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2007年9月の記事

2007年9月29日 (土)

今日は車検に行ってきた

今日は、読んだ方の参考になるような話は、全くありません。悪しからず。

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日産レッドステージで車検。最近、ドアロックした後で、勝手にロックが施錠開錠を繰り返しているような妙な音がすることがあったので、 もし再現されたら対応してもらう、ということでお願いしてきた。

代車はワインレッドのブルーバード・シルフィー06年製。私の車は、98年製のプリメーラ・ ワゴンなので価格帯は同じようなものですが、年式がこれだけ違うと、もう似ているところを探すだけで大変、と言うくらい違う。 車内で聞くエンジン音は静かだし、加速感は軽いし、燃費計によればリッター9.8kmくらい走るようだし、 シートのすわり心地は格段にいいし、車内は広いし、ギヤをバックに入れると液晶画面でモニターできるし、 カーナビは3D表示でコース変更の際のレスポンスは早いし(これは車本体ではないが)。なんだか、車を買い換えたくなってきた・・・ というのがディーラーのテなのだな。でも、そろそろ買い替えを考える時期ではあるが。

車をディーラーに預けて、近くのインド料理屋・ニューミラで昼食。ナンとライスの両方ついたセットだったが、ビリヤニ・ ライスが売り切れてしまって、代わりに野菜スープが出てきた。そろそろ寒くなってきたので、ナンを食べきる前に冷めてしまう。 冷めてしまうとボソボソしてあまり旨くない。やっぱり熱帯の食べ物なのかな。

でも、ナンは小麦でできている。小麦はやや乾燥した亜熱帯、温帯から亜寒帯の作物。 本当に暑い南インドではおそらく米を食べているはず。

 

夕方、お茶の水女子大からLWWCの修了証書が届いた。医薬品と食品のリスク評価、リスク管理の知識と物の見方のは、 しっかり頂戴した。惜しむらくは、もう1年2年早く勉強していれば、今の仕事の仕方ももっと違ったものになっていたかもしれない。

2007年9月25日 (火)

ワタシ、こういうものに目がないんです(ポータブルタイプのDNAフィンガープリント装置)

大抵の方から見ると、あいつ変なものに萌えてるなーとあきれられそうですが、こういうポータブルのラボって大好きです。

NEC製のLabOnChipのPCRと、電気泳動装置のパッケージですが、

  • 電源はどうしてるの?
  • スループットは何サンプルくらい?
  • 電気泳動の検出系の光源とディテクターは何?
  • 蛍光色素は何を使うの?
  • 泳動用のポリマーの充填はどうするの?
  • 泳動用のチップはディスポ?
  • PCRのサイクルは操作できるの?
  • DNAフラグメントの分解能は200bpに対して何パーセント?
  • 写真にはキーボードも一緒に写ってるけど、PC内臓?
  • だとすると、ネットワークに繋がるよね。バンドパターンでデータベースサーチができるのかな?

などなど、知りたいことで一杯です。ちなみに、おいくらくらいなんでしょうか・・・。ま、今の仕事では使い道も無いし、 買えやしませんけどね。

組換え作物や品種識別の現場に持ち込めると、一次スクリーニング的な迅速診断に使えそうなので、 農学方面でも結構用途は広いかも知れません。メーカーの言うように「犯罪の抑止に貢献できる」・・・かどうかは、実に微妙ですが。

かつてMJ-research(現bio-rad)でMML-0150というモバイルラボがありました。 アメリカ陸軍あたりの要請でバイオテロ対策用に作られたもので、 良くあるタイプのPCRと電気泳動セットをでかいアタッシュケースに詰め込んだだけの代物でした。さすがにそれは大きすぎると思いましたが、 今度のは一味違います。

もっとも、植物用の簡易DNA抽出法と組合せないと、農学系では威力半減ですが。

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2007年9月23日 (日)

朝日新聞 「9月入学―無理に進める話ではない」 と言う社説

9月23日(日)の朝日新聞に奇妙な社説が載った。「9月入学―無理に進める話ではない」というものだ。

記事ではなく、独創性にあふれる社説なので全文引用は控える。ワードの要約機能で縮めて添削した趣旨は以下の通り。

 文部科学省が大学の入学時期を「原則4月」とする規定をなくす。欧米と同様の9月入学を後押しする狙いで、 年末からの実施をめざすという。

 一見すると、あたかも全国の大学が雪崩を打って9月入学に変わっていくかのような印象を受けるが、 9月入学を義務づけたわけではなく、入学時期の原則を解除するもの。9月入学は今でも認められている。それをあえて「原則4月」 を削るというのは、安倍首相肝いりの教育再生会議の提言を受けて、文科省が半歩動いたということか?

 いま全体の2割で4月以外の入学を導入しているが、入学者は全体の1%。9月入学が広がらないことには、いくつも理由がある。 大学だけが9月入学でも、高校卒業後、入学までに半年余りの空白が生まれる。そもそも新年度といえば、 日本では企業や役所を含めて春から始まることが定着している。首相は自著「美しい国へ」で、大学を原則9月入学にして、 高校卒業後の数カ月間をボランティア活動に充てることを提案している。教育再生会議は9月入学の促進を提言した。しかし、再生会議でも 「4月と9月は両方ともニーズがある。国際社会の流れに合わせるという効用があるとはいえ、 一斉に9月入学に衣替えするような環境にはない。

 そもそも、9月入学にすれば留学生が増えるのだろうか。日本から優秀な人材が米国の大学に流れるように、 大学やカリキュラムに魅力があれば、入学時期にずれがあっても、学生は集まる。

 いま真剣に考えるべきことは、入学の時期よりも教育の中身だろう。

まず、この社説を載せた新聞社は、入学時期の弾力化という施策の目的を正しく理解しているのだろうか?

施策を評価するにはいくつかポイントがある。 以下、私の理解するところの評価のポイントを列挙する(目標設定の妥当性はとりあえず横に置いておく)。

  1. そのプランは目的を達成するのに有効か?
  2. そのプランを実施した場合の副次的な効果のメリット・デメリットを勘案してもなお、その施策を推進するべきか?
  3. そのプランのコストパフォーマンスは、実施するに値するか?(費用対効果)

いわば、薬の作用・副作用の評価と薬価のバランスのようなものだ。では、「大学の入学時期を弾力化する」という文部科学省の施策の目的は何か?新聞報道ではその辺の目的がはっきり書かれていない。それらしいものと言えば、朝日新聞の記事によれば、第二回教育再生会議の答申の「大学の国際化や多様化を進める狙い」くらい。今回了承したという中教審の部会名も記事には出ていないので、文科省のホームページで探すのも一苦労だ。もっとも18日開催であればまだ議事録も出ていないだろうが。なんとも不親切な記事と社説である。

さて、入学時期を弾力化する目的が「大学の国際化や多様化を進める狙い」であるとすれば、入学時期の弾力化は目的達成のための良いプランであるといえるだろうか?

これは、誰が考えても、一つの要素として弾力化はあった方がよいが、これだけで目的が達成できる訳はないということくらいわかりそうなもの。しかし、予算的裏付けはおそらくあまりいらないので、コストパフォーマンスは良いだろう。一方、目的が「大学の国際化や多様化を進める狙い」であるとすれば、” 高校卒業後の数カ月間をボランティア活動に充てることを提案している”という狙いは、副次的な効果という位置づけになる。

であるとすると、そもそも朝日新聞の言うように「一斉に9月入学に衣替えするような環境にはない。」という環境条件は当然のことであるし、大学の多様化・国際化を進める為であれば、大多数の大学が一斉に9月入学になってしまっては、多様化も何も・・・。

また、朝日新聞は大学がどこまで国際化すると考えているのだろう。留学生獲得のために多くの大学がこぞって9月入学をすすめるとでも思っているのだろうか?日本のどこの大学でも、留学生はマイノリティーであったし今後もそうだろう。彼らのために、大学が入学時期を一斉に変えるとでも本当に思っているのだろうか?しかし、もしそう信じていないならそうなる環境にないからと言って、この施策は無駄というレッテルを貼る態度は不誠実である。

私の見るところ、朝日新聞のこの社説は、施策の目的と関係のないところで批判し、だめ出しをしている「ダメ社説」である。理由は以下の通り。

  • もし、施策の目的を読み違えているのだとしたら、社説を書く編集委員の資質に疑問がある。
  • 逆に施策の目的を大学の多様化、国際化と正しく理解しているのならば、わざわざ 「一斉に9月入学に衣替えするような環境にはない。」と指摘してみせるのは、 無駄な施策であると読者の意見を誘導する不誠実な態度である。

この社説の最後はご丁寧にもこう結ばれている。

日本から優秀な人材が米国の大学に流れるように、大学やカリキュラムに魅力があれば、入学時期にずれがあっても、学生は集まる。

いま真剣に考えるべきことは、入学の時期よりも教育の中身だろう。

もし、米国の大学に流れる「優秀な人材」が研究者のことを言っているのであれば、彼らは「入学」なんかしないし、大学のカリキュラムも関係ない。任期は年単位の契約が一般的だし、学生と違って卒業資格も必要ない。給料が出て研究資金の年度があえばいつでも仕事を始められる。大学のシラバスに従って教育を受ける学生とは、居る場所が大学であると言う部分以外には何ら共通点はなく、全然比較にならない。

仮に、学生と研究者を混同しているのであれば、この社説を書いた人も、それをチェックした社員も、研究環境の問題と大学の教育課程の問題の区別がついていない事になる。社説は新聞社という組織を代表する意見であるが、私は、そういう認識しか持ち得ない新聞社に高等教育のことを論じてほしくない。

9月入学にしただけで留学生が増えるとは、だれも考えてはいないだろう。しかし、原則4月入学という規定はが留学生に優しくないのは確かだ。また、留学生を増やすのが目的であるならば「そもそも新年度といえば、日本では企業や役所を含めて春から始まることが定着している。」と言う批判も的外れだ。この社説の筆者は留学生のどれほどが大学卒業後に日本の企業や役所に就職することができると考えているのだろうか。

また、私の見るところ、今この時期に留学生を増やす工夫は、「大学全入時代の先」を見据えているのではないだろか。文部科学省は、私学の統廃合を進める一方で、定員割れのおそれのあるする、あまり人気のない大学の収入を留学生で支えようと考えているのかもしれない。私学助成金は確か、学生数に応じて配分されるのではなかったか?定員割れの大学は、授業料収入が減るだけでなく、助成金も減るので急激に経営が悪化することになるだろう。それを留学生で埋めることができれば、例えば授業料をディスカウントしてでも定員を埋めるメリットはある。

国立大学法人の運営交付金も、学生の定員を基礎に決定されている。また、地方都市にある国立大学は地域経済を支える重要な基幹産業になっている。弘前大学が試算した例を聞いたことがあるが、職員の払う地方税、すくなからぬ学生や職員とその家族の生活費は間違いなく地域の経済を活気付けている。

少子化時代は、大学によって支えられている地域経済にとって、とてつもない脅威なのだ。やがて来るその衝撃を少しでも和らげるのが大学入学時期の自由化の隠された意図かもしれない。

いずれにしても、一つの施策で大学の多様化・国際化が果たせるわけはない。また、全ての大学が、多様化・国際化に向かう必要もない。教育の中身を何とかするのは、それぞれの大学がそれぞれの方法に従って自主的な努力で行うべきであって、文科省にどうこう言われてする事ではない。

今回の文科省による規制緩和は、大学の国際化・多様化という目的にそこそこの整合性があるプランであって、しかも財政負担が生じないと言うことであれば大いに結構ではないか?だいたい、社説は「無理に進める話ではない」と言う副題だが、どう見ても誰も、無理に進めようとはしていないし。施策の結果は、数年後にレビューしてみれば明らかになることだ。

文科省にも、そろそろポスドク1万人化計画のレビューをしてみることをおすすめする。そして、その施策の副作用として、高学歴の研究者の雇用不安を増大し、先行きに対する不安から次世代育成も思うに任せない有様になっている事実からも目をそらさずに、真摯に対応していただきたいものだ。

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2007年9月21日 (金)

最近のアクセスログ

週末はblogを書かないことが多いので、このところのアクセスログのまとめ。

  1. おなじ職場からのアクセスが多い。中には朝夕見てる方がいらっしゃいますが、仕事中には更新してませんって。それから、 Googleで私の名前を検索するってのはどうなの?
  2. 果樹研にほぼ毎日のように見に来てる方がいらっしゃいます。S水さんじゃないよね。
  3. 九沖農研のMIPSのPCからアクセスしてる方がいらっしゃいます。別棟からかな?
  4. 第一三共製薬からアクセスしてる方がいらっしゃいますが、スギ花粉症緩和米関係の新しい情報は載せません。悪しからず。 プレスリリースをお待ちください。ブックマークに入れていただいてるのはありがたいのですが。
  5. 理系の大学・職場からのアクセスが多い。九大、北大、東大、東北大、新潟大、佐賀大、宇都宮大、農工大、金沢大、静岡大、 ユタ大、マサチューセッツ大。理研、JAXA、 製品評価技術基盤機構、国立病院機構、海洋研究開発機構。企業では、ソニー、東芝、 松下電器、日立バブコック、東洋合成、不二製油、タカラバイオ、熊本製粉、大鵬薬品、第一三共製薬。
  6. その他、NHK、日本テレビ放送網、朝日新聞、日本生活協同組合連合会。

キーワードが理系に偏ってるので、検索エンジンでこのblogを見つけるのも理系の人が多いのでしょう。

こういうアクセスログを見ていると、読者の客層がわかる。blogもマーケティングのツールとしては、なるほど有効かも知れない。読者に合った広告がその都度出せるならば。


今日は、組換え体関連の審査業務が6件。早いとこ業務引継ぎ資料を作って他のスタッフにも仕事を分散しないと実験の時間がなかなか取れない。来週はプロジェクト関係と通常業務関係の会議の出張が2日、コンサルタントとの面談が半日。この手の仕事は、今年度はそろそろ終わりかと思っていたのだが・・・なかなか。

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2007年9月20日 (木)

枯れっぷり

まずは先週9月13日のひまわり畑の写真から。

かれひまわり

見事に枯れ上がっている。科学では、”なぜ”という問いの立て方は意味が無いので、こう問いを立ててみよう。 「ひまわりはどうやって枯れるのか?」

下ばえの雑草は青々としている。また、隣の畑の遅まきのひまわりもまだ青々としている。つまり、単に寒いから枯れている訳ではない。 下の古い葉が枯れている個体でも、上の葉はまだ青い。ということは古い葉から枯れるらしい。

葉が枯れる、ということは、そこにある葉の細胞が死ぬということだ。では「どのようにして古い葉から枯れるのか」。 枯れるときには何が起こっているのか?

植物のライフサイクルが1年以内に完結するものを一年性植物、複数年にわたるものを多年性植物という。雨季、 乾季がはっきりしている気候帯で生存している植物は、何とかして暑く乾燥した乾季をしのがなくてはならない。また、 冬の寒さの厳しい地域で生存している植物は、光の少ない氷雪の季節を生き延びなくてはならない。

その時にとる生存戦略にも色々ある。多年性植物の場合は、乾季には葉を落として表面積を少なくして乾燥に耐えたり、 もっと乾燥した地域に適応した植物は、球体に近い形の肉厚の組織に水を溜め込み、針のような葉をまとうものもある。寒さに耐えるように、 冬には葉を落として凍結に耐えるもの、樹脂をたっぷり含んだ緑の葉を冬も蓄えて春先の日光を独り占めしてスタートダッシュをかけるもの。 あるいは、栄養繁殖して増やした球根で耐え忍ぶなど様々だ。

一年性植物の場合は、環境が厳しくなると個体は潔く死んでしまう。そのかわり、世代交代して厳しい環境に耐えられる種子の生産に、 植物体に蓄えた物質とエネルギーのすべてを注ぎ込む。種子を生産することは、新しい遺伝子型の組合せを作り出す一方で、 厳しい環境を耐え抜いて生命をつなぐパッケージを生産することでもある。

その際に、いかに短い時間で、効率よく植物体の持っている栄養分やエネルギーを種子に託すかが一年生植物の生存にとっては重要だ。 枯れてゆく植物体に無駄な養分を残さないこと。環境が悪化するよりも早く、安全なパッケージにエネルギーを充填しておくこと。 その効率とスピードが生存と繁栄の鍵を握る。

栽培イネでは、多年生の比較的強いジャポニカ型と、一年生の比較的強いインディカ型がある。またアフリカイネ(Oryza glaberrima)は一年生が極端に強い。一年生の性質が強いイネは、 古くなって光合成能力が落ちてきた葉の窒素分や炭水化物を輸送して、新しい葉の成長や種子の登熟にあてる。

ちなみに、コムギのNAC遺伝子は葉の老化と窒素分の転流、 種子貯蔵タンパク質、亜鉛、鉄の貯蔵にまで影響していることが知られている。またイネのNAC遺伝子はストレスで誘導がかかる。 まるで世代交代を促すように。

そして、ひまわりが枯れる際にも、植物体から窒素分と炭水化物を種子に送っている。・・・に違いない。生憎、 ひまわりでその種の仕事をした論文を読んだことが無いもので。その部分は推測でしかありません。スミマセン。

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2007年9月18日 (火)

生物と無生物のあいだ - 福岡 伸一 著 -

分子生物学者のエッセイである。  所々にちりばめられた専門的な生物学の知識をきらびやかな文体と巧みな比喩で専門家でない読者にもわかりやすく説いている。・・・ のだろう。私はほぼ専門家なので、非専門家の視点には立てない。だから、私は、 非専門家向けにこの本の書評をするには不向きな人物であることを自覚している。

私は分子生物学者ではないが、それにかなり近い研究者なので、生命が動的平衡状態にあることや、 生物が動的平衡状態にある物質の秩序の上に成り立っている「何者か」であることは知っている。この本の書評を書いている人の多くにとって、 生命が動的平衡状態であることが目から鱗の新鮮な知見であることの方が、私にとっては目から鱗である。

読者の中には「生物」と「生命」の違いがわかっていない方もいるようだ。 また、本書での生物に関する記述が、遺伝物質(遺伝子ではない)から、代謝、細胞、 個体という順に微視的視野から巨視的視野へと順次ズームアウトしていく構成になっていることさえ追えないでいる読者もいるようだ。

腰巻きに寸評している内田 樹先生によれば 「理系の人の文章はロジカルでクールで、そのせいで「論理のツイスト」がきれいに決まると、背筋がぞくっとする。」のだそうだ。この感覚は、 私にはわからない。なぜならば、ロジカルでクールな文章とは、「論理がツイストしない(ねじれない)」文章だからだ。そのかわり、 論文を読んでいると時折、ロジカルで淡々と事実を紡いでいて至極クールで、しかも論理がちっともツイストしていないで、 その分剛速球のようにズドンと決まるというものに出会う。そんな時にこそ、私は背筋がぞくっとする。

かつて、川喜多愛郎先生が「生物と無生物の間」 という本を著した。その本の主題は、ウイルスという自己複製する要素ではあるが自己複製能力を持たない物質であった。ウイルスは核酸を持ち、 それを遺伝子として機能させる複製装置も翻訳装置も持っていない。翻って、「生物と無生物のあいだ」でも、やはり生物のような「もの」 としてウイルスが記述されている。しかし、この本全体を通じて流れている主題としての「生物と無生物のあいだ」とは、 無生物であるDNAが転写され、翻訳され、機能タンパクが入れ替わり立ち替わりしながら代謝を続ける平衡状態・・・ すなわち物質から生命にいたるプロセス全体を指しているようにも読める。

福岡先生の「生物と無生物のあいだ」は、そのきらびやかな文体と巧みな比喩で今後も多くの読者を魅了するだろう。しかし、 残念ながら私には「響かなかった」。なぜか?この本に書いていることは面白く、ほぼ正確だ。世間に知られないポスドクの何たるかも、 一般向けの本で語ることに意義はある。しかし、 著書に書かれた福岡先生の研究者としての過去と現在のありようとの不連続性に私は痛みを感じる。福岡先生は言う。 アカデミズムのヒエラルキーは死んだ鳥を生むと。しかし、そのヒエラルキーを完全に否定しては、なかなか研究業績も出ないし、 卒業生は院生として研究室に居着かない。ファンドが取れなければポスドクも雇えない。また、事務系のスタッフも雇えなければ、 ラボのマネージメントも教授一人がしなくてはいけない。

 


 

生命は、非常に精密であると同時に、非常にアバウトにできている。細胞内の信号伝達は、 精妙なタンパク質のネットワークを通して行われている。福岡先生が言うように、ある遺伝子をノックアウトしても、 代替経路で信号が伝えられると、一見なにごとも起こらなかったように見える事もある。 よく似た遺伝子が破壊された遺伝子のバックアップにあたることもあれば、 酵素反応の果ての代謝産物ベースでなんとかつじつまを付けてしまうこともある。最初から遺伝子のスペアを複数用意している場合もあれば、 一つの遺伝子を様々な組織で使い回している場合もある。逆に、生物のライフサイクルの中で1,2回、 ここぞ、と言うタイミングでしか使われない遺伝子もある(私は勝手に 「冠婚葬祭用遺伝子」と呼んでいる)。

遺伝子組換え技術は、その動的平衡状態に対する挑戦である。・・・というと、神の摂理に挑んでいるかのごとく言う人もあろう。 私の言う挑戦とは、そんなことではない。エントロピーに逆らって「変わるまい」とするのが、生命の本質であるとするならば、 数個の遺伝子を操作して外から入れたくらいで、その生命という平衡状態を保っている生物を変えるのは、なかなか大変だということなのだ。

生物は時に不思議なことをする。短波長の光の届かない海中にいるクラゲがなぜか、 青色の光をあてると緑色の蛍光を発するタンパク質を作ったりする。ほとんど意味不明というか、生命現象であるので「合目的性」はない。

かと思うと、植物の貯蔵タンパク質には裸子植物から被子植物まで広く構造が保存されているものもある。11Sグロブリンがそうだ。 特に不都合が無い限り、パーツの使い回しをしているかの様に見える。まるで、新製品はとかく故障しがちという事を知っている様な保守性だ。

翻って、工業製品にもこのような保守性が見られる場合がある。例えば乾電池がそうだ。 単三という規格の乾電池しか受け付けない構造の機器が世の中にある限り、電池の中身が「マンガン乾電池」、「アルカリ乾電池」、 「水銀フリーアルカリ乾電池」、「ニッカド充電池」、「ニッケル水素充電池」、「リチウムイオン充電池」と変化していても、 外見はほとんど変わらない。

そう考えると、植物の11Sグロブリンも、個々のタンパク質分子の大きさと立体構造、三量体を形成する性質、酸性- 塩基性サブユニットに開裂する性質、特定の貯蔵液胞に蓄積する性質は保存されている。一方、アミノ酸の一次構造はあまり保存されていない。 こちらは、分子時計なりの進化速度で変わっているようだ。

では、「個々のタンパク質分子の大きさと立体構造、三量体を形成する性質、酸性-塩基性サブユニットに開裂する性質、 特定の貯蔵液胞に蓄積する性質」が保存されているのは何故か・・・これは、 その規格の電池しか受け付けない装置が細胞の中にある、ということでは無いだろうか? 一次構造からは推定し得ない保守性の謎を解く鍵はそんなところにあるのかもしれない。

 

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2007年9月13日 (木)

MON863の安全性に関する食品安全委員会の見解 - final & 動物飼料としてのGMOについての評価

今日(9/13)、食品安全委員会のホームページをチェックしたところ、第204回委員会の議事録が掲載されていた。 この会議では、表題にもあるモンサント社開発の遺伝子組換えトウモロコシ・MON863に対して、 フランスの研究者らから安全性に疑義があるとの論文が出され、 食品安全委員会が遺伝子組換え食品専門調査会に評価を付託していた件についての報告がある (しかし、この報告書は何でプリントアウトをスキャンしたものなんだろ?)。

遺伝子組換え食品専門調査会は平成14年に評価済みのMON863について、 新たに人の健康に危害を及ぼす可能性は認められないとの報告書をまとめ、その報告を第204回食品安全委員会は妥当であるとして了承した。

つまり、日本政府の公式な対応としては、「これまでも問題なかったし、新たな問題もない。だから特に対応する必要はない」 の一点に尽きる。評価も対応も、これでおしまい。声明も、コメントもなし、である。

もしどなたか、第204回食品安全委員会のこの対応を取り上げたマスメディアがBiotechnology Japan以外に1社でもあれば、教えていただきたい。コメントでもトラックバックでも良いので、お願い申し上げます。

騒ぐだけ騒いで、結局問題ないということになっても火消しをしないのは全く無責任である。さあどうする? グリーンピースはこんな要請書まで出しちゃって。

 


 

話変わって、飼料用遺伝子組換え作物の評価に関わるESFAの動きについて。

すでに食品安全情報blogでも取り上げられているが、 別の視点から。

http://www.efsa.europa.eu/EFSA/Statement/gmo_EFSA_statement_DNA_proteins_gastroint.pdf

GM飼料を与えられた動物由来の肉、卵、ミルクに組換え体由来のDNAやタンパク質は含まれるか?と言う話である。

EFSAはECの要請に従って、関連する文献の調査を行った。結論をつまみ食いすると

(1)生物学的に活性のある遺伝子や蛋白質は、食品や飼料中に様々な量で普通に含まれる。食べると、 ヒトや動物の消化管内で短いDNA断片やペプチド断片に速やかに分解される。

(2)今日まで、多数の家畜での実験で、GM植物に由来する組換えDNA断片や蛋白質がブロイラー、ウシ、ブタ、 ウズラの組織や体液や可食部から検出されたことはない。

ということ。このような当然の事実もあるので、 飼料としての審査の際に動物実験のデータを求めるような制度にはなっていない。また、 遺伝子組換え作物由来の飼料で育った家畜を区別するような表示制度にもなっていない。

では、いつまで飼料安全性についても審査する必要があるのだろうか?このステートメント(声明)を受けて、 いずれは飼料についての安全性評価は要らなくなる日が来るかもしれない。

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2007年9月12日 (水)

安倍総理大臣辞任

安倍改造内閣の三度目のサプライズだ。一度目は、参院選後安倍総理自身がやめずに内閣改造をしたこと。二度目は遠藤農水相辞任。 三度目は、このタイミングでの総理大臣の辞意表明。

総理大臣が所信表明演説を終えて、このタイミングで辞任するとは信じがたいことだ。政治家の仕事は「喋る」こと、 言葉でメッセージを伝えること以外の何物でもない。言葉に対する信頼を失った政治家は死んだも同然だ。

では、一昨日のあの所信表明は何だったのか?首相は自らその言葉を裏切ってしまった。

これは少なくとも、平静な精神状態にある責任感のある人のする判断ではない。責任を問えるのは正常な精神状態にある人のみだ。 安倍首相が在職中に自殺されないことを切に願う。勿論、在職中でなければ自殺しても良いという意味ではない。

しかし、この辞任が最悪のタイミングであったか?というと、必ずしもそうとはいえない。今臨時国会の会期終了後にやめるか、 次期通常国会の終了後に辞めるのが、解散して野党に政権を明け渡すことなしに済ますための、ありうる選択である。だとして、 今国会を乗り切るのが難しいことが判っていたのならば、開会前にやめた方が恐らくよかっただろう。

だが、予算審議にかかる次期通常国会の会期中だったらどうなっただろうか?審議未了で已む無く暫定予算で動かす?そうなると、 骨格予算以外で動かされるあらゆる事務事業が止まる。私たち研究者の当てにしているプロジェクト予算のような、 無くてもすぐに国民生活に支障のでないものは言うに及ばず、である。

年末を目処に独法の再編論議もまとまる予定だが、その議論の行方も非常に不透明だ。困ったものだ。

首相辞任で内閣も総入れ替えだろう。特に、農水大臣はこの1年で中川、松岡、若林、赤城、若林、遠藤、若林と延べ6人も変わっている。 ・・・だからといって、どうとは言いませんが。

2007年9月10日 (月)

医療用遺伝子組換え作物の開発モデル

インターネット上の毎日新聞のサイトの9月7日の記事 (小島正美さん)「岐路に立つ組み換え作物:/下 有望品種に活路求め 反対根強く、開発進まぬ日本」にスギ花粉症緩和米が 「期待の星も」と言う小見出しで取り上げられていた。(以下抜粋)

 研究者たちの間で最も期待が大きかったのは、独立行政法人・農業生物資源研究所(茨城県つくば市)が00年から開発して、 やっと実現したスギ花粉症緩和米。スギ花粉と同じたんぱく質を作り出す遺伝子を稲に組み込んでいる。 「米を食べるだけで、 花粉症が改善する」と同研究所は開発を進めてきたが、今年、厚生労働省から「この稲は医薬品扱い」 との見解が出て、期待はしぼんだ。

 研究者たちは「一般の食品とは区別し、パック詰めでなんとか売り出したい」と話すが、医薬品扱いとなれば、 製薬会社の協力も必要となり、実用化までにはあと5~10年はかかると見られる。

「期待の星も、がっかりだよ!」という扱いなのか。だが、私は、医薬品扱いになったからと言って、 開発スタッフの一人としてはがっかりしてはいない。医薬品は実用化にあたり、ハードルが非常に高い。人の健康に影響するものなので、 多くの規制があって厳正に管理されているのは当然のことだ。一方、 規制のルールが明確になれば開発の道順が見えやすいので開発する側から見ると一種のメリットでさえある。すくなくとも、 食品とも医薬品とも決められないものの開発を続けるのと比べれば・・・であるが。

まず、些細な間違いを一つ指摘させていただくと、スギ花粉症緩和米に含まれているペプチドは、 「スギ花粉と同じたんぱく質」ではない。安全性を高めるために、 スギ花粉に含まれるアレルギーを起こすタンパク質のうち、 アレルギー反応を引き起こす引き金に当たる部分を取り除いたペプチドを作り出すように改変してある。

ちなみに、小島氏は遺伝子組換えでない通常の作物品種の開発にどのくらいの時間がかかっているかご存じないと思われるので、 以下に示しておこう。以下に示す図は、私かこれまで携わってきた作物育種の経験に従ったもので、 私が現在所属している組織や以前の所属がオーソライズしたものでない事をあらかじめお断りしておく。また、 育成の時間経過も多数の品種開発の統計に基づくものではないので、「だいたいこんな感じ」というごく大掴みなものだ。

交雑育種

これは、独立行政法人で行われているイネやムギの固定品種の育種の事例を取り上げたものだ。固定・ 選抜の年限が2-12年と幅があるのは、交配組合せや固定化技術によっては遺伝的に固定するのに時間がかかるものもあれば、 近縁の系統間の交配で固定にあまり時間がかからないものもあるため。 野菜やトウモロコシのようなF1品種の場合はまた違った戦略で育成事業が行われる。

交配と選抜で作られた品種候補が、実際にどのくらいの収量水準を発揮するかは、最終的には生産力検定試験を行うまで分からない。 気象条件が変われば生産性にも年次変動が生まれるためだ。だから生産力検定試験は、小面積で、 反復無しか2反復で多くのスクリーニングを並行して進める予備試験が1-2年程度、大面積で2-3反復程度の本試験が3年程度は行われ、 品質や収量が水準に達しない品種候補はそこで篩い落とされる。

イネやムギのような固定品種の場合は、遺伝的にあまり固定していない系統の生産力検定試験を行っても意味がないので、その前段として、 世代を進めながら姿形を均一にしていく、固定と言う作業に2-12年かかる。 遺伝的に遠い交配組合せの方が一般的には固定までの時間は長くなる。しかし、コシヒカリの親兄弟同士の交配のように、 遺伝的に近い組合せの交配では、その材料が持っていない耐病性やストレス耐性を導入することは、当然できない。 育種事業としては楽に世代を進められるが、逆に高い目標を掲げることはできない。 もちろん温室栽培などで世代を進める方法を採れば早く育成できる見込みはあるが、 温室の面積も無限ではないのでルーチンの事業としてはそこまでコストをかけることはできない。従って、 従来の品種には無い特徴を備えた新品種を育成するには10年くらいはかかる。

一方、参考までに遺伝子組換え作物の場合はどうかというと、こちらは要求される目標によって、所要時間は相当に違う。

たとえば、除草剤耐性や、耐虫性のダイズやトウモロコシの場合、 遺伝子組換えそのものはルーチンワークとして3年くらいでできたとしても、生産力検定試験にはやはり3年程度はかかる。 そして種苗法の手続きで品種登録も申請することになる。その間に、 カルタヘナ法や食品衛生法の規制に対応するための各種の安全性に関わるデータを取りそろえることになる。 組換え作物開発大手のモンサントでも10年くらいはかかっている。

これまで遺伝子組換えの方が早いと言ってきたのに、そんなに時間がかかるのはなぜか?

結局のところ、現在は、遺伝子組換え技術では作物の品種としての基本的な性能(収量性)を決めることはできないため、 従来の交雑育種で行う品種育成の一部として除草剤耐性や耐虫性を付与しているのが一因だ。また、仮に遺伝子組換えで収量性を向上するために、 草型を改変したり、穂や穀粒の数を増やす操作をしたとしても、栽培環境による表現型への影響を評価するための、 実証試験としての生産力検定試験をスキップして”製品”としての品種をリリースすることはできない。それは、自動車の開発で言えば、 実際の路上走行を行わずに試作車をいきなり販売するようなものだ。原理的にいかに優れて他製品であっても、 優位性を実証していない製品は失格だ。

遺伝子組換えの方が望みの形質を早く実現できるというのは、望みの形質を支配する遺伝子を直接導入できるのだから一面の真実はある。 しかし、物作りにはかならず検証の段階が必要だ。検証作業は実証的でなくてはならないので、それなりの時間がかかる。従って、 遺伝子組換えの方が早いこともあるし、そうでないこともある。

ここで、私たちが開発に携わっている医療用遺伝子組換え作物の開発モデルを示してみる。これもまた、 私がこの2年ほどの間携わってきた医療用遺伝子組換え米の開発のタイムコースを大雑把に再現したもので、 実際は未だ開発終了まで漕ぎ着けたものがないため、全体像としては私の想像の域を出ないものだとお断りしておく。

組換えの場合

大雑把に言えば、医薬品および作物としてのコンセプトと仕様を固める研究フェイズ、 設定した目標に沿った性能を持った遺伝子組換え植物を作成し、カルタヘナ法の規制をクリアする開発フェイズ、 作成された遺伝子組換え作物を医薬品原体として医薬品を開発する創薬フェイズの三つの段階に分かれる。我々のチームは小編成なので、 それぞれの段階ごとに作成した組換え植物を次のチームに引き渡して評価するという仕組みにはなっていない。同一のチームが、 少しずつメンバーが入れ代わるものの、開発フェイズまでは一貫して開発に携わるため、研究フェイズと開発フェイズの境界はやや曖昧だ。 できれば研究チームと開発チームは分業するのが望ましいのだが、残念ながらそれほどの人材が確保できていない。また、治験段階に入ると、 評価の主体は医療機関になるため、作物開発チームは医薬品材料の安定供給の面倒まで見る事になる。

この開発モデルの場合、後段の創薬フェイズの時間経過は一般の医薬品開発の場合と、そう大きくは変わらないと考えられる。従って、 創薬フェイズの経過については厚労省などのデータで確認しておいた方が良いだろう。

では、医薬品開発にはどのくらいの時間がかかるか?厚生労働省の「第1回有効で安全な医薬品を迅速に提供するための検討会」 平成18年10月30日開催の会議資料から見てみよう。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/10/s1030-8.html

このページの「資料3 医薬品の承認審査等の現状について」

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/10/dl/s1030-8c.pdf

PDFファイルのp. 3を見ると、基礎研究(2-3年)、非臨床試験(3-5年)、治験(3-7年)、承認申請と審査(1-2年)、 となっており、最短で9年(2+3+3+1)、最長で17年 (3+5+7+2)かかるようだ。 この資料によれば製品化まで漕ぎ着ける歩留まりは化合物あたりで見ると、1/11,299 = 0.0088%、0.01%に満たない。 しかも、関連する規制は、GLP、治験薬GMP、GCP、GMP、GPSP、GVP、承認に関わる条件etc.・・・がある。

創薬は非常に難しいミッションである。しかし、医療用遺伝子組換え米の場合は、 種子に医薬品成分になるペプチドやタンパク質を蓄積させるが、その成分については、全く新規の物質を使うことはまず無い。基本的には、 遺伝子組換え作物ではない原材料で作ったペプチドやタンパク質を使って、 医療関係者がある程度有効性を確認したものを米に蓄積させる戦略をとる。

新規化合物が医薬品になる上記の確率は、 その最初の部分で有効性や安全性に問題があるなどで相当数が篩い落とされた状態を計算した結果だ。医療用遺伝子組換え米の場合は、 篩の上に残った物質から開発を始めるのでそれよりは歩留まりも良いし、 創薬フェイズでの開発に関わる年限も全くの新規化合物を医薬品にする場合よりは短くて済むと考えられる。 基礎研究の部分は専門家に任せることになるのだから。

それでも、息の長い研究になることは間違いない。最後まで走り通す事ができるか、力及ばず倒れるか、 真剣勝負の日々はまだ始まったばかりだ。足がけ8年がかりで、一般ほ場栽培まで来たが、まだ、たかだか8年目。 医薬品開発ということで仕切り直しにはなったものの、それで落胆したスタッフは唯の一人もいない。急がずたゆまず、着実にすすめるのみ。 焦ったところで早く規制をクリアできる訳ではないのだから。

# むしろ独法組織の方が寿命が短いかもしれないのが非常に気がかりだ。

なお、私はアクセスログも見ているので、affrc.go.jpあるいは、maff.go.jpというサイトからも、 このブログが見られている事は重々承知の上で書いています。職業上の秘密に当たることは、何一つ書いていません。 全て公開されている情報を丹念に見るとわかることばかり、と明言しておきます。

 

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2007年9月 7日 (金)

MON863の安全性に関する食品安全委員会の見解 - pre 1

表題のネタは、食品安全委員会の議事録を読んでから、あと1回で終わりのつもりたっだのですが、今日(9/5)バイオテクノロジー・ジャパンのFood Scienceに松永和紀さんの記事(本編は有料です)が載ったので、急遽コメントすることにした。

黒影さんなど何人かのブロガーがフォローアップしている、モンサントの遺伝子組換えトウモロコシMON863の安全性に関するマスコミ各社とグリーンピースの”悪質な” キャンペーンに関する話題です。

食品安全委員会としての見解は、議事概要によれば専門調査会の意見を採用したのでこちら。議論の経緯は議事録が出るまでわからないので、今回はパス。

で、松永さんの記事についてのコメント。記事では食品安全委員会の結論を妥当としている。また、共同通信の記事で火付けに回った一方で、今回の特に懸念はないとする食品安全委員会の見解をフォローしていない新聞各紙を「新聞というメディアはとうとう、これほど無責任なことを平気でやるようになってしまったのだ。」と一刀両断している。

個人的には、「良くぞ言ってくれました」と評価したい。

だが、一ヶ所だけ扱いに気をつけた方がよい記載がある。以下に引用させていただくが、

どうもSeraliniの研究は、実験で使われた数百匹のラットの個体差を考慮にいれなかったところに致命的な問題があるようだ。 実験で使われるラットは、実験用に確立された遺伝的に均質なもの。だが、それでも個体差がある。さらに、環境的な要因も出てくる。 ラットは繊細で、食安委専門調査会で「特にケージで育っている間に、強いラットのそばにいる弱いラットは、 とかく虐げられるというような現象が現実にある」というような話が紹介されている。私も以前、「部屋のドアの近くにいるラットは、 神経質になって体重減少などの影響が出やすいから要注意」などという話を聞いたことがある。

この、「食安委専門調査会で「特にケージで育っている間に、強いラットのそばにいる弱いラットは、とかく虐げられるというような現象が現実にある」というような話が紹介されている。」というところ。

現象としてはそのような事象は確かにあるのだろう。しかし、専門調査会の議事録を注意深く読むと、この発言は毒性試験の専門家のものではなく、統計専門家の吉村先生がラットの個体差を説明する際の「たとえ話」として照会したものに過ぎないように読める。

虐げられたラットは、摂餌量も十分では無いかもしれないし、行動に異常があるかもしれない。また、その結果、体重も軽いかもしれない。一般にはそう言って間違いない。しかし、実際に毒性試験を行う場合は、個体間の競合を避けて、体重の増加と一頭一頭の摂餌量の相関も確認しなくてはならないので、一つのケージの中には一匹の動物しか入れない。だから、実験中の動物の体重の個体差が毒性試験期間中の動物の競合によるものだという事は考えられない。

また、試験開始前に動物の行動観察をして異常がないかを確認するし、試験開始時点では体重のばらつきがあまり大きくならないように揃える。だから、試験開始時点で虐げられて行動や体重に異常のある動物が紛れ込むこともありそうにない。

したがって、「特にケージで育っている間に、強いラットのそばにいる弱いラットは、とかく虐げられるというような現象が現実にある」という出来事自体は実験動物の飼育中に、現実によくあることとしても、毒性試験の際の個体の生育の差を説明するたとえとしてはあまり適切ではない。しかも、紹介した方は動物実験の専門家ではないと思うのだが、「専門調査会で紹介された」という箔を付けて紹介すると、あたかも毒性試験の際の個体差が競合によるものであることが専門家から事実として紹介されたかのように誤解されてしまう。

いらない誤解を招かない為には、誰の発言か、どのような文脈でされた発言か、という点にはよく注意するべきだろう。(自戒の念を込めて!)

2007年9月 2日 (日)

続々-遺伝子組換えトウモロコシ MON 863のラット90日給餌試験に関する統計分析の再評価

珍しく日曜日に更新。仕事上の情報の入力がないと、あまり更新する気にならないのだが、 金曜日に入力があったので遅ればせながら書くことにする。

我ながらしつこいと思うが、もう2回だけこのネタで書く(2回もかっ)。というのも、 8/31に第51回 遺伝子組換え食品専門調査会の議事録が掲載されたので今回。そして、 8/30に開催された食品安全委員会の本会議の議事録が掲載されたら、なるべく早い時期にもう一回書く予定。

第51回 遺伝子組換え食品専門調査会の議事録はこちら (pdf)。前回のエントリーにも書いたが統計の専門家として東京理科大学大学院工学研究科教授 吉村功 先生を専門参考人として招聘している。 議事録では匿名になっているものの、「前回からの懸案事項でございました、統計学的な立場からこの点をどう見るかということで、 ○○○の○○○先生にそのようなお立場でSeralini らの論文、MON863 系統のラット90 日間反復投与試験に関しての御意見をお伺いしたいと思います。○○○先生よろしくお願いいたします。」 と書いてあればどなたの発言かは誰にでもわかる。

さて、会議での論点は、2つ。一つは、統計学の専門家から見たSeraliniらの論文の解析手法と結論の妥当性の検討。もう一つは、 毒性科学の視点からの検討は第47回 遺伝子組換え食品専門調査会で検討済みということの確認。

吉村先生の指摘も、FESAの問題点の指摘と基本的には軌を一にしており、Seralini らの論文が妥当とは思われない理由として、個体の体重の推移において自己相関を考慮していない点と、 個体差を考慮に入れていない点について指摘があった。このほか、494項目のデータについて有意水準5%で検定した場合に、 40項目で有意差が出るのは異常か?という問題については、生理的に関連のある特性値については、 相関があるのが普通で独立と考えるべきではない(土門註:例えば、血液中の中性脂肪やコレステロールの値は、 どちらも肥満に密接に関連しており、相関が高いのが普通なので独立の変数として扱うのは不適当。)のでType I errorの出方としては異常とはいえないとか、90日間の体重変化は1変量と考えるべきで、 これを多変量という統計の専門家は居ないだろうとのこと。

Seraliniらの論文のsummaryを見ると”Appropriate statistics were added, such as a multivariate analysis of the growth curves, and for biochemical parameters comparisons between GMO-treated rats and the controls fed with an equivalent normal diet, and separately with six reference diets with different compositions.”とあり、 吉村先生の指摘は、そもそも毎週の体重を独立の変数と考えてるあたりで、ダメじゃんということでした(あ、 もっと穏当な言い方をされていますが)。

ということで、調査会の判断としては以下につきる。

 毒性学的な観点から、MON863 が安全か安全でないかということを評価するのが一番大きなポイントということではありませんでした。安全性評価についてはもともとは、 それ以前のいろんな評価で結論が出ている話です。そうは言っているけれども、90 日間の反復投与毒性試験のデータから見れば、 安全性に疑義があるのではないかという新たな問題の提起がされたわけです。しかし、 90日間の試験が安全性を判定する要件ではなかったわけです。ですから、そこはちょっと区別して、 我々は動物実験だけに頼って安全だという評価を下したものではなくて、これは2つに分けなければいけないと思います。
 まずヒトの健康に影響を及ぼすことはないという判断を下したという点に関しては、それはそれとしてある。90 日間の反復投与毒性試験のデータを統計解析すると新たな安全性に関する疑義が生じるという問題提起に関しては、再吟味した結果、 統計学的な観点から見てそうではないだろうというのが○○○先生の御意見も含めて、 私たちの結論になるのではないかと思うわけでございますが、それに対して、いかがでしょうか。そういう結論というか、 まとめでよろしゅうございますか。

要約すると

  1. 多面的な調査結果から、人の健康に安全上の問題はないという調査会の結論はすでに出されている。
  2. 今般提起された安全性に対する疑義に対して、90 日間の反復投与毒性試験のデータと論文を、再吟味した結果、 統計学的な観点から見て、”この疑義自体が”そうではないと結論。

となる。つまり、「間違った根拠で疑義が出されたことがわかったので、以前の結論に何ら変わりはない」ということだ。これを受けて、 8/30の食品安全委員会ではステートメントがとりまとめられたはずだ。これをネタにして、 もう一度まとめて私のメモを完結させることにする。

余談だが、吉村先生はモンサントにも手厳しい。

少し些末なことですけれども、モンサントからの資料は、あまりよい資料ではないと感じました。
どうもモンサントには、統計学的にきちっとした判断をできる人がもしかしたらいないのかもしれないと感じました。 これがこの辺に些末なことですがと書いていることです。

あぁ・・・。しかし、毎週の体重のデータをそれぞれ独立の変数として分散分析するという手法は、今日、 毒性試験の分野ではまだ一般的に行われているので、これを改めるとなると、 薬事法の毒性試験の解析の扱いなんかにも結構波及しそうな気がする。

私の疑問 Seraliniらの論文の手法はモデル選択か検定か?という点では、論文での扱いは正規性を前提として検定しているので「検定」 に当たる。また、Gompertzモデルの採用についても、正規性の前提と同様、このモデルで決めうちしているので、 もっと良いモデルがあっても関係なし、ということになる。正規性とモデルは、検定の前提として妥当な仮定だと。・・・それって、 確かめたのか?あるいは、原理的な裏付けがあってのことか?

 

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