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2004年10月の記事

2004年10月29日 (金)

VC701SIを買ってはみたものの・・・

 VC701SIを買った。狙いは、PHSカードCard-H‘64の職場での受信状況があまりに悪いので、その代替機にしようというのと、往復4時間の通勤時間の大半を占める高速道上での通信手段を何とかしようというものである。
 しかしっ!VC701SIは職場の席では圏外。G2携帯ではアンテナ三本の電波強度なのに・・・。当初の目的の半分は、この時点で脆くも崩れ去った。お昼休みに外で通信しろっていうことか・・・。丸の内ならば、ちょっと出れば無線LANのアクセスポイントもあるし、安価な無線LANカードで用が足りるではないか。あほらしい。
 あとは、通勤時間の通信手段であるが、こちらも半分は良好。半分は、っていうのは、Win XP搭載のノートPCだと難なく動くのだが、Zaurus LS-C860ではつながらない。つながるといううわさもあるが、標準的な設定ではとにかくダメ。LS-C3000では標準でサポートしてるので、Sharpさんなんとかして頂戴。
 かといって、買って半年のLS-C860にはそこそこ満足してるので、LS-C3000に乗り換えるつもりはない。たしかに、PDFが読めるというのは魅力的ではあるが、いかんせん画面が小さいので論文は読めないだろうし、パワーポイントのファイルの表示はできるというが編集できないのでは仕事にならないし。MP3再生や画像ビューワーにもなるが、そういう付加価値的な使い方ばかりして電池を浪費するのはもったいない。PCとのデータ交換にUSBが使えて、しかもドライバーもソフトも要らないというのは非常に魅力的ではある。が、それだけのために7万円台後半の出費をする気にはならない。次に買い換える時には、もっと電池寿命が伸びていて、VC701SIは無理としてもFOMA P2402や、その後継機で4時間くらいは使えるものになっていないと。まぁ、そのころにはつくばエクスプレスが開業していて、往復1時間半くらいで通勤できるようになっているだろうから、移動中の通信手段なんて要らないと思うかもしれない。

 いずれにしても、電源投入後すぐに使えるインターネット端末というのは、あると非常に便利です。って携帯で済むという向きもあるかもしれないが、画面は小さいし文字は打ちにくいし、オジサン的にはそいつはとても耐えられない。

 結局、仕事場ではあいかわらずCard-H‘64のお世話になり続けるだろうし、VC701Iは出費を増やすだけの金食い虫になり果てるのだろうか・・・。いっそ、P2402に乗り換えようかとも思うが、あちらは昨年11月発売でそろそろ1年。携帯端末の価格の半減期は大体そのくらいで、もう半年もすると新機種が出て旧機種の本体価格はゼロになるケースが多い。データ端末は多機能化しようがない(無線LANでも取り込めば別だが)ので、新機種の発売ペースが遅いことが予想される。その証拠にG3のCF規格のデータ端末を出してるのは二社だけだし。導入するには時期的に微妙なのだな。実売価格もわからないし。

 いっそG3携帯+通信カード+パケット定額プランという手もないではないが、PDAにケーブルで携帯をつなぐ図はあまりにも不細工。わたしの美意識はそれを許容できないだろう。しかも、今使っているVodafoneは家族割りの主契約なので、勝手に乗り換えるわけにも行かない。

 結局、当分はノートPCとPDAを持ち歩いて高速の上からはPC+VC701SIで、職場のデスクや出張先からはPDA+Card-H‘64でメールの読み書きなどすることになるのだろうな。

 時刻は8:30 AM、事故による渋滞のため交通は八潮PAの手前で完全にストップしている。さて、今日は何時に出勤できるやら。

2004年10月21日 (木)

科学者の彷徨

 ”ほうこう”と入力すると、第一候補は”奉公”だった。
”科学者の奉公”となると主題とは、また違った趣がある。
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ほうこう 1 【奉公】 (名)スル
(1)その家に住み込んで、召し使われて勤めること。
 「年季―」
(2)朝廷・国家のために一身をささげて尽くすこと。
 「滅私―」
(3)封建時代、家臣が主君のために軍役などに就いて働くこと。
---
 基本的に”フリーの科学者”というのは、ごく珍しい存在で、大抵の科学者は大学、公的研究機関、企業の研究所に所属している。場合によっては、その雇用形態は任期つき採用であったりするので、(1)の年季奉公というケースもあるし、公的研究機関に雇われている場合は、不幸にして(2)の「滅私奉公」である可能性もある。
#(3)は、無いと思う。

 それはさておき、主題に戻る。「科学者は彷徨する存在である。」
---
ほうこう はうくわう 0 【▼彷▼徨】 (名)スル
さまよい歩くこと。あてもなく歩きまわること。
「荒野を―する」
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 科学者は真理を探求するために彷徨する。実験室で試行錯誤し、オフィスでインターネットを使って論文を渉猟し、あるいは観察やデータ収集のためにフィールドを歩き回る。
 時には学会の会場をあちこち落ち着きなく歩き回る・・・が、これは彷徨というより、徘徊に近い。
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はいかい ―くわい 0 【▼徘▼徊】 (名)スル
(1)目的もなく、うろうろと歩きまわること。うろつくこと。
「夜の巷(ちまた)を―する」
(2)葛藤からの逃避、精神病・痴呆などにより、無意識のうちに目的なく歩きまわること。
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 意味としてはほとんど一緒なのだが、イメージは相当に違う。「科学者の徘徊」・・・盗賊や変態ではあるまいし。
 科学者の彷徨は、その目標は必ずしもはっきりしていないことが多いが、目的は明快である。目標という場合は、「何を、どの程度、いつまでに」達成するかが求められるが、目的という場合は非常に単純で、それは「何を知りたいか」だけである。
 何を目的として(あるいは何を求めて)研究するかは、人それぞれで人気のある研究分野もあればそうでないものもある。競争の激しい分野の科学者にとっては、研究テーマが独創的であることももちろん重要だが、何にもまして仕事が「速い」ことが求められる。逆に、人気の無い研究分野では、伝統芸能的に10-20年に一人くらいしか専攻する研究者が輩出しないこともあるが、その専門性に対して社会的なニーズがあって、そこそこの業績が残せれば、研究勢力として一世を風靡することは無いにしても、それなりに食べては行ける。
 新聞等で、全ての科学者が名声を求めて研究に邁進しているような論調を見ることがある。あるいは、研究成果から得られる特許収入を適正に配分することで、科学者にインセンティブを与えよ、と。しかし、身近に多くの現役の科学者を見てきた私の目を通した科学者像は、それとは大きく異なる。多くの科学者は未知なるものへの挑戦に強い意欲を持っているが、その成果によって名声を得ようとは思っていない。たまたま、私の所属した研究機関や関連する学会がそうだっただけかも知れない。
 そのような科学者を”道楽系”と呼ぶ向きもある。「好きな研究をして給料がもらえるなら、それ以上の贅沢は言いません」という姿勢の科学者のことである。そのような科学者にとっての最大のインセンティブは名声でも報奨金でもなく、ましてや権威ではありえない。「研究費は少ないけど、2-3年は所属組織の枠にとらわれずにフリーの研究者として働ける」というのが、最も魅力的では無いだろうか。
 さて、フリーになった科学者は、一体何を求めて彷徨するのだろうか?

# ちなみに、私自身は研究者であって技術者ではあるが(このところ、ちょっと寄り道してますが)、これまでのところ自分自身を科学者であると思ったことは無い。というのも、私は気が小さいもので「やればできる」という仕事ばかりしてきたけれども、「やってもできないかもしれない」というハイ・リスクの仕事には挑戦したことが無いから。

2004年10月14日 (木)

全ての農産物は潜在的に危険である?

 愛媛大学助教授の阿部先生(1)のホームページ(2)は、実に興味深い。個人的に、以前からしばしば拝見させていただいているのだが、その中に”伝統育種”と”遺伝子組換え”の比較を行っているページがある。リンクの規則性がややあいまいなので、少々発見しにくいのだが、「解説 伝統育種は本当に安全かー」に、その2つの比較が整理されている。恐らく本意は「育種法のみに基づいて作物の安全性を議論するのはナンセンスである」という主張なのだろうが、「伝統育種の安全性」等を見る限り、反GMO運動に反論するあまり伝統育種に対する強烈な攻撃に終始しているように見受けられるのはいささか残念である。氏は、伝統育種と遺伝子組換えを対比しているが、本来ならば公平を期するためには、そのどちらも選択しないケース-つまり、その辺の野草を食べて露命をつなぐ-も選択肢に加えるべきであろう。
 それは冗談であるが、現在流通している遺伝子組換え作物の多くは、交雑育種と遺伝子組換えのコンビネーションで育成されているので、それらの作物の持つリスクは、
”伝統育種育種のリスク”+”遺伝子組換えによるリスク”-”評価された食品としての安全性”
ということになるだろうか。いずれにしても、”伝統育種のみ”で育成された作物よりも食品としての安全性が担保されていることになる。

 最近、アメリカのナショナルアカデミーでも"Safety of Genetically Engineered Foods -Approach to Assessing Unintended Health Effects-"という報告書が作成され、各種の育種法(同種交雑、異種交雑、放射線照射、遺伝子組換え等)によって育成された作物に由来する食品のリスク評価についての考え方が示された。サマリーしか読んでいないが、その中では"Likelihood of unintended effects"として、それぞれの育種法による予期しない効果についての見積もりが示されているが、とりわけ"Crossing of existing approved plant varieties"による予期しない効果は、他のものよりも小さく評価されていることは注目に値する(その効果は、純系淘汰よりは大きい)。
 遺伝子組換え大国アメリカにおいても、遺伝子組換えによる"Likelihood of unintended effects"は伝統育種よりも大きいと見做されているということだ。

 作物(植物)の二次代謝産物は非常に種類が多いため、未知の食品成分の安全性評価を行うためには、多成分の一斉分析技術の開発が欠かせない。現在の食品分析技術は特定の成分の定量については一定レベルの水準に達していると見做せるものの、多成分の一斉分析となると、分析対象の候補となる農薬が明らかな場合の一斉分析の場合でさえもいささか心許ない現状であるようだ(3)。
 ましてや、未知の成分の一斉分析など望むべくも無い。おそらく、全ての農産物の安全性を担保する科学的な根拠を確たるものにするためには、今後のトキシコゲノミックスやメタボロミックスの発展を待たなくてはならないだろう。

2004年10月12日 (火)

アートとしての遺伝子組換え

 最近知ったのだが、”芸術”としての遺伝子組換えを行うグループがあるという。(1,2)

 わが国における遺伝子組換え生物等に対する規制は、「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」(遺伝子組換え生物等規制法、あるいはカルタヘナ法)の下、財務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省及び環境省の6省の共管で、使用する遺伝子組換え生物等の性状、その使用等の内容等を勘案して主務大臣を決めることになっている。(3

 さて、この仕分けには今のところ”アート”という考え方は入っていないのだが、所管する官庁を考えるとやはり文部科学省なんだろうな・・・二種省令でも、「研究開発等」と"等"が入っていることでもあるし。

 ともあれ、記事によると(2)、エドゥアルド・カック氏の作品"Move36"に使用された組換えトマトでは、デカルトのことば"Cogito, ergo sum"を"1,0"に分解し、それを塩基A,C,G,T(それぞれ、00,01,10,11を割り当てる)に変換してDNAを合成し、植物に組み込んだという。ちなみに、"Cogito ergo sum"は" CAATCATTCACTCAGCCCCACATTCACCCCAGCACTCATTCCATCCCCCATC"になるそうだ(4)。
#記事の写真の植物は、私にはどうもトマトには見えないのだが・・・。
 植物に導入する方法が不明なので事の真相はわらないが、文字情報をDNAに変換して生物に導入するというアイデアを本当にやってしまったのだとしたら、おそらく、これが初めてのケースになる。「遺伝的烙印」とでも言うのだろうか。
 同様の方法をとれば、UCS-4の32bitのデータも16塩基で表現できるので、理論上は地球上で使われているほとんどの文字を表現できる。何文字かおきにチエック・サムを入れておけば、突然変異による撹乱にさえも対応できるかもしれない。また、遺伝子として発現しないことを担保するために、文字情報に当たる部分の前後にストップコドンを仕込んでおけば安全性が増すし、PCR用のプライマーで挟み込むように設計すれば、書き込んだ情報をPCRダイレクトシーケンスで手軽に再生することもできる。
#あんまり手軽じゃない気もするが・・・。
 倫理的な観点とコストを無視してアートを標榜すれば、何でもありなのだなと感心半分あきれ半分。

 これが、わが国で実現した場合、法的には宿主が植物であれば、大抵P1Pか特定網室の拡散防止措置で"実験"を行えば機関実験で対応できる。しかし、供与核酸が合成DNAであって核酸供与体が特定できない場合、その扱いは微妙である。配列がごく短かいか、あるいはストップコドンを含むなど蛋白を生産し得ないケース(同定済み核酸として認められる場合)は、通常P1Pで構わないのだが、何某かの蛋白を産生する未同定核酸の場合には恐らく大臣確認実験(拡散防止措置は恐らくP1P)になる可能性が高い。いくら"アート"でもこれは勘弁して頂きたいものだ。
 また、”アート”としての遺伝子組換えには、従来行われてきた遺伝子組換え実験にはない、ある特筆すべき特徴がある。それは、”個人による遺伝子組換え”であるという点だ。わが国の遺伝子組換え生物等規制法では、実験の主体は個人あるいは法人であるが、告示のレベルでは組換えDNA安全委員会の設置等を求めており、個人では実施しにくいように見える。また、業として遺伝子組換えを行う個人というのは想像しにくい。あるとすれば、「遺伝子組換え職人」とでも言うのだろうか。

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