾うと、

  • 今年3月の東京地裁判決を踏まえ、フィブリノゲン製剤の投与をめぐって法的責任が生じる期間を、 国については87年4月~88年6月、被告企業の田辺三菱製薬(大阪市)側は85年8月~88年6月と指摘。
  • (1)肝炎の発症患者に2200万円、感染者に1320万円の賠償を認めた同判決に沿い、 この期間に投与を受けた人へ和解金を用意
  • (2)それ以外の原告には「訴訟追行費」の名目で計8億円を支給
  • (3)これらの総額は原告側に一括して支払い、分配は原告患者200人に任せる
  • 和解案提示にあたっての「所見」も当事者に示し、 「全体的解決のためには原告らの全員一律一括の和解金の要求案は望ましいと考える」と指摘
  • 国・製薬会社の過失時期の認定が異なる5地裁判決を踏まえればその内容に反する要求とし、「国側の格段の譲歩がない限り、 和解骨子案として提示しない」と説明

大阪高裁としては過去の判決とのすり合わせも必要、行政上の過失の範囲を決めないと”補償”の範囲は決められない。

とはいえ、行政上の過失がなくても薬害の発生した事実を踏まえて、原告になった薬害C型肝炎患者の一律な”救済”は必要。

とはいえ、裁判所が国家賠償法を無視して、大阪高裁での裁判の過程で国の責任が明らかになった部分以外についてまで”補償” しろとは言えず・・・。

と結構苦しい決断を迫られて、なんとか和解案を捻り出したものの、原告一律の和解金の要求は望ましいという”補償”を超えた”救済” の部分については、和解案本文ではなく「所見」と言う形で、付帯的に加えている。私は、これは立法府に対するメッセージではないかと思う。

 


 

10/2のエントリーにも書いたが、医薬品の製造販売に対する許認可は、そのときの最高の科学的知見に基づいて行なわれる。しかし、 科学は万能ではない。C型肝炎ウイルスのように、病原体として同定されるのに時間がかかるケースもある。 血液製剤が医薬品として製造販売承認された頃に、まだ発見されていなかった病原体については、 それによって起こった薬害について行政の過失は問えない。・・・であれば、国家賠償法を根拠にした”補償”の対象にはできない。

しかし、行政に過失がなくても、事実として薬害自体は発生した。科学は万能では無いので、原理的には、 今後も薬害は発生することだろう。だが、その”救済”を”補償”と位置づけて国税を支出するにしても、”見舞金”として支出するのであれば、 何らかの法的根拠は必要だ。

それこそ、政治家の働くべき場面だ。例えばC型肝炎であれば、患者の感染が薬害であることが推定(あるいは特定)できる場合には、 要件を定めて”救済”する特措法はできないのだろうか?薬害C型肝炎は現在は発生していない。 過去の一時期においてのみ発生したのであれば薬害による患者数は有限だ。推定できれば、救済の範囲もコストも特定できる。 心ある議員は被害者のために党を超えて共闘していただきたい。

なお、私は今日の肝炎訴訟原告団のメッセージは、感情的に過ぎると思っている。彼らは、 裁判所や厚労省が現行法を無視できないことを理解するべきだ。裁判所も役所も法律に従って行動することしかできないのだから。その上で、 国会議員に対して救済のための立法措置を求めるべきだと思う(彼らとて憲法に背く立法はできないのだが)。

このまま見当違いの相手に要求を突きつけて、ずるずると和解勧告を拒否し続けると、支援の必要な患者の負担はますます増大し続ける。 早く和解したい人達と現時点では救済の対象にならない人達の間で、原告団が内部分裂してしまうかもしれないし、 それでは世論の支援は得られないだろう。

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2007年12月13日 (木)

Food Science ”コシヒカリBLは、情報隠しではない”に思う

新潟県のコシヒカリBLをの表示を巡ってBiotechnology JapanのFood Scienceに松永和紀さんが寄稿されている(12/12)。複数回にわたる議論のうち、まだ1回目の掲載だが、 ちょっと気になる論調なのでフォローしておきたい。

要旨は、

     
  • 新潟県知事によれば、コシヒカリBLをコシヒカリと表示するJAの態度は「情報かくし」だという。
  •  
  • 松永氏によれば、上記の新潟県知事の態度は「食品偽装騒ぎに乗じた政治家のスタンドプレーとしか受け取れない」
  •  
  • ”科学的”にコシヒカリとコシヒカリBLの違いを検証してみたい。
  •  
  • コシヒカリBLは複数の系統(準同質遺伝子系統)の混合物。
  •  
  • コシヒカリBLを構成する各系統は、いもち病耐性のイネ品種にコシヒカリを5回連続戻し交雑したもので、   遺伝的には1.56%程度違っているだけ。

とのこと。科学的にはコシヒカリBLと従来型のコシヒカリの違いは、わずかだということは間違いない。詳しくはこちらを見ていただきたい。

交配1回で、平均するとゲノムの50%が入れ替わる。連続戻し交雑をすると、期待値としては、2回では25%、3回では12.5%、 4回では6.25%、5回では3.125%しか一回親の遺伝子は残らない。(松永さんの記事では、 なぜか6回連続戻し交雑をした場合の数値になっている。)

しかし、種苗法の定義では、遺伝的にいくら近くても違う品種を同じものとは言えない。種苗法では、品種の違いは、 登録の要件となる表現型で規定されていて、遺伝子型ではない。言い換えれば、 登録の要件となる表現型において他の品種と明らかに区別できる区別性がある系統だけが、 新品種として登録できる。

コシヒカリBLの構成系統も、いもち病抵抗性の違いを登録の要件としている。例えばコシヒカリ新潟BL1号では”「コシヒカリ」 と比較して,いもち病抵抗性推定遺伝子型がPi-aであること等で区別性が認められる。”とされている。

なぜこんなことを言いだしたかと言うと、もし”遺伝的に近いものは品種として一緒”と言い出すと、 科学的には元の品種に非常に近い戻し交雑育種による育成品種や、突然変異育種による育成品種、あるいは遺伝子組換えによる育成品種までもが、 ほとんど一緒、と言うことになってしまうのだ。

「違い」に注目して区別する種苗法においては、科学的な、あるいは遺伝学的な近縁関係は品種の異同を論じる根拠にはならないのだ。 なので、”科学的に” コシヒカリとコシヒカリBLの異同を論じる松永さんの記事の今後の展開が危ういものになるのではないかとハラハラしている。

一方、先日こちらのエントリーに特殊事情のあるイネムギの” 銘柄”の構成要件について書いたが、JAS法におけるコメの”銘柄”は、一定の品質にあることを保障する役割がある。 これは種苗法における品種の名称とは役割が違う。

どういうことかと言うと、私は種苗法やJAS法に特に詳しいわけではないが、法律の目的から考えるに、 種苗法で言う品種の名称は農業者が生産活動に使用する生産資材としての種子の性能保障のためのものという意味合いが強いのに対して、 JAS法でコメの銘柄を表すのに使われる品種の名称は、 消費者が食品あるいは農産物としてコメを消費する際の品質保証のためのものという意味合いが強い様に思う。

前者の品種の名称は「他の品種と性能が違う」ことを認識させる「区別性」 をあらわす目的に使われるのに対し、後者の品種の名称は、年度、産地と併記することで同じ表示のコメは「同じ品質である」 という「同質性」をあらわす目的に使われていると言っても良い。 品種名と言う記号の役割が180度違っているのだ。

従って、私は、コシヒカリBLとコシヒカリがコメとしての品質において同一であるならば、精米や玄米という製品の販売において、同じ 「新潟コシヒカリ」と名乗ること自体には、現行の制度に照らして問題は無いと考える。このあたりの制度については、こちらに詳しい。

・・・ということで、品種が遺伝的に近いかどうかと言う科学的な問題は、 生産資材としての種子に関わる種苗法においても議論され得ないし、消費財としてのコメの品質に関わるJAS法でも議論され得ない。”商品” としてのコメの名称の違いについては、科学の出る幕はあまり無い様に思う。

一方、私は品種名を商品のブランドに直結させるべきではないという主張を持っており、それは今でも変わらない。個人的には、 JAS法で指定するコメの銘柄に品種名を入れることにさえ反対だ。コメの銘柄になる条件には、産地の奨励品種になっていること、 というものまで入っているし、一度品種名がブランドとして固定してしまうと、 品質において実質的により良い品種ができても従来のブランドに置き換わることが難しくなるからだ。

それによって、新しい品種が既存の品種よりも優れたものであっても普及しにくいという状況が生まれる。 各県が投資して新しい品種を作っても、コシヒカリと言う虚像になかなか勝てないばかりに普及しにくいのだ。

私は、新潟県の農業試験場のスタッフには、おそらくコシヒカリを超えた品種を作るポテンシャルはあると考えている。彼らが、 他でもないコシヒカリの準同質遺伝子系統というつまらないもの(失礼!)を作らざるを得ない事情もまた、 新潟県がコシヒカリと言うブランドの維持に汲々としている結果であろうと思う。

一時期は私も育種を仕事にしていた時期があったので想像に難くないが、前の品種をちょっとモデルチェンジしただけの製品(品種) をひたすら作り続けるという作業には創造性が感じられない。それは職人の仕事ではあるが、 もはやArtistとしての育種家の仕事とはいえないのだから。

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2007年12月 7日 (金)

品種名をブランドにするべきではない?

昨日の朝日新聞のニュースから

コシヒカリに2品種 新潟県知事が「情報開示を」 と批判

2007年12月05日02時11分

 新潟コシヒカリが05年からほぼ全面的に新品種に切り替わっているのに、JAなどが従来のままの 「コシヒカリ」銘柄で販売し、2品種の「コシヒカリ」が流通していることについて、泉田裕彦・県知事は4日、 「消費者の信頼を獲得するため、なるべく情報を開示する方向でやったほうがいい」と従来品種と区別して表示・ 販売すべきだとの考えを示した。
 新品種「コシヒカリBL」は、病害に弱い従来コシヒカリの欠点を克服しようと新潟県が15年かけて開発した。消費者側からは 「味が変わった」などの意見も出ていた。
 知事は先月30日の県議会の委員会でも、「在来品種と新品種の違いを分からないようにして売ってしまおうという戦略。『情報隠し』だ」 と言及。食品表示に対する消費者の目が厳しくなる中、新潟県産米のブランドイメージの下落を食い止めたい狙いがあるものとみられる。

だいたい、コメの”銘柄”って一体何なんだ?ほかの作物とどう違うのか?というと、ちゃんと法的な根拠がある。 農産物検査法(生産→小売)とJAS法(小売→消費者)がそれにあたる。が、なんか変なんだよね。農産物検査法ってのは、 基本的には米・麦しか相手にしていない。昔の食管制度の名残だ。他の農産物には、品種=銘柄(あるいは商標)でないものも沢山ある。

あなたは品種名で販売されている野菜を幾つしているだろうか?トマトの桃太郎?でも”桃太郎” には幾つもの品種のシリーズがあって店頭で売っている桃太郎はおそらくは単一品種ではない。大根は、キャベツは、小松菜は? すべて品種があるがその名前が前面に出て取引されることはない。

果物は?フジ、スターキングなどリンゴや、ラ・フランス、豊水などナシ、デコポン、 清見など柑橘類など日本で育種されたものは品種名で取引されることが多い。しかし、メロン、スイカ、バナナ、 パイナップルなど品種名が前面に出てこないものも数多ある。

品種名がブランドになっている農産物は、その品種名を名乗ることで他のものと差別化できる農産物に限られる。 一方、米は?というと他の農産物とは若干様子が違う点がある。店頭で売られているコメの多くは”精米”という製品だ。 玄米を原材料として製造された加工品である点は、野菜や果物とは違っている。

製品が原材料の品種名や産地をブランドにできたのは、製品の品質が概ね品種や産地で決まっていたからだろう。 しかし、昨今のコメ(精米)という製品はどうだろうか?「新潟コシヒカリ」と言う製品のブランドを、従来型品種の「コシヒカリ」 や新型品種の「コシヒカリBL」が分かち合うのが、そんなに問題だろうか?準同質遺伝子系統の間の遺伝的な違いは、 他の品種の混米や品種偽装の問題とは比較にならないほどわずかだ。食味が変わったという消費者も居るかもしれないが、 同じ水田で比較栽培をして食味の違いを検定したわけでもないのなら”品種固有の食味”など分かるはずがない。むしろ、遺伝的な違いよりも、 年次や栽培の仕方、気象条件などの環境要因の方が食味には大きく影響しているはずだ。だからこそ、コメの銘柄に産地が謳われるのだ。

多様な環境で栽培された「コシヒカリBL」の混合物である「新潟コシヒカリ」を、 従来のコシヒカリ特別しないことを「情報かくし」というならば、 微妙な遺伝的な違いよりも品質に大きく影響する栽培地域を表示しないことの方がより大きな「情報かくし」ではないだろうか?

#もっとも表示してもらっても私には違いが分からないが。

ともあれ、「コシヒカリBL」を開発した技術者達の名誉のために、これだけは言っておきたい。私は、 新潟県知事とは別の視点から「コシヒカリBL」を、従来のコシヒカリとは区別するべきだと考えている。 新潟県の技術者が従来の品種よりも優れたものを作っておきながら、売る側が「新潟コシヒカリ」 というブランドの影に隠して売らなければならないのだとしたら、それはマーケティング戦略の大きな間違いだ。

「コシヒカリBL」は、単にイモチ病に強いと言うだけではない。イモチ病の防除に気を使わなくて良くなった分、 他の品質管理についてはこれまでのコシヒカリ以上に手をかけられるようになったのだから、トータルではもっと美味く作れるはずなのだ。 もしも、品種名をブランドにするならば、そこまでやっては如何か。

もっとも、新潟コシヒカリの値崩れをコシヒカリBLのせいにしているのであれば、 お門違いの八つ当たりもいいところだと思うが。

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