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2005年2月18日 (金)

「科学的知見」と「蓋然性」の怪しい関係

朝、高速バスでT大のO先生とたまたま乗り合わせたので、話をしながら東京まで出てきた。

 交雑を介した遺伝子の拡散について話し合ったのだが、このところ「A種とB種は0.8%の確率で交雑する」”だから” 「自然界に外来遺伝子が拡散する可能性は限りなく小さい」という論議が多いことを嘆いておいででした。

 「交雑確率(あるいは可能性)」が小さくても、試行回数や集団のサイズが大きければ拡散する機会(蓋然性) はちっとも小さくは無いという例です。従って、前後の言明を繋ぐ”だから”という推論はこの場合正しくないのです。

 一般に生物学の論文に示される事実とは、限定された回数の試行の範囲で、 ある事象がおこったという言明にあらわされる内容に限られます。また、ある事象が起こらないこと、たとえば「A種とB種は交雑しなかった」 という事実のみでは、新事実の提示にはなりませんので、普通は論文にはなりません。ただし、多くの交雑組合せについて行った実験で、 ある組合せでは雑種ができたというポジティブなケースと並べて記載されることはありますが。

 しかも、「A種とB種は交雑しなかった」という事実が論文として示されたことをもってしても、「A種とB種は決して交雑しない」 という原理的な不可能性を保障するものではありません。

 生物学分野における科学的知見というものには、
1. 提示された事実には人為的なバイアスがかかっており、自然界でおこること(あるいは、 おこらないこと)を代表しているとは必ずしもいえない(論文で示された事実は、蓋然性が高い場合もあれば、低い場合もある)。
2. 基本的に、限定された回数の試行の範囲での議論しかできないため、確率を推定することはできるが、 それをもって自然界における無限機会の実現可能性(蓋然性)を推定することは、必ずしも(というか、大抵は)論理的に正しくない。
という特徴があります。

 今朝、O先生との対話を通じて、生物学分野における科学的知見の性質は、殆ど抽象化・ 一般化できないという特徴を持つ点で物理学や化学のように普遍性を追求する科学とはいささか趣が違っているのかな、と感じた。

 たしかに、生物学には「法則」といえるほどにものは殆どない(俗に”メンデルの法則”というが、正確ではない)。


ハーディー・ワインベルクの法則・・・ありえない前提に立っていますが、まぁ良しとしましょう。

ベルクマンの法則、アレンの法則・・・法則というには弱い。

セントラル・ドグマ・・・ドグマ(教義)であって法則ではない。ただただ信じよ!信じるものは救われる。 (レトロウイルスやレトロポゾンがどうのと、せせこましいことを言ってる場合じゃありません。)

という按配。理論あって法則無し、というのが生物学の世界。法則が無くって何も困ることは無いんですけどね。

 

 

 

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