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2007/09/23

朝日新聞 「9月入学―無理に進める話ではない」 と言う社説

9月23日(日)の朝日新聞に奇妙な社説が載った。「9月入学―無理に進める話ではない」というものだ。

記事ではなく、独創性にあふれる社説なので全文引用は控える。ワードの要約機能で縮めて添削した趣旨は以下の通り。

 文部科学省が大学の入学時期を「原則4月」とする規定をなくす。欧米と同様の9月入学を後押しする狙いで、 年末からの実施をめざすという。

 一見すると、あたかも全国の大学が雪崩を打って9月入学に変わっていくかのような印象を受けるが、 9月入学を義務づけたわけではなく、入学時期の原則を解除するもの。9月入学は今でも認められている。それをあえて「原則4月」 を削るというのは、安倍首相肝いりの教育再生会議の提言を受けて、文科省が半歩動いたということか?

 いま全体の2割で4月以外の入学を導入しているが、入学者は全体の1%。9月入学が広がらないことには、いくつも理由がある。 大学だけが9月入学でも、高校卒業後、入学までに半年余りの空白が生まれる。そもそも新年度といえば、 日本では企業や役所を含めて春から始まることが定着している。首相は自著「美しい国へ」で、大学を原則9月入学にして、 高校卒業後の数カ月間をボランティア活動に充てることを提案している。教育再生会議は9月入学の促進を提言した。しかし、再生会議でも 「4月と9月は両方ともニーズがある。国際社会の流れに合わせるという効用があるとはいえ、 一斉に9月入学に衣替えするような環境にはない。

 そもそも、9月入学にすれば留学生が増えるのだろうか。日本から優秀な人材が米国の大学に流れるように、 大学やカリキュラムに魅力があれば、入学時期にずれがあっても、学生は集まる。

 いま真剣に考えるべきことは、入学の時期よりも教育の中身だろう。

まず、この社説を載せた新聞社は、入学時期の弾力化という施策の目的を正しく理解しているのだろうか?

施策を評価するにはいくつかポイントがある。 以下、私の理解するところの評価のポイントを列挙する(目標設定の妥当性はとりあえず横に置いておく)。

  1. そのプランは目的を達成するのに有効か?
  2. そのプランを実施した場合の副次的な効果のメリット・デメリットを勘案してもなお、その施策を推進するべきか?
  3. そのプランのコストパフォーマンスは、実施するに値するか?(費用対効果)

いわば、薬の作用・副作用の評価と薬価のバランスのようなものだ。では、「大学の入学時期を弾力化する」という文部科学省の施策の目的は何か?新聞報道ではその辺の目的がはっきり書かれていない。それらしいものと言えば、朝日新聞の記事によれば、第二回教育再生会議の答申の「大学の国際化や多様化を進める狙い」くらい。今回了承したという中教審の部会名も記事には出ていないので、文科省のホームページで探すのも一苦労だ。もっとも18日開催であればまだ議事録も出ていないだろうが。なんとも不親切な記事と社説である。

さて、入学時期を弾力化する目的が「大学の国際化や多様化を進める狙い」であるとすれば、入学時期の弾力化は目的達成のための良いプランであるといえるだろうか?

これは、誰が考えても、一つの要素として弾力化はあった方がよいが、これだけで目的が達成できる訳はないということくらいわかりそうなもの。しかし、予算的裏付けはおそらくあまりいらないので、コストパフォーマンスは良いだろう。一方、目的が「大学の国際化や多様化を進める狙い」であるとすれば、” 高校卒業後の数カ月間をボランティア活動に充てることを提案している”という狙いは、副次的な効果という位置づけになる。

であるとすると、そもそも朝日新聞の言うように「一斉に9月入学に衣替えするような環境にはない。」という環境条件は当然のことであるし、大学の多様化・国際化を進める為であれば、大多数の大学が一斉に9月入学になってしまっては、多様化も何も・・・。

また、朝日新聞は大学がどこまで国際化すると考えているのだろう。留学生獲得のために多くの大学がこぞって9月入学をすすめるとでも思っているのだろうか?日本のどこの大学でも、留学生はマイノリティーであったし今後もそうだろう。彼らのために、大学が入学時期を一斉に変えるとでも本当に思っているのだろうか?しかし、もしそう信じていないならそうなる環境にないからと言って、この施策は無駄というレッテルを貼る態度は不誠実である。

私の見るところ、朝日新聞のこの社説は、施策の目的と関係のないところで批判し、だめ出しをしている「ダメ社説」である。理由は以下の通り。

  • もし、施策の目的を読み違えているのだとしたら、社説を書く編集委員の資質に疑問がある。
  • 逆に施策の目的を大学の多様化、国際化と正しく理解しているのならば、わざわざ 「一斉に9月入学に衣替えするような環境にはない。」と指摘してみせるのは、 無駄な施策であると読者の意見を誘導する不誠実な態度である。

この社説の最後はご丁寧にもこう結ばれている。

日本から優秀な人材が米国の大学に流れるように、大学やカリキュラムに魅力があれば、入学時期にずれがあっても、学生は集まる。

いま真剣に考えるべきことは、入学の時期よりも教育の中身だろう。

もし、米国の大学に流れる「優秀な人材」が研究者のことを言っているのであれば、彼らは「入学」なんかしないし、大学のカリキュラムも関係ない。任期は年単位の契約が一般的だし、学生と違って卒業資格も必要ない。給料が出て研究資金の年度があえばいつでも仕事を始められる。大学のシラバスに従って教育を受ける学生とは、居る場所が大学であると言う部分以外には何ら共通点はなく、全然比較にならない。

仮に、学生と研究者を混同しているのであれば、この社説を書いた人も、それをチェックした社員も、研究環境の問題と大学の教育課程の問題の区別がついていない事になる。社説は新聞社という組織を代表する意見であるが、私は、そういう認識しか持ち得ない新聞社に高等教育のことを論じてほしくない。

9月入学にしただけで留学生が増えるとは、だれも考えてはいないだろう。しかし、原則4月入学という規定はが留学生に優しくないのは確かだ。また、留学生を増やすのが目的であるならば「そもそも新年度といえば、日本では企業や役所を含めて春から始まることが定着している。」と言う批判も的外れだ。この社説の筆者は留学生のどれほどが大学卒業後に日本の企業や役所に就職することができると考えているのだろうか。

また、私の見るところ、今この時期に留学生を増やす工夫は、「大学全入時代の先」を見据えているのではないだろか。文部科学省は、私学の統廃合を進める一方で、定員割れのおそれのあるする、あまり人気のない大学の収入を留学生で支えようと考えているのかもしれない。私学助成金は確か、学生数に応じて配分されるのではなかったか?定員割れの大学は、授業料収入が減るだけでなく、助成金も減るので急激に経営が悪化することになるだろう。それを留学生で埋めることができれば、例えば授業料をディスカウントしてでも定員を埋めるメリットはある。

国立大学法人の運営交付金も、学生の定員を基礎に決定されている。また、地方都市にある国立大学は地域経済を支える重要な基幹産業になっている。弘前大学が試算した例を聞いたことがあるが、職員の払う地方税、すくなからぬ学生や職員とその家族の生活費は間違いなく地域の経済を活気付けている。

少子化時代は、大学によって支えられている地域経済にとって、とてつもない脅威なのだ。やがて来るその衝撃を少しでも和らげるのが大学入学時期の自由化の隠された意図かもしれない。

いずれにしても、一つの施策で大学の多様化・国際化が果たせるわけはない。また、全ての大学が、多様化・国際化に向かう必要もない。教育の中身を何とかするのは、それぞれの大学がそれぞれの方法に従って自主的な努力で行うべきであって、文科省にどうこう言われてする事ではない。

今回の文科省による規制緩和は、大学の国際化・多様化という目的にそこそこの整合性があるプランであって、しかも財政負担が生じないと言うことであれば大いに結構ではないか?だいたい、社説は「無理に進める話ではない」と言う副題だが、どう見ても誰も、無理に進めようとはしていないし。施策の結果は、数年後にレビューしてみれば明らかになることだ。

文科省にも、そろそろポスドク1万人化計画のレビューをしてみることをおすすめする。そして、その施策の副作用として、高学歴の研究者の雇用不安を増大し、先行きに対する不安から次世代育成も思うに任せない有様になっている事実からも目をそらさずに、真摯に対応していただきたいものだ。

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